ないふ

膝がふるえている、座席から立てない・・・

満員ってほどじゃない、でも、座席はつまっていて、立っている人もちらほらの夕方の列車。 たまたま、早く帰ることになって、この列車に乗った。夕刻の通勤ラッシュ常時経験者としては、この緩さはありがたい、そう思っていたんだ。

そうだ、真向いの座席だ。どうしてだか、両側、誰も座らず、女が一人座っている。

女は異様に赤い唇がにぃぃと口角を上げている、笑っている。

そして、なによりも不気味なのは、女の姿が透けていて後ろの窓が見えること、いや、そうじゃない、いやいや、それもそうなんだけれど、首、女の喉元に大振りのナイフが突き立っているってことなんだ。

誰も彼女に気づいていない。

お喋りしている買物帰りだろう、二人連れの女。スマホのディスプレイ、思いっきり顔を近づけて睨んでいる中年男。

誰も気づいていない、あの女が見えないんだ。そうだ、次で降りてしまおう、もうすぐ駅だ、とにかくここから逃げ出だすんだ

早く、早く

列車があきらかに速度を落す。繋めのガタゴトという音がやわらかくなる。

停った。

ドアが開いた。

たくさんの人たちが降りてく、女の姿がスリットのように見え隠れする。 腰を浮かしかけた瞬間、眼があった

女の唇の両端が異様につり上がる、俺を見て笑ったんだ。女の顔が俺に迫ってくる、笑う女の顔が俺の視界一杯になる、押しつぶされてしまう

動けない逃げ出せない。

消えた

どうしたんだ、女がいない、空いた席が俺の前にあるだけだ。消えてしまった、 そうだ、乗客達と一緒に降りていったんだ。

「見えているんだろう、あたしが」

耳元でかすれた声、体が硬直して動かない。