2025-01-31 太陽光発電よりはるかに安価で環境にも優しい小型の水力発電システム「RHT」とは一体どういったものなのか? gigazin
太陽光発電よりはるかに安価で環境にも優しい小型の水力発電システム「RHT」とは一体どういったものなのか? - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20230130-natel-energy-restoration-hydro-turbine/
大きな発電施設を用意するより、小さな発電施設を複数用意する方が良い。
大掛かりなものは環境を破壊しがちだ。小さな発電施設を複数造り、同時に電気の消費量を減らしていく。持続可能社会が成り立つとするならば資源をあまり使わない低消費社会だと考える。資源は無限ではなく、電気自動車のバッテリに必要なニッケルやコバルトも産出国の労働者が日銭で、人力で採掘させられているという。
勿論、電気がなければ経済発展は得られない、雇用も増えないというだろう。新聞によれば、東京へ人口集中が加速している。ほぼ、この流れは止まらない。
地域での生活や歴史に誇りを持てず、得もなければ、より生活しやすい場所へ移動するのは不思議でもない。もっとも、東京にある企業から見れば安い労働力が集まって来てありがたいとなるわけだろうけれど。
オルテガの「大衆の反逆」そのままだ。
こういう現状になってしまった重要な一員として「就職とは会社に勤める」ことであるという認識が普遍化したことであると私は考えている。
安くはない費用を要して大学を卒業し、比較的多くの人たちが奨学金という借金を返さねばとなるならば、出来るだけ大きな会社、出来るだけの給料を得たいと思うのは不思議ではないし、結果として大企業のある東京、もしくは名古屋や大阪を目指す。
政府も地方再生をうたうならば、あれこれ補助やなんやらを用意するよりも、大学の無料化を目指す方が真っ当であると私は思っている。
さて、太陽光発電の設備が巨大化している。これは太陽光を出来るだけ広い範囲で得たいということと、エネルギー効率の低さによるものだ。太陽光発電パネルは永久に保つのかというと、決してそのようなことはなく、既に劣化により廃棄が始まっているが、現時点で再生や資源とはならないらしい。
結局は発電も充電も大規模にすればするほど、自然破壊が進む。これは、再生可能エネルギーでも大して変わらないということだった。残念ながら
つまりは私たちの意識を大きく変革しないと、次の、また次の世代に、生きていく場を残すことが出来ない。それを前提に私たちは、少なくとも私は生活していかねばならないと考える。
続く