京都新聞の投稿を読んで 利用者本位の郵便事業望む
新聞の投稿を読む。うーん、私は違う考えだなぁと思った。
郵便局が私たち利用者を主にして仕事をしていないことにお怒りだ。 レターパックを送ったけれど、相手先への番地が抜けていて戻ってきた。再送したが、今度は、小字が抜けていてまた、戻って来た。
お怒りである。
まぁ、心の狭い私もきぃぃっとなるかもしれないが、ちと、考える。
レターパックは窓口でも郵便ポストに投函でも、どちらでも対応される。ただ、貴方の前面にて、小字や番地が抜けているのを確認するためには、受付でその間違いを発見しなければならない。つまり、お預かりしますねと言った受付係が、じぃっと貴方の書いた宛名を睨んで、よし、間違いないなと判断するわけだ。小学生の頃、小テストを先生に出して、どうかなぁと思う子供のようなものだ。それがありかどうかと考えると、無しだ。さっと受け取って処理してもらいたい。俺の個人情報をまじまじと見ないでくれよという気分になる。
年賀状の時には番地を書かなくても届いたのにと、重ねてお怒りだ。 年賀状での仕分けはバイトも雇うし、元旦までに日数の猶予もある。第一、足りない住所でも届いたことに感謝はしても、自分の足らずまいを郵便局が補うのを標準にして考えるのはおかしい。
また、現金書留で香典を送った時、個人の名前しか書いてなかったので、送り返されて来たという。
現金書留は窓口での対応だが、個人へ向けての配達で、送料も高くなっている。 これも先程の理屈と同じだけれど、加えて、配達員の側に立ってもらいたい。 せっかく、持ってきたのにどうしようと焦るのが目に見えている。 どうして、家族といえど、違う人に渡したんですか、郵便局はそんないい加減でいいんですか、と咎められるかもしれないではないか。 結局のところ、私が何を言いたいのかというと、「自分の尻を、他人に、それも赤の他人に拭かせるような恥ずかしいことを都合の良い甘えで要求するなよ」ということだ。
ブレイディみかこの「他者の靴を履く」という本。 これはイギリスのことわざで、相手の立場になって考えてみたらという意味らしい。共感、エンパシーについて解説した本だ。自分が郵便局員ならば、どう考えるだろうというエンパシーをぜひ発揮してもらいたい。
また、お金を払った客だぞと言うなら、「常識のない喫茶店」僕マリを読んで欲しい。普通の感覚なら、自分の言動に恥ずかしくて頭を抱えるだろう。
ついでに言うと、今の郵便局は昔の郵便局とは全く違う。利益を求める会社だ。 小泉改革の時、そうなった。 私たち、当時からの大人は、小泉氏の甘言に踊らされて、郵便局が会社になることを許した。 愚かであったとしか言いようがない。 多分、当該新聞社はこの文章を投稿しても載せないので、こっちに書いておく。
投稿は500文字制限だ。
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