2025022804
関大初の女子学生に特別卒業証書 「生きていたら入学し直すかも」
当時は働く女性への差別意識が強く、複数の男性と関係があるなどとするゴシップ記事が出回ったが、北村さんは自身の著作などで反論した。1927年に朝日新聞退社後は国際ジャーナリストとして活躍。女性参政権の実現に向けた活動も続け、国際会議にも日本代表として参加した。
抜粋
北村兼子と台湾
2025022804.txt · 最終更新: 2025/02/28 16:35 by monobe