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Feb 20, 2019

遥の花 あさまだきの靄 小夜乃、説教する

「田、中」
小夜乃は表札を人差し指で撫ぞりながら、小く呟いた。そして、にっと笑みを浮べると、よしと呟く。幸に書いてもらった地図のノートをしっかりと抱きしめた。
小夜乃は門柱を背に辺りを見回す。幸の姿は見えない、もちろん、幸は壁の、小夜乃から少し離れたところで、背をもたせかけているのだが、小夜乃は気づかない、幸の隠形は目の前にしても、気づかないだろう。
ふと、小夜乃は道を何度も行き来する女の子を見つけた。
深刻な顔をしている。
そして、小夜乃の隣り、塀に背を預けた、溜息をつく。小夜乃は驚いて女の子を見上げたが、思いきって、声をかけてみることにした。
「あの、お姉さん、どうされましたか」
響子は全く小夜乃に気づいていなかった。驚いて小夜乃を見る。
「え、あ、あの。いや、なんでもない」
目をおよがせながら、響子が答えた。人がいることに全く気づかなかったなんてと響子は自分自身が冷静でないことを思い知らされた。こんなことではいけない。
「君もこの家に用事があるの」
「いいえ。でも、母様とここで待ちあわせの約束なんです」
可愛い、素直に笑顔を向ける小夜乃に響子の胸が高なった。そんな趣味はないからと慌てて気持ちを落ちつかせる。
「お姉様は何かお悩みの様子ですけど、こちらのお家と何かあるのですか」
真っ直ぐに自分を見る小夜乃にどぎまぎして息を飲む。
私に向って、この子、お姉様と言った。お姉様って、うわぁ、響子は体が浮いてしまいそうになったが、気持ちを落ちつかせて答た。
「用事は確かにある」
小夜乃はその言葉になにか深刻に思いつめたものを感じた。
「母様がこちらに用があるらしく、でも、まだ、母様は来ておりません。よろしければ、お先にどうぞ」
「いや、私は後でいい。そうでないと、君の母様は、その用とやらを済ますことができなくなるだろう」
小夜乃はノートを足元に立てかけ、すいっと、両手で響子の右手を握った。そして、しっかりと響子を見据えた。
「それはどういう意味でしょうか。お姉様のお言葉、物腰、尋常ではありません」
響子は息を飲んだ。鉢巻姿の可愛い女の子、真っ直ぐに自分を見つめている。手が暖かくて柔らかい。
「おおぉい」
幸が今やってきたとでもいうように、道の向うから歩いてきた。
はっと小夜乃が振りかえる、幸はにっと笑うと唇に人差し指を当て、そして、上を指差した。その方向には、電信柱に烏、すっと烏の姿が消える、幸が烏の首の辺りを片手で掴んでいた。もう片方の手を烏の顔に寄せ、その頬を中指で弾く。そして、烏を放り投げた。空中で烏は意識を取り戻し、飛んでいった。
「小夜乃。待たせたかな」
「小夜乃もつい先程来たばかりです」
なんて綺麗な女の子だ、響子は思わず息を飲んだ。欠点というものがまるでない。同い年か、一つ下かもしれない、なんて、綺麗なんだ。
「幸母様、お話をお聴きください」
小夜乃は響子の手を両手をしっかりと握ったまま言った。
「なんだ、小夜乃。必死だな」
幸は気楽に笑みを浮べる。
「初めまして。この子の母で幸といいます。本当は姉の娘なのですが、私のことも母と呼んでくれています」
「初めまして。響子、橘響子といいます」
響子は緊張した面持ちで答えた。同学年、ひょっとしたら、一つ下かもしれない女の子に緊張したのだ。その上、初めて会う得体の知れない人間に本名を名乗るなんて。
「響子さん、顔に悲壮感が出てるよ。可愛い顔が台無しだ」
幸は気楽に言うと、響子の全身を俯瞰する。
「小夜乃。響子さんの左手、学生鞄を預からせてもらいなさい」
響子は、その言葉、口調に理解した、とても、逆らえない。いや、そうじゃない。気づいた、この窮状から抜けだすには、この人、幸という人に話を聞いてもらえれば。
小夜乃が手を差しだすと、響子は一度鞄を下し
取っ手を小夜乃に向けた。小夜乃は両手で鞄の取っ手を掴み引きあげる、少し小首を傾げた。
簡単に引きあげた小夜乃に響子は驚いた。鞄大の幅一センチの鉄板が二枚入っている。幸は鞄から手前の一枚を抜きだした。まるで軽いダンボール紙を摘みだすように。
「呪文が違うな、抜けている」
鉄板には細かに漢文が掘りこまれている。幸が鉄板に指を走らせる。響子が驚いた、すらすらと人差し指で鉄板を削っている。こんなもんだと幸は呟くと、鉄板を鞄に戻した。
「響子さん。鞄をもってみなさい」
驚きを隠せないまま、鞄を持ちあげる。なんだこれは、軽い、鞄に何も入っていないみたいだ。
「術をただそのまま受け継いだやつと、術の理を理解しているやつの違いだ。さて、太股や脇腹の棒手裏剣からするに、忍術系のようだね。魔女と戦う気なのか」
響子はぎゅっと唇を噛みしめた、そして呻くように呟いた。
「仇討ちです、亜矢は私の一番の友人でした」
「亜矢というのは」
そしらぬ顔で幸が尋ねた。
「この家の長女で、私の一番の親友です」
「仇討ちって、殺されたのか」
「わかりません、でも」
「詳しく話してみてくれ」
幸がかすかに口角をあげ、笑みを浮べる。それだけで、響子はこの人なら信頼できると信じることができた、小夜乃は思う、あとで、幸母さん、美人は得だろうって笑うんだろうなと。
「亜矢のお母さんが、窓から、3階の教室の窓から箒に乗って入ってきました。そして、亜矢を連れ去ったんです」
響子の眼から、ぼろぼろと涙が溢れた。
響子は溢れだすように、亜矢が魔女の母親を恐れていたこと、いつかは殺されるかもしれないと語っていたこと、幸に話す、そして、何度も、家の前に来ながら、怖くて帰ってしまった自分自身を責めた。
そっと、幸は響子を抱きしめると、耳元で囁いた。
「もう、苦しまなくていいよ」
幸のその一言に、響子は背中に背負っていた重荷がすっと消えていくのを感じた。

「呼びリンを鳴らしますか」
小夜乃がスイッチに手をかけた。
「もう少し待ってからにしよう。大きなの召喚するために頑張ってさ、ドアの向うで呪文を唱えている」
幸は言うと、門扉の手前に真っ直ぐ立つ。腕を組み、にぃぃと嗤う。
「来るぞ」
呟いた瞬間、いっぱいに開いた竜の顎が、幸の目の前に現出した。竜が口を閉せば幸を丸ごと飮み込むだろう。
「よう、黒龍よ。びびったか、口が固まっているぞ」
すたすたと、幸は黒龍の横に回り込んだ。
竜の首だけだ、首から後ろがない。幸は黒龍の首の後ろに手を添えると、すっと横へ動かす。黒龍の全体が現われた、後尾は屋根の向う、遙かにある。
「術者に呼びだされたは仕方がないが、半端すぎて、首までしか呼んでもらえなかったか、お疲れさんだな」
響子は小夜乃の隣りで足がすくんでいた。
百メートル、いや、もっとだ。あんな大きな竜を手で引っ張りだした。その竜が幸さんを恐れている。恐れて動けずにいる。
幸は黒龍の前に立つと、やわらかな笑みを浮べ、両手を差しだした。両手の間の空気か震え、それが低い音となる。低音が物語りを語るように揺れる。黒龍が両目を閉ざし、納得したとでもいうように、微かに頭
を上下させ、色水を薄めるめるようにして消えた。
「幸母様、あの音は」
「竜の言葉だ。直接、竜の言葉で、帰ってもいいと伝えただけだよ。そのものの言葉を語ることができれば、効率の悪い呪文の詠唱など必要はないってことだ」
小夜乃は改めて、幸を自分の理解の範疇外の人だと思う。隠れて、こそこそと戸棚からお煎餅を取り出してにやけている幸を思いだす、いま、目の前にいる人と同じ人なんだと考える、単純に面白いなぁと思う。
「さて。お待ちかねだ。小夜乃、響子さん、ついておいで」
門扉を開け、すっと敷地内に入る。数メートル先に大きな玄関のある、ちょっとしたお屋敷だ。
「魔女の庭ってやつだな」
「それは」
小夜乃が尋ねた。
「見慣れない花や草が生えている、魔女の魔法は呪文だけじゃない、薬を使う。その原料だ。屋敷も一階から上は普通の生活だけれど、地下一階と地下二階は魔法の研究室と倉庫だ。妹は地下一階だな」
幸は玄関を軽く叩くと、にぃぃと笑った。
いきなりドアが開けはなたれた。女が大きな斧を幸の頭に振り下した。寸前、斧が幸の頭の上で止る。幸が右の親指と人差し指で刃を摘んでいた。
「お出迎えありがとうございます。こういう趣向大好きですよ」
「何者だ」
幸が嬉しそうに微笑んだ。
「そうですよね。折角、電信柱の上から、見張っていたのに、首掴まれて、元の肉体にまで、弾きとばされて、大笑いですよね。亜紀さんのお母様」
幸が摘んだ斧の先を下へ投げ落す。斧の柄が女の手から離れ、地面にめり込んだ。
うひゃ、やる気全開だ、後ろで響子が幸の振舞を見ていて、息を飮む。
「御不信のことと思いますが、こちらに伺ったのは簡単なこと。えっと、何処へやったかな」
幸が右手をゆらゆらと動かす、ふわりと猫のマリオネットが現われた。
「これ、お母様にお返しします、亜紀さんです」
ぽんと母親の手に置いた。そして、すっと玄関口を見渡し、とんと爪先で地面を蹴る。玄関の叩きが電動で後方に下がり、地下への階段が現われた。
「亜紀さんの肉体はこちらですね。お邪魔します」
「待って、亜紀の、亜紀の魂は」
幸が不思議そうに母親を見つめた。
「なんだか、お嬢さんのこと心配されているようですけれど」
「亜紀は私の大切な娘です」
母親は幸を恐れてか、言葉が変わる。
「マリオネットに憑依させるということは、五感が著しく低下しますよね。そんな状態で外に出せば、どんな災厄に襲われるかしれない、それを考えるなら、亜紀さんが大事じゃないのかなぁって思ったんですけど」
「そうじゃなくて、これは魔女としての重要な儀式で」
幸はわざとらしいくらいにっこりと笑った。
「お母様のしていることは、子供を嫌う親がしていることと同じですよ。ま、でも、ご心配になる必要はございません。実は亜紀さんの魂は私のポケットの中です」
一瞬、小夜乃が母親をじっと見据えた。
幸は小夜乃と響子についてくるよう目配せをすると、階段を降りた。下は小さなホールくらいはある。片面は魔導書だろう、一面の本棚に本がぎっしり並べられている。その本棚の手前にベッドがあり、薄暗い灯りが仰向けに寝る亜紀の顔をうつしていた。
幸が亜紀の魂の入ったガラス球を小夜乃に手渡した。小夜乃は頷くとガラ球を手に亜紀の横に立つ。そっと、上着をたくしあげ、お臍にガラス球を載せる、球の中の白い靄がすっと亜紀の中に入っていった。
ほっと小夜乃が息を吐く。
幸は亜紀に顔を寄せると、声をかけた。
「おおい。亜紀さん、おはよう」
亜紀が目を開く。幸の顔を見た瞬間、ベッドから跳びおりて、蹲まってしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
亜紀が幸を怯え、呻くように謝りつづける。
小夜乃が呟いた。
「母様のポケットの中で何があったのでしょう」
「うーん。どうしてだろうね」
にぃぃと幸が唇を歪めて笑った。
響子は二人の後ろでことの顛末を、混乱しながらも理解しようとしていた。
幸さんはさっきの電信柱の烏を手を伸ばしただけで掴んだ。これは物品寄せだ。そして、烏に憑依していた魔女の魂を呪文も唱えずに弾きとばした。そもそも、竜の言葉であの竜を追いかえしてしまった。なにもかもが規格外だ。橘は忍術が主で呪術は補助でしかないから、詳しくはしらない、でもそうだ、代々伝わる魔除けの呪文を書きなおして、それも指先で鋼鉄の板をえぐって。
呪文は大きな力と繋るためのもの、その呪文を唱えないということは、自らが既に大きな力を持っているということだ、そんな人間がいるのか。そうだ、今は悩んでいる場合じゃない、今のうちに亜矢を救いださなきゃ。
「用事も済んだし帰ろうか」
幸が小夜乃に話しかけた。
「母様、少しお時間をください」
小夜乃は言うと、亜矢の母親の前に正座した。
そして、語りかける。
「親子とは一体、何なんでしょう」
思いがけない、小夜乃の言葉に魔女の母親は、答えを準備できずにいた。
「子供は親の一部でしょうか、それとも、独立した存在でしょうか」
いきなりの小夜乃の言葉に、何を言えばいいのか、見つけられずにいる。響子はとにかくと幸に囁いた。
「一体、何が」
「問答による説教。正義感が強すぎてね、ちょっと困っている」
幸が苦笑する。
「追いつめてすぎて、相手が泣きだしてしまう。適当なところで抱えて帰るつもり」
「あの、私は亜矢を探してきます」
「先に言えばよかったかな、亜矢はここにいないよ」
あっさりと響子に答えた。
「おっと、亜矢の母親の顔色が変ってきた。響子さん、ついてきなさい」
すっと後ろから小夜乃を抱え、階段を上り、庭を通りすぎ、門扉を開けて外に出る、あまりにもの滑らかさに、響子は焦りながら幸の後を追いかけ外に出た。
「幸母さま、まだ、半分も話していません」
小夜乃の抗議に幸が楽しそうに笑った。
「ごめん、ごめん。でも、これ以上追いつめたら、あの母親、自殺してしまうかもしれないぞ、さすがに亜矢に恨まれる」
「それは」
小夜乃が力を抜く、幸がそれを感じて、地面に下した。
「小夜乃はまだまだです」
「世の中にはいろんな奴がいる、時間をかけて学んでいけばいいさ、方向はだいたい合ってんだから」
幸があっさり答える、そして、響子に声をかけた。
「あたしの姉さんが二、三日の旅に出た、亜矢は鞄持ちでついていたんだ」
「それは」
「歩きながら喋ろう」
幸は小夜乃と手を繋ぐと駅に向って歩きはじめた。
「あの。幸さんはなぜ亜矢を」
「今朝、うちに魔女が亜矢を連れてきたんだ。修行をつけてくれってね。うちは別にそういうことしてないからって断わったんだけれど、亜矢の様子を見て一週間預ることにしたんだ」
「様子ですか」
心配げに、響子が呟いた。
「心配する必要は何もないよ」
にかにかと笑いながら昼御飯を食べていた亜矢の様子を思いだす。
「ただ、これだけは言っておく」
響子が不安に目を見開いた。
「響子の知っている亜矢はもういない。亜矢は変わってしまった」

微かに唇を噛む。
「まさか、あんな」
「幸さん、それは」
「響子、三日後にうちに来なさい、自分の目で確かめるのがいいだろう」
幸は響子の目をじっと見つめ呟いた。
駅前にやって来た。
「響子さんは電車か」
気楽に幸が尋ねる、さきほどまでの深刻さのかけらもなく尋ねる幸に混乱しながらも、駅名を言った。
「手前の駅だ。そうだ、響子さん、これから用事はあるのか」
「いえ、とくには」
「なら、うちにおいで。帰りは送ってあげるよ」
「は、はぁ」
幸は財布から千円札を一枚とりだすと、小夜乃に手渡した。
「これで、三人分の切符を買ってくれ」
「はい。行ってきます」
小夜乃が券売機に走りよる。
「小夜乃ちゃんって、可愛いですね」
「だろう。若いってのは一所懸命なんだ」
「あの、幸さんって、私より年下なんじゃ」
「上だよ。十幾つで、空飛ぶ魔女を小指捻るように手玉に取れるかよ」
気楽に笑った。小夜乃が駆け戻ってきた。
「はい、おつりです」
「おつりは、小夜乃。自分の財布にしまっておきなさい」
「いいんですか」
「いいさ、幸もその方がさ、保護者しているなぁって気分になる」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」


駅を出て、いつもの町に戻る。
ほっと小夜乃が溜息をついた。緊張していたのだろう、気が抜けたのか、小夜乃の足が少し縺れる、幸はよいしょっと小夜乃を背負った。
「ごめんなさい、幸母様」
「いいよ。今日は大冒険だった。帰ったらあさぎ姉さんに美味しいの作ってもらおう」
小夜乃が安心したように、体を幸の背中に預けた。響子は電車の中で、人の多いなか、ぎゅっと幸の手を握る小夜乃を見ていた。自分も子供の頃、そうだったなと思う。
ものごころつく前からの修行で社会と隔離されていた、だから、人の多いところはとても怖かった。詳しくは知らないけれど、小夜乃ちゃんも今日は頑張ったんだなと思う。
「おおい、幸ちゃん」
商店街入口、佳奈が声をかけた。
「佳奈姉さん、ただいま」
幸が立ちどまり、微笑んだ。佳奈は幸の前に立つと幸の後ろを覗きこんだ。
「小夜乃ちゃん、お出掛けだったのかい。よくなよちゃん、許したねぇ」
「なよ姉さんは旅行へ行ってます、だから、いまは幸が小夜乃の母さんですよ」
幸が朗らかに笑った。
普通に馴染んでいるんだ、響子は二人の会話を聴いて思う。あんな凄い幸さんが、ここでは、普通の人として、普通に喋っている。
「この子は」
佳奈が響子に興味を抱いた。
「は、初めまして」
「あたしは佳奈。この商店街の魚屋」
「私は、えっと、橘響子といいます」
「響子さんか。響子さんは彼氏いるのかい」
「え」
いきなりの言葉に響子が戸惑った。
「佳奈姉さん、夕子さん、あきらめたんだ」
いたずらげに幸が言った。
「あきらめたわけじゃないんだけどさぁ」
うーんと佳奈が腕を組み考えこむ。
「うちの息子は普通だから、普通の娘がいいかなぁって気もするんだ」
「それは残念」
幸がにっと笑った。
「え、響子さんも普通の人じゃないのかい」
にひひと幸が笑った。
「そうだよね、幸ちゃんと並んで歩いてんだから」
「ひどいなぁ、佳奈姉さんは」
幸が楽しそうに笑う。
「そうだ、幸ちゃん。さっき、あさぎさんから電話があったんだ、夕方、新作ケーキ試食会、あとで行くからね」
「うっしゃっ」
幸が鼻息荒くうなずいた。
「最高だ。佳奈姉さん、早く来てね。佳奈姉さんが来るまで、ケーキ、誰にも食べられないよう、命をかけて守るよ」
「うん。走っていくよ」

佳奈と別れ、少し足早に歩く。響子も横を小走りに歩く。えっ、響子が幸の足元に気がついた。着地した足がそのまま、すっと前に滑っている、だから歩いているのに速いんだ。
「あのケーキって」
「あぁ、うちは喫茶店なんだけどさ。店長やっているあさぎ姉さんの新作ケーキは秀逸なんだ」
幸が少し真面目な顔をして言う。
角を曲った。
しばらく歩いてあるのが、元会計事務所、あさぎの喫茶店だ。
白が店の隣りにある通用口から出てきた。
「あ。幸母さん、お帰り」
「ただいま、白」
一瞬、響子が固まった。
「白様、どうして」
響子が呟いた。
白はふっと響子を見つけると、軽く会釈し、幸の後に回った。そして、小夜乃を掲げるように、よいしょっと持ちあげ、道路に立たせた。
「小夜乃、お帰り」
「白姉様、ただいまです」
少し寝惚けたまま、小夜乃が答えた。
「幸母様。ありがとうございます」
「どういたしまして」
「さ、大人の難しいお話はわかりません。さぁ、入りましょ」
白が何もなかったかのように、すっと小夜乃を喫茶店へと連れて入る。
すぐに黒が出てきた。
「白がお客様だって」
ふっと、黒の視野に響子が入った。

 


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