遥の花 あさまだきの靄 小夜乃、説教する

= 小夜乃、説教する
[2019-01-09 23:43]
「田、中」
小夜乃は表札を人差し指で撫ぞりながら、小く呟いた。そして、にっと笑みを浮べると、よしと呟く。幸に書いてもらった地図のノートをしっかりと抱きしめた。
小夜乃は門柱を背に辺りを見回す。幸の姿は見えない、もちろん、幸は壁の、小夜乃から少し離れたところで、背をもたせかけているのだが、小夜乃は気づかない、幸の隠形は目の前にしても、気づかないだろう。
ふと、小夜乃は道を何度も行き来する女の子を見つけた。
深刻な顔をしている。
そして、小夜乃の隣り、塀に背を預けた、溜息をつく。小夜乃は驚いて女の子を見上げたが、思いきって、声をかけてみることにした。
「あの、お姉さん、どうされましたか」
響子は全く小夜乃に気づいていなかった。驚いて小夜乃を見る。
「え、あ、あの。いや、なんでもない」
目をおよがせながら、響子が答えた。人がいることに全く気づかなかったなんてと響子は、自分自身が冷静でないことを思い知らされた。こんなことではいけない。
「君もこの家に用事があるの」
「いいえ。でも、母様とここで待ちあわせの約束なんです」
可愛い、素直に笑顔を向ける小夜乃に響子の胸が高なった。そんな趣味はないからと慌てて気持ちを落ちつかせる。
「お姉様は何かお悩みの様子ですけど、こちらのお家と何かあるのですか」
真っ直ぐに自分を見る小夜乃にどぎまぎして息を飲む。
私に向って、この子、お姉様と言った。お姉様って、うわぁ、響子は体が浮いてしまいそうになったが、気持ちを落ちつかせて答た。
「用事は確かにある」
小夜乃はその言葉になにか深刻に思いつめたものを感じた。
「母様がこちらに用があるらしく、でも、まだ、母様は来ておりません。よろしければ、お先にどうぞ」
「いや、私は後でいい。そうでないと、君の母様は、その用とやらを済ますことができなくなるだろう」
小夜乃はノートを足元に立てかけ、すいっと、両手で響子の右手を握った。そして、しっかりと響子を見据えた。
「それはどういう意味でしょうか。お姉様のお言葉、物腰、尋常ではありません」
響子は息を飲んだ。鉢巻姿の可愛い女の子、真っ直ぐに自分を見つめている。手が暖かくて柔らかい。
「おおぉい」
幸が今やってきたとでもいうように、道の向うから歩いてきた。
はっと小夜乃が振りかえる、幸はにっと笑うと唇に人差し指を当て、そして、上を指差した。その方向には、電信柱に烏、すっと烏の姿が消える、幸が烏の首の辺りを片手で掴んでいた。もう片方の手を烏の顔に寄せ、その頬を中指で弾く。そして、烏を放り投げた。空中で烏は意識を取り戻し、飛んでいった。
「小夜乃。待たせたかな」
「小夜乃もつい先程来たばかりです」
なんて綺麗な女の子だ、響子は思わず息を飲んだ。欠点というものがまるでない。同い年か、一つ下かもしれない、なんて、綺麗なんだ。
「幸母様、お話をお聴きください」
小夜乃は響子の手を両手をしっかりと握ったまま言った。
「なんだ、小夜乃。必死だな」
幸は気楽に笑みを浮べる。
「初めまして。この子の母で幸といいます。本当は姉の娘なのですが、私のことも母と呼んでくれています」
「初めまして。響子、橘響子といいます」
響子は緊張した面持ちで答えた。同学年、ひょっとしたら、一つ下かもしれない女の子に緊張したのだ。その上、初めて会う得体の知れない人間に本名を名乗るなんて。
「響子さん、顔に悲壮感が出てるよ。可愛い顔が台無しだ」
幸は気楽に言うと、響子の全身を俯瞰する。
「小夜乃。響子さんの左手、学生鞄を預からせてもらいなさい」
響子は、その言葉、口調に理解した、とても、逆らえない。いや、そうじゃない。気づいた、この窮状から抜けだすには、この人、幸という人に話を聞いてもらえれば。
小夜乃が手を差しだすと、響子は一度鞄を下し
取っ手を小夜乃に向けた。小夜乃は両手で鞄の取っ手を掴み引きあげる、少し小首を傾げた。
簡単に引きあげた小夜乃に響子は驚いた。鞄大の幅一センチの鉄板が二枚入っている。幸は鞄から手前の一枚を抜きだした。まるで軽いダンボール紙を摘みだすように。
「呪文が違うな、抜けている」
鉄板には細かに漢文が掘りこまれている。幸が鉄板に指を走らせる。響子が驚いた、すらすらと人差し指で鉄板を削っている。こんなもんだと幸は呟くと、鉄板を鞄に戻した。
「響子さん。鞄をもってみなさい」
驚きを隠せないまま、鞄を持ちあげる。なんだこれは、軽い、鞄に何も入っていないみたいだ。
「術をただそのまま受け継いだやつと、術の理を理解しているやつの違いだ。さて、太股や脇腹の棒手裏剣からするに、忍術系のようだね。魔女と戦う気なのか」

 

 

 

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遥の花 あさまだきの靄 小夜乃

「好機到来です」
店の前、小夜乃は額にはちまきをするとぎゅっと結んだ。
小夜乃は一人で外を出ることができない、鬼に襲われる格好の餌となる、なよはそれを心配し、できるだけ小夜乃が外に出ないように、どうしても出るときは、自分か黒が同行するようにとしていた。
小夜乃はしっかりした女の子である、いつまでもそんなことでは自分がだめになってしまうと考える。
そんな時に、なよがしばらくの間、鬼紙家へ行くことになったのだ、この機会に一人旅を、日帰り旅をするのですと小夜乃は決心したのだ。
「とにかく列車に乗ります、町の結界の外で買い物をし帰ってくるのです」
「ということは、まだ、はっきりとした目的地を決めていないってことだ」
幸が煎餅をかじり、にかっと小夜乃に笑いかけた。
「幸母様、どうして」
「店の前で小夜乃が気合いを入れている、なよ姉さんはいない、なよ姉さんの日頃の態度と小夜乃の性格を思えば出かけようとしているんだなくらいわかるよ。止めはしない、実朝も肩とまっているんだからさ」
「実朝、よろしくお願いします」
小夜乃が肩にとまる文鳥、実朝に笑いかけた。
「たださ、目的地が決まっていないのなら、亜矢の家に行かないか。用事があるんだ、向こうで落ち合おう」
小夜乃はしばらく考え、少しほっとしたように頷いた。
「お願いします」
幸はノートを取り出すと、亜矢の住所、道順、降りる駅、正確に書き、小夜乃に手渡した。
「およそ電車で三十分、駅を降りて十五分歩けば亜矢の家だ。私は一時間ほど用事を済ませてから飛んでいく」
「ちょうどいいです」
小夜乃が笑った。
「それじゃな、何かあったら、もちろん、実朝もいるけどさ、私を呼べよ なよ姉さんの小言を聞き続けるのはつらいからさ」
幸はいたずらげに笑みを浮かべた。小夜乃はお辞儀をすると駅に向かってしっかりと歩きだした。幸は完全に気配を断ち、小夜乃の数歩後ろを歩き始めた。

「どうするよ」
「さすがにやばいって」
三人の新米魔女が改札口の隅で密談をしていた。上からの指示だ、かぐやのなよ竹の姫の関係者を拉致せよ、厳命だ。
「いつも偉そうにしているMKがびびって青い顔して逃げ出したんだよ、あたし等になんとかできるわけないじゃん」
「でもさぁ」
三人とも顔面蒼白だ。簡単な魔術も満足に使えない、ほとんど素人。それくらいの素人でないと、この町では自由に動けない。
魔女の一人がひきつったように顔をこわばらせると、視線で二人を促した、慌てて、二人はその視線の先を見つめたが、ぎゅっと視線を戻すと、小声で囁きあった。
「鉢巻をした子供、mkの報告書の子だ」
「どうしよう」
「うっかり気づかなかったってことにしようよ」
「でも、ばれたらあたし等が殺されるよ」
「どっかで、上の奴らが監視しているかもしれない」
三人は決心すると、何気なさそうに小夜乃に向かって歩く、ポケットにはナイロン袋に入れたハンカチ、クロロフォルムが滲みこませてある、先頭の魔女が駆けだした、ポケットからハンカチを抜き出す。
小夜乃が立ち止まり、先頭の魔女をじっと見つめる、ハンカチを掴む魔女の手が小夜乃の口元に近づいた瞬間、小夜乃は両手で魔女の手首を掴むとすとんと姿勢を落としつ体の向きを反転させた。ふわりと魔女が投げ飛ばされる。
小夜乃が二人の魔女をぎゅっと睨んだ。
「悪いことはだめです」
小夜乃が強く言った。
「人と生まれたからには、常に善悪を考え、善を為すこと。自身の行為が悪であるならば勇気をもってその行為を中止しなければなりません」
年下の女の子に真っ直ぐに諭され、二人は自分自身の情けなさに座り込んでしまった。
小夜乃は振り返ると投げ飛ばした魔女の手をとり、体を起こす。
「あの、ごめん、ごめんなさい」
手を取られたままの魔女が涙ぐみながら小夜乃に謝る。
亜矢さんと同じ匂いがする、複雑なハーブの香り。この人たちも魔女。そうなら、これは亜矢さんが術を教えてもらえるための人質を穫ろうということだ。
小夜乃は先ほどの食事の後、なよが言っていた言葉を思い出した。亜矢が教わった術を伝えることを拒否すれば、殺されるかもしれないということを。このまま自分が電車に乗って行けば、このお姉さんたちは殺されるのだろうか。もしも、一緒に行って、魔女の人たちに、こういうことはやめてくださいって言えば。

すっと、幸が刀を空から取り出した。
「やぁ。どうしたんだい」
男だ。杖を器用に使い、男が駅からやってきた。
幸が慌てて刀を消した。
「お父様。どうして、ここに」
小夜乃が驚いて言った。
「鉢巻して気合い入れて出かけるのを見たからさ、危ないことがないようにと駅に先回りしたんだけど、駅に着く以前に危ないことが起こってしまったとはね」
男は気楽そうに笑うと、小夜乃と魔女のすぐ横にしゃがんだ。
「お姉さんの手首、離しなさい。鬱血しそうになってるよ」
慌てて、小夜乃が手を離した。
「ごめんなさい」
小夜乃が魔女に頭を下げた。
「あの、こちらこそごめんなさい」
後の二人もやってくると、ごめんなさいと小夜乃に頭を下げた。
「あの、いえ、こちらこそ」
少し戸惑いながら小夜乃が答えた。
男はほっとしたように小夜乃を見て言う。
「小夜乃は今日何処へ出かけるつもりなのかな」
「亜矢さんのお宅へ行く予定だったのですが、お父様、この人たちに命令した人のところへ行って、悪いことを命令するのはだめですって言いに行く方がいいのかなと思っています」
「なるほどね、父さんにはそういう発想はなかった、勉強になるなぁ」
男はしゃがんだまま、小夜乃を見上げた。
「その役、父さんにくれないかな がつんと大きな声で言ってくるよ」
「でも」
「大切な自分の娘が決して安全でないところへ行こうとする、それを見送るのは辛いよ それに父さん頑張って言うよ、だめなものはだめですって」
小夜乃は男の口から大切な自分の娘と言われたことがとても嬉しかった。
「お任せしてもいいですか」
「もちろん だから、亜矢さん宅に行っておいで」
小夜乃は幸せそうに頷くと、頭を下げ行ってきますと言った。
男は小夜乃を見送ると立ち上がった。幸がぎゅっと男を抱きしめていた

「ごめんなさい、お父さん」
幸は男が声をかけなければ、三人の魔女の首を切り落としていただろう。
すぐに幸が姿を消した。小夜乃を追ったのだった
展開についていけず、三人の魔女は男を見つめていた。
男は目の前の魔女をみつめると、にっと笑った。
「洋子さん、近くの駐車場に車を停めてあるだろう 協会まで送ってくれないかな」
魔女は頷いた次の瞬間、男が自分の名前を呼んだことに驚いた。
男はいたずらが成功した子供のように笑顔を浮かべると、杖を頼りに立つ。
「道々、何故、魔女になったのか、幸恵さんや詩織さんにも教えてもらおう」


「これはなかなか」
洋子の運転でやってきたのは、カトリックの教会だった。
およそ三百台の駐車場、その端に車を停めると四人は駐車場奥の小径を歩く。
昼下がりの木漏れ日が小径を降り注ぐ。
「これはお弁当がいるね。ピクニック楽しいだろうな」
気楽に男が言う。
道の向こうから、結婚式下見の男女が歩いてくる、とても楽しそうだ。
すれ違う、男がにっと笑って手を小さく振った。すれ違う二人が笑顔で頷いた。
「教会だから結婚式もやっているんだね」
緊張した顔で洋子が頷いた。
五分も歩いたろうか、白亜の教会が見えてきた。
青空のもと、教会は清らかであり、神聖な場に見えた。

四人は歩き、教会の裏側へ回り込む。裏側は垂直の外壁、普通にあるビルディングである。中央の自動扉を入る、エントランスの向こう、エレベータだ。
「三階です」
詩織が言う。
幸絵が思い切って言った。
「ごめんなさい、あとは私たちでなんとかしますから、ここから帰ってください。上の人たちはとても怖い人たちで、呪いで人を殺すことも平気です」
洋子も言った。
「私たちが言えることではありません、それはわかっています、でも、さっきの女の子の言葉で思いました、私には勇気が足りませんでした」
洋子の言葉に二人も頷いた。
男がそっと笑みを浮かべた。
「なかなかねぇ、私もそれじゃあとはよろしくって言えないんだよ。あの子は必ずお姉さんたちどうでしたかと私に尋ねる。途中で帰ったから知らない、これでも父親だからさ、そうは言えないよ。それに、そんな怖い上司のところへ、君たちは意見を言いにいくわけだ。勝算はあるのかい、上司がなるほどと頷いて君たちを無事解放してくれると思えるかい」
三人が沈んだ面持ちで俯いた。
「年を取ると、若い人のまっすぐが眩しいなぁ。さて、私は娘に約束した。悪いことはだめですって言ってくるってさ」
男は左手でエレベーターのスイッチを押す、ドアが開いた。男がエレベーターに入ると、それを追うように、三人もエレベーターに入る。洋子が唇を引き締め、3Fを押した。

エレベーターが降下していく。
慌てて洋子が何度も3Fのボタンを押す。
「大丈夫だよ」
男が一瞬、子供のような笑顔を浮かべた。
「地下の貴賓室に招待してくれるのさ」
やがてエレベーターが止まり、ドアが開く。
薄暗い地下の、鍾乳洞のような世界が広がっていた。男がエレベーターを降りる、三人もそれに従った。
杖を、男が半分エレベーターに残るように転がした。
洋子が呟く。
「エレベーターのドアが閉まりきらないように」
「いや、ただの嫌がらせさ。ドアが閉まったり、開いたり、楽しいだろう」
エレベーターが繰り返し開閉する音を背に四人が歩く。辺りは湿り気を帯び、かすかな明かりは、古びた街灯が、それも石油ランプのような古風なランプがいくつも辺りをほのかに照らしている。
「天井もかなり高い、街を模したシェルターみたいだ、三階建ての家が十分に建つ高さだね、魔術で掘ったんだろうな」
詩織が悲鳴を上げた。
視線の先に何か人型のものが斜めに転がっている。よく見るとあちらこちらに打ち捨てられた卒塔婆のように立っている。
男が近づいて見てみる、
「処女の棺だ。魔女裁判で使われたものだよ」
男が戸惑いなく棺を開ける、内側には無数の太い針が中に閉じ込められた魔女を串刺しにする。男は中の太い針を一本折り眺めてみる。
「レプリカだね、あんまり良い趣味じゃないな、こういうのって」
「あ、あの」
女の子三人、怯えて今にも座り込んでしまいそうだ。
「魔女が魔女を拷問するための道具を揃えている、ま、もっとも、キリスト教の教会を隠れ蓑にしているくらいだ、これくらいの矛盾はどうってことないんだろうね」
「これは現実なんでしょうか」
「実際に起こっていること、という単純な意味では現実だな、エレベーターの設置は魔法じゃない、専門の業者さんたちが足場を作ってしたんだろうな、業者さんたちの戸惑う顔が浮かぶなぁ」
女の子三人、辺りを見渡す。いくつもの拷問器具を立てたり、転がしたり、雰囲気作りをした人たちの様子、多分、どれ一つも一人では運べないだろう、エレベーターに載せておろして、三人くらいで持ち上げて運んだのだろうか、そんな風に考えると、少しずつ恐怖心が和らいでいく。男はそんな三人を見ると、楽しそうに笑った。
歩く、遠くに灯りのともる家が見えた。
「あれだな。洋子さん、詩織さん、幸絵さん」
「はい」
「おへそのちょっと下、ぐっと力を入れなさい、そうすれば気持ちが収まる。あとは、私がいるから大丈夫だよ」
三人は不思議な気分でいた、なんといっても、自分たちが誘拐しようとした女の子の父親だ、怒りの矛先を向けるでもなく、楽しんでいるようにすら見える、それに、そんな男を今では自分たちはすっかり信頼してしまっているということだ。
男が洋館の大きなドアの前に立つ。二階建てのイギリスの少し田舎辺りにあるようなレンガ造り、暖炉の煙突もレンガで作られてあり立派だ。男が軽くドアを叩く。
「旅の者にございます、道に迷い難渋しております、どうか、戸を開け、暖をいただけないでしょうか」
中から年を取った女性の声がした。
「それはそれは、さぁ、ご遠慮なくどうぞ。鍵はかかっておりませんわよ」
洋子は男が片腕なのを思い出し、ドアのノブに手を伸ばしかけたが、男が首を横に振った。そして、視線で三人に自分の後ろに下がれという。素直に三人が男の後ろに控えた。男がノブを回し、ドアを少し開けたところで、思いっきりノブを押し込みドアを閉めた。
爆音だ、ドアが揺れ、耳を劈く獣の咆哮が辺りの空気を震わせた。
「さてと。もう、いいかな」
男が何事もなかったかのドアを開ける。
ドアの大きさそのままの犬の首が大きく口を開けたまま上を向いていた。
「ケルベロスの首を一つ切るとは、動物愛護団体に叱られますよ」
中央には細かな彫刻がふんだんに飾られたテーブル、その奥に一人の女性が腰かけていた。シスターの衣を身にまとった、それが協会の最高指導者グランシスターだった。
男とシスター笑顔で会釈をする。
「お騒がせてしてごめんなさい、女の一人暮らし、物騒でしょ」
「そうですね、この頃は世の中もぎすぎすして、随分と暮らしにくくなりました」
男は振り返ると、女の子三人に入るよう促した。
おずおずと三人が入ってくる。
「あらあら、この子達。どんな子を連れてくると思っていたら、殿方をお連れするとは、最近の子は困ったものだわ」
「いやいや、この子達を責めないでやってください、実は私の末っ子が彼女たちに連れ去られそうになりましてね、大事な娘を怖い魔女に連れ去られては大変と私が娘に代わりやって来たわけです。片足で疲れました、座らせていただいてもかまいませんか」
「きづかずにごめんなさい、どうぞ、お座りになって」
シスターの言葉に男は正面の椅子に座った。
「もう少しお話をさせていただきます。末っ子からの伝言です。人として生まれたからには善を為せ、もしも、己が行いが悪であるなら、勇気を持って悪と決別し善を為せ。以上です」
シスターは困惑したように目を見開いていたが、いきなり、大笑いをした、腹がよじれる、そんな下品な笑いだった。


男は気にした様子もなく、静かに眺めていた。ようやく、シスターの笑い声が収まる、男は何も言わず、微笑んだままだ。その様子にシスターの気が障った、シスターが男を睨みつける。それでも男は笑みを浮かべたまま喋らない。
ふと、男が今気づいたとでもいうように唐突に言った。
「あぁ、私の順番でしたね、ここは私がうちの娘を馬鹿にするのかと怒って、あなたが上から、社会のそもそも論を展開するという流れでしたか。このやり取りを考えれば。これは失礼」
シスターが容姿からは想像のつかない低い声で囁いた。
「いけ好かない男ね、呪うわよ」
「およそ百八十年前」
男がいきなり呟いた。
いったい何を言いだすのかわからず、シスターが半分口を開け男を見る。
「あなたがこの国に来た時、魔術はキリスト教よりもはるかに古い生活の知恵だった。自然、いえ地球と表現するほうがいいかな、地球と密につながる方法だった。若いあなたはすべての人が幸せであるようにとこの国にやって来たはず。人は年を取るほどに我執にとらわれ保身を図る、人の寿命は頑張っても百年と少し、人はそれくらいで死ぬ方が地球だとか、環境だとか、自然だとかには良いのかもしれませんね」
「お前、何者だ」
シスターがいきり立ち、男を睨みつけた。
男は両腕を組み、かすかに首を傾げる。
「哲学的な問いですね。生まれた瞬間から、人は何かを学び、自分自身を作っていく。私はいったいどんな自分を作って来たか。改めて考えると、若気の至りとでも申しましょうか、恥ずかしいことばかりです」
目を瞑り、少し俯きながら男が感慨深く言う。
洋子たち三人は二人のやり取りに立っていられず、しゃがみ込んでいた。
グランシスター、協会で一番偉い人、独裁者と言ってもいい、誰も彼女の前では恐怖にひれ伏す、なのに、まるでグランシスターを小ばかにしたように返事をする男。
「お前に呪いをかけます」
グランシスターが叫んだ。男が目を開け、にぃいと笑った。
「では、私もあなたに呪いをかけて差し上げましょう」
男は先ほどの棺の針を差し出した。
「この針を地下の迷宮から、およそ八十メートルの岩盤を貫き、地上三階、執務室のあなたのところへお送りします」
針が消える、次の瞬間、グランシスターの額寸前に針が浮かんでいた。
「なに、なによ、これは」
「もしも、あなたが」
男が囁いた。
「ごほ、げほ。あれ、風邪かな。に、あれば、その針はあなたの額を割り、脳を貫通して、飛んでいきます。もしも、それを避けたいのであれば、ごほっ、やっぱり、地下は湿気が多いのかな、であれば、それを避けることができます。ご理解いただけましたか」
「なによ、消しなさい。こんなことをしてただで済むと思うの」
グランシスターが顔をまっかにし叫ぶ。男は、特に気にするようすもなく、テーブルの掛布を取り除いた。テーブルには一面に巨大な魔方陣が描かれていた。
「それに触るな」
グランシスターがありったけの声で叫んだ。

「えっと、これかな」
男が魔方陣の一部を掛布でごしごしと消した。グランシスターの声が消えた、姿だけがある、口角泡を飛ばし、両腕を振り上げている。男はもう一角の文字と内側の円をほんの少し消す。
「これでこちらの情報も向こうへ伝わらなくなった。やぁ、ほっとするね」
「あ、あの。これで良かったのでしょうか」
戸惑う洋子の言葉に男は笑みを浮かべた。
「これから、たくさんの魔物が襲ってくる。頑張って戦おう」
「ええっ」
三人の言葉に男が嬉しそうに笑った。
「と、言いたいけれど、君たちだけ先に地上へ返しておく方がいいかな、それじゃ」
こんこんと扉を叩く音が聞こえた。
三人がおびえたように扉を見つめた。
「旅の美少女です、道に迷い難渋しております。どうぞ、お助けくださいませ」
「どうぞ、お入りください」
男が答えた。ゆっくりと扉が開いていく。唇を震わせ、三人が小さく縮こまる。
「無茶ですよ、師匠は。お父さんを手伝って来いと穴に蹴り飛ばされました」
漣は尻もちをついたのだろう、お尻をはたきながら屋敷の中に入って来た。

「お父様、この方たちは敵ですか、すとんと首を落としておきますか」
「もしも、そういったことをすると、帰ってから、ここへお座りただけますかの一言を皮切りに、末っ子の説教が始まる。人として生まれたからにはと」
男が深刻な顔をして言った。一瞬、漣の体が震えた。なよを前にこんこんと説教を続ける小夜乃の真剣な表情、前に座る泣きそうななよの表情。
「いたずらに生命を奪うのはよくありません、妹に説教されるのは嫌ということとはかかわりなく」
「お父様、この方は」
漣が指さす。グランシスターが大声で呪文を唱えている、声は聞こえないが。
「魔法使いの、ここで一番偉い人が、なぜか父さんのことに腹を立てて、これは召喚魔法だな、たくさんの魔物をこの屋敷の周りな集めているんだ」
ふと、漣は気づいた、その魔女の額、寸前に大きなとげのようなものが浮かんでいる、手を伸ばしかけて、漣はそれは立体映像であることに気が付いた。
「こめかみ、血管が破裂しそうですよ。お父様はいけ好かない奴を怒らせる天才です」
「ちょっと呪っただけであんなに怒るなんてね、ご自身はさんざん人に呪いをかけてきたのにさ」
漣が愉快に笑った。
「師匠に蹴落とされて最低と思っていましたけど、なかなかのご褒美です。楽しくなりそうです、そうだ、これは」
漣が興味深そうにケルベロスの頭を眺めた。
「地獄の番人と言われる頭三つの犬、ケルベロスだよ」
ふと、男が扉の向こうに視線をやった。
「ケルベロスの本体も召喚されてやってきたようだ。ひのふのみの、十一体、そろそろ、グランシスターも限界だろう、外へ出てお歴々面々ご尊顔拝するかな」
男はしゃがみ込んでしまった三人に声をかけた。
「一緒においで。この屋敷は咢だ。このままここにいたら、魔物の胃袋へ入ってしまうよ」

「これは壮観です」
漣が犬の頭を引きずり出し、見上げる。三階建てのビル、それくらいの高さだろうか、様々な形をした魔物が屋敷を囲み男と漣を見下ろしていた。
「四角い岩をいくつも切り出して組み立てた人型したのも、魔物でしょうか」
「一つ一つの岩に霊を憑依させて組み合わせたものだ。それぞれの干渉力を切れば、ばらばらの岩に戻るよ」
「つまり細かく切っちゃえということですか」
「そうだね、もしくは解呪術で繋がりを解くかな」
「解呪術は教わっていません。ですから、切ります」
「蛸に似たのもいるねぇ、旧支配者を模したのかな、ちょっと切りにくいかな。ま、それぞれの特徴を捉えてさ、楽しんでください」
漣がにぃぃと笑みを浮かべ、頷いた。
「奴らは睨むだけでどうして襲ってこないのでしょうか」
「その理由は簡単、彼らの立場になって考える。召喚されてきたけれど、足元に一匹の蟻。召喚者はこれを倒せと命令した。えっと、これって踏みつぶせばいいのかなぁって戸惑う方が当たり前だろう」
「では、びっくりさせてやります」
漣が右足のつま先でとんと地面を叩いた。

「こんなの、どう報告すればいいんだ」
洋子が思わず呟いた。
「報告しなければいいんじゃないかい」
いつの間にか男が洋子の隣に立っていた。
漣が飛びあがり、白い棒で岩のゴーレムを一刀両断する、そのまま、返す勢いで、隣の黒くうごめく何かを払う。
「あ、あの」
洋子は怯え、上目づかいに男を見る。
「わかっていましたか」
男は頷くとにっと笑った。
「駅で待ち伏せをしているときからね」

男はにっと笑みを浮かべた。
「扱いは他の二人と一緒だ 危害は加えないよ」
言い残し、男は隣りへ、そして辺りを見渡す。
「助かった、ありがとう」
「どういたしまして。あと、ケルベロスはどうしますか」
後ろで低くうずくまっている、出遅れたせいで、刃の餌食にはならずにすんだようだが、漣の気迫にすっかり怖じ気ついていた。
「首を返してやるかな」
漣は頷くと自分の身長より遙かに大きいケルベロスの頭の耳を両手で抱え、放り投げる。
「精霊の体を繋ぐのはそれほど難しくはないんだ」
男はとんとんと器用に瓦礫の上を渡るとケルベロスの前に立った。慌てて漣も男に駆け寄る。
男が呟く。
無は呪を唱えず、ただ、強く意念を用いるのみ
男の呟きに呼応したかのように、ちぎれた首が動き出し、元通り首が繋がる。
「どうする、ペットとしてこの子を飼うかい」
「笑さんの竜之介や、それから実朝みたいにとも思いますけれど、うーん」
漣は首を傾げ考えたが、あっさりと答える。
「やっぱいいです。門番がいなくなっても困るでしょうから」
「なら、このままでいいだろう、魔女も寝込んでしまったし、呪文の力も消えた、そのうち、自力で帰るだろうさ」
男と漣は三人のもとへ戻った。
「さ、帰ろうか」
五人が元のエレベーターまで向かう、エレベーターの入り口は開いたまま止まっていた電源そのものが切られてしまったようだ。
男が手前の岩肌をこんこんと叩く。
「これかな」
岩壁の少し突き出した部分を両手で掴みぎゅっと回す、岩壁が扉のように開き、そのすぐ奥に梯子が見えた。
男は一歩前に進み見上げる、梯子が闇の中へ消えていく。
男は振り返ると三人に言った。
「洋子さん、幸恵さん、詩織さん、三人、頑張って梯子を登ってください 私は上から攻撃されないように先に上に登りましょう」
男が漣に向き直り言った。
「三人が落ちそうになったら支えてくれるかな」
漣が頷く。
「お父様には絶対服従でございます」
漣がにぃっといたずらげに笑みを浮かべた。
「いや、そういうのはいいよ」
男は困ったように苦笑いを浮かべると小さなガラス球を取り出した。ふっと球の中に小さな炎が灯る、男は漣にそれを渡すと浮き上がり闇の中へ消えていった。
「どうぞ、梯子を登ってください」
漣の言葉に洋子が梯子に手を伸ばした。闇の中、漣がガラス球を軽く放り投げる。ガラス球はふわりと浮き手元を照らす。
三人が梯子を登り始めた。
最後は詩織だ。漣は詩織の下を、三人が登るのと同じ速度で浮かび上がっていく。

漣は男が何故、自分の名前を呼ばないのかを理解した。先頭の洋子が滑らかに登っていく、左右のぶれがないのだ。他の二人はあきらかに力味過ぎている。
それでも男が三人を同じように扱っているなら、漣は今はそれを指摘するのはやめておこうと思う。
「急いでください。あまり、ゆっくりしていると酸素や筋肉の乳酸の都合で落ちてしまいます」
漣としては、受けとめられないかもしれませんよの一言も加えたいところだが、男を困らせないように言うのをやめておく。

漣は必死になって登る幸恵と詩織を同じ速度で浮かびあがりながら見る。魔女の服装だけれど、全くの素人だ、好んで魔女になったようには思えない。お父さんの関りかたを考えるなら、魔女から抜けだそうとしているのだろう。二人とも息が荒い。それもそうだろう、多分。半分は来た。
瞬間、後を登る詩織の左手が梯子を掴みそこねた。ぐらりと揺れる詩織を漣が支えた。
「ごめんなさい」
「謝る必要はありません。早く登ってください」
「はいっ」
体勢を整え、詩織が梯子を掴んだ。
男は穴の一番上で、四人を待っていた。最初に洋子がやってきた。
「おつかれさま」
男が気楽に声をかけた。洋子が息を整えて言った。
「あの、えっと。ありがとうございます」
場違いなほど、気楽な男の言葉にどう返答すればいいか、戸惑ったのだ。
「えっと、このあとは」
「ここは結婚式場の祭壇裏側と繋がっている。みんなそろったら洋子さんの車で逃げよう、そして、うちへ来てくれ。場所は知っているんだろう」
「はい、わかりました」
洋子が頷いた。
「ところで、洋子さんはこういう仕事がしたくて警官になったのかい。潜入捜査は大変だろう」
一瞬、洋子は息を飲んだが、観念して答えた。
「父も母も警察官でしたから、子供の頃から自分も警察官になるものだと思っていました」
「なら、びっくりしただろうね。魔法だとかさ、わけのわからない奴らばかりで」
男が愉快に笑った。
「こんなの、警察の仕事じゃないですよ」
「確かにそうだな。もう何年になるかな、この国は鬼と戦うため、魔法使いや呪術使いを警察や自衛隊にとりこんだ、術者は喜んで自分達の術を彼等に教えた。強くなった鬼達に自分達だけで戦うのを恐れた、自信がなかったんだろうな。もともと、警察官も自衛官も体力はあるし、精神力も頑強だ。すぐに術も身につけて、今では、術師が彼らの下働きだ。もう、笑うしかないな」
「本当に鬼がいるなんて思いもしませんでした。まさか、警察官になって、呪文の練習をするなんて、考えられないです。もう辞たいです」
「鬼の存在は国家機密だ、ばればれでもさ。だから、辞めさせてはくれないだろうな」
「あの、叔父さんも術師なんですよね」
「ええっ、やだよ。失礼だな」
男がくすぐったそうに笑った。
男が下を見る。三人がやって来た。

男は後から来た三人にも、状況を説明した。
「洋子さんと幸恵さんと詩織さんは、とにかく車に向かって走ること、いいかな」
男の言葉に三人が頷いた。五人が地下から飛び出す、結婚式場だ、先頭を漣が走る。長机を飛び越え、外へのドアを蹴り抜いた。
綺麗に設え、色とりどりの花が咲き誇る中庭だ、振り返る、後ろを走る三人も息せききって駆けてきた、中庭を越え、森の小径を走れば、駐車場だ。
漣が、前を向き、微かに顔を上げる。
五、六、漣が呟く。
箒に跨った魔法使い、六人が漣をにらみつけていた。
にぃぃと漣の口元が笑う。
「投降しなさい」
中央の魔法使いが漣を見下ろし言った。
漣は無言で白い自在を取り出す。
「手加減はしてやろう」
次の瞬間、中央の魔法使い、箒の後ろに立っていた。回し蹴りが見事に魔法使いを壁に放り投げる。
顔面から魔法使いが壁に激突する。
鼻っぱしらが折れた。
漣が空に浮かぶ箒の上でとんとんと箒の柄を爪先でつつく。扇型に五人の魔法使いが漣に向きなおる、背にしていた弓を引き、鏃を漣に向けていた。五本の矢が放たれた。すいっと漣は避けるが、行きすぎた矢が反転し漣に向き加速する。
「ほぉ、キューピットの矢だ。久しぶりに見たなぁ」
「どうしましょう」
洋子が焦って言う。
「しばらく遊びそうだし、君たちだけ、先に車まで送ろう」
男はよれた背広の上を片手で器用に脱ぐとすいっと空に投げる。
「あちらが魔法の箒なら、こちらは魔法の絨毯といいたいところだけれど、これでがまんしてくれ」
背広が反転し、三人を後ろから拾いあげる。
「それじゃ、後でね」
男が笑う。
三人を載せた背広が駐車場へと飛んだ。
漣はというと、気分よく箒の上でゆらゆら踊っている。五本の矢が縦横無尽に漣を貫こうとする。するすると漣が矢を擦り抜ける。
魔法使いは理解できないものを見るように呆けてそれを眺めていた。
「そろそろ行くかな」
男が呟く。そして唸る、調子が遅く早く変化する、大量の呪文を効率よく唱えるための、中間言語だ。5本の矢がすとんと下に落ち、どすんと5人の魔法使いがまっさかさまに地面に落ちた。
「なよの解呪法は効くなぁ」
男は呟くと、漣に声をかけた。
「さぁ、行くよ」

漣は箒から降りると男の前にやってきた。
「さぁ、帰ろうか」
漣が頷く。男は自在を出すと杖がわりに歩く。漣は半歩後ろ、男の後ろを歩いた。後ろからの攻撃に備えてだったが、落ちた魔法使いたちに攻撃の意思はなかった。十数年、厳しい修行を経て、やっとのことで得た魔法が一瞬の後、使うことができなくなったのである、二人の存在など、もう、彼らの頭の中にはなかった。
「お父さん、誰も攻撃してきません」
「触らぬ、なんとかには祟りなし。自分たちが干渉しなければ、無事でいることができると判断したんだろう。正解だと思うよ」

駐車場に至る木漏れ日の小径を歩く。
連は男の後ろを歩きながら思う。中肉中背、少し疲れた風のある男性、たまに無精髭の生えているときもあるが、髭は似合わないからと剃るのを心がけているようだ。ズボンの裾はよれている。師匠が言っていた。服の替えは三着、それを着回している。お洒落には程遠い。靴は底に穴が開いたら新しい靴を買う。黒が言っていた。右でも左でも履ける靴があったらいいね、そうしたら、二倍使えると言っていたと。少なくとも見た目には、とても、なんだかなぁという人だ。でも、師匠にしても、黒にしても、お父さんが大好きだという。百歩譲って、そうだ、恥ずかしそうに笑うときがある、その時はちょっと可愛いかなと思わなくでもない。それを言えば、こんなおっさんに可愛いなんて言わないでくれよと困惑するだろう。
ふと、男が小径傍の赤煉瓦の花壇に腰を降ろした、俯いている。
「どうしました、お父さん」
「ちょっとね」
男は呟くと左手で胸、心臓の辺りを押さえた。慌てて、連は男に駆け寄ると顔を覗き込んだ。男の顔が土気色をしていた。
「はしゃぎすぎたかな、かっこ悪いなぁ」
「師匠を呼びます」
連が叫んだ。
「いや、それよりも。父さんの背中、両手で押さえていてくれないかな」
慌てて、漣が男の背中を押さえる。漣の手のひらが暖かくなる、男の手のひらから、強い気が放たれ、それを漣の手のひらが返す、それによって、冷たく止まりかけた男の心臓が動き出した。
「やぁ、もう大丈夫だ。漣、ありがとう」
漣が唇を噛み締めて、ぎゅっと男を睨みつけた。
「お父さんは本当に本当にです」
言葉が続かず男を睨む。
「心配してくれて、漣、ありがとう」
男が困ったような恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

漣は不思議に思う、男と二人、赤いブロックの花壇に腰掛けて座っている。考えてみれば、漣は、こうして男といるのは初めてのことだった。
「漣」
男が言った。
「はい」
漣は返事をすると、男に向き直った。
「街路樹の葉に日差しも和らいで、外をぼぉっと座っているのもいいもんだね。これで、あさぎのお弁当でもあったら最高だな」
「お父さんはのんびりしすぎです」
男は笑うと素直に頷いた。
「もっともだな、その上、はしゃぎすぎて死にそうになるし、かっこ悪いなぁ。でも、漣がしっかりしてくれているから安心だ」
「安心してください。骨は拾って差し上げますから」
「気が早いなぁ。うちに帰ったらおとなしくしているよ」
男が楽しそうに笑う。
漣は不思議に思う。のんびりと日向ぼっこをしているこの人は、魔女協会の大物に呪いをかけたり、空を飛んだり、あの魔法使い達を無力化してしまったり、外見とは違い凄い人なのだ。
自分をじっと見ている漣に男が気づいた。
「どうしたんだ、漣」
「お父さんがイケメンでなくて本当に良かったです」
「イケメンじゃないのは自分でもわかっているけれど、娘からまっすぐに言われるのはきついなぁ」
「でも、お父さんがイケメンだったら、師匠となよ姉さんの間で、お父さん取り合いの戦争になりますよ。世界が滅びるかもしれません」
「なるほど、戦争を未然に防げているのは父さんのお陰だ」
「はい」
男が楽しそうに笑った。
「漣は面白いことを考えるなぁ、そういえば、漣はどうして、幸を師匠と呼び続けるんだい」
「それは」
初めて、漣が口ごもり俯いた。
男はそんな漣を見て、呟いた。
「心配する必要はないよ」
男は前を向き、視線を漣から外した。
「漣がうちに来た理由は鬼と戦う力を得るためだ。で、その力は充分に得たはず」
漣が息をのんだ。
「師匠と呼ぶのは、まだ修行中ですと表すためじゃないかい、ここにいることを自分に納得させるためのさ」
男の言葉に漣が唇を噛む、顔面は蒼白だ。
男は漣に顔を向けると笑顔で言った。
「鍾馗の長がやってきたら、父さん、長の前に立ってさ、おもいっきり仰けに反って、顔を睨んで言ってやろうと思うんだ。漣は私の娘です、私の家族ですってさ。漣。父さん、そう言ってもいいかい」
「あ、ありがとうございます」
漣が身を乗り出して、男に言った。しかし、自分の大声に照れたのか、両手で自分の顔を隠す。
「うわぁ、恥ずかしいです、節操のないことを言ってしまいました」
男は笑みを浮かべると、正面を向いた。
「うちの家族は誰一人血が繋がっていない、面白いものだなぁ」
男は呟くと目をつぶる。瞼をすり抜け、柔らかな日差しが届く。ふと、影になる。
「お父さん、握手です」
漣が男の前に立ち、左手をまっすぐ男に差し出した。男も手を差しだし、手を握った。
「ありがとう。漣、これからもよろしく」
「こちらこそです。血の繋がっていない家族はたまに握手をする必要がある、お父さんが前にそう仰いました」
「そうだったね、父さんもたまには良いこというなぁ」
「たまにはです」
にっと漣が笑みを浮かべた。

もうしばらくしたら歩けるようになるからと、男が花壇の赤いブロックに座り続ける。漣はちょっと嬉しそうに男の横に座りなおした。
漣がふふんと鼻歌を歌う、こんなことは初めてだ、よほどに安心して楽しいのだろう、そして、自分が鼻歌を歌っていることに気づき、顔を赤らめ俯いた。
「漣、男はね」
「はい」
「歳をとると言わなくてもいいことを、言うようになるものなんだ 漣、鼻歌、うまいじゃないか」
「ひどいですよ、お父さんは」
一層に漣は顔を赤らめた
「そうだ、漣。小夜乃から言祝ぎ歌を教わりなさい。この歌はこれからの漣を助けてくれるだろう」
漣は小夜乃が歌をうたうのを聴いたことがある、聴いているだけで、気持ちがふわっと軽くなったのを思い出した
「言祝ぎ歌には大の歌四曲、中の歌が二十四曲、小の歌は七十二曲、合わせて百の歌がある 四季二十四節気七十二候に準えたものだ。修得の困難と地味さで、すべてを歌うことのできるのは小夜乃と父さんだけ 幸も中の歌までは覚えたんだけど、途中で飽きてしまったからさ 折角だから、師匠を越えてくれ 小夜乃と上手く和音を響かせることができれば」
男はふっと言葉を止め、後ろを振り返った
「洋子さん、警察へ向かっているようだ」
「うちに来るはずだったのでは」
「そうなんだけどね こんなわけのわからないおっさんよりも、警察に行くのが当たり前だろう、洋子さん自身、警察官でもあるからね」
漣は洋子の姿を思い出す、なにかしらの訓練を受けた人だとはおもったけれど、そうだったのかと思う。でも、それだからといって納得はいかない。
「恩知らずですよ」
「別に恩を売るつもりもないし、元々、小夜乃を誘拐しようとした人たちだからね。まぁ、いいよ」
「誘拐、そんな話は聞いていません」
「うん、言ったら、多分、漣は手伝ってくれないだろうなと思ったからさ」
男が楽しそうに笑った。
「笑い事ではありません。それを知っていれば」
「ただね、小夜乃はその三人を許してしまった、それじゃぁ、しょうがないよ」
いたずらが成功した子供のように男がにっと笑った
あきれたように漣はため息をついたが、ま、いいですと呟いた
もう一度、男が振り返る。
「おや、信号待ちで幸恵さんと詩織さんが車から飛び出した、うちに向かおうとしているようだ」
漣はふんと顔を逸らす。
「漣は二人の顔がわかるだろう、二人をうちへ連れてきてくれないかな、すぐに警察が追ってくるだろう」
「だめです。師匠からお父さんを守るよう命令を受けました」
「でも、もう助けてもらったよ」
「うちに帰るまでは命令は継続しています」
漣が向こうを向いたまま、男の上着の裾をぎゅっと握った。
「それじゃ、黒に頼むか」
漣は振り返ると大きく頷いた。
「黒はうちで一番人当たりがいいです。黒が適任です」
「漣もわかりやすいなぁ」
男は笑うとゆっくりと立ち上がった。
「三人には魔女の呪いがかかっている。薬を使った深い暗示だ。警察にその暗示を解くことができればいいんだけどね」
漣も男の上着の裾を掴んだまま、立ち上がる
お父さんを確保です」
捕まってしまったのならしょうがない、ぷらぷら、駅まで歩いて、電車乗って帰ろうか」
漣が嬉しそうに頷いた
そうだ、駅前でうどんでも食おう、あさぎには内緒でさ」
漣が満辺の笑みで、男の背中に額を押しつけた

街の中央、多くの車が行き交う、平行する歩道にもたくさんの人だ、多くの店が並び、立ち止まる人も多いため、二人、詩織と幸恵が急ごうとしても、なかなか進めない。
警官だ、二人の警官が幸恵と詩織の前に現れた、慌てて立ち止まり、振り向き方向を変えようとしたとき、二人は警官がもう二人、自分たちのすぐ後ろを追っていたことに気がついた。
「少し、お伺いしたいことがあります、署まで御同行願えますか」
警官の一人が穏やかに言った。
「あ、あの、私たち約束があるんです」
「それほど、お時間はかかりません、終われば、約束のところまでお送りいたしましょう」
警官がにこやかに笑顔を浮かべた。
ふいに女の子が二人の警官の間から顔を出した。
「お姉さんたち、詩織さんと幸恵さんかな」
おどおどと、二人がうなずいた
黒だ、黒は警官の前に出ると、二人に言った。
「お父さんからお二人をうちに連れて来てくださいって連絡をもらったから、迎えにきたんだ、さぁ、行こう」
「ちょっと、君」
警官が黒の肩を叩いた。
黒があっさりと振り返る。
「こんにちは」
黒が愛想良く微笑んだ。
「このお嬢さんたちは警察に来てもらいます。用事が済めば君のところに二人を送っていってあげるよ」
「うーん」
黒は俯き、しばらくして、顔を上げた。
「多分、おじさんは悪い人じゃないと思う。でも、おじさんは上司が悪い命令をしたとき、まっすぐ、その命令を断ることができるの」
黒がまっすぐに警官の目を見つめた。
一瞬、警官の目が泳いだ。
黒は笑みを浮かべると、警官の両手を取り、右手と左手を指を絡ませ握らせた。
「おじさんは三十分間、このまま、自分の手と手を握っていてください」
そして、隣の警官の片腕を取り、先ほどの警官の腕の間を通し、同じく、手を握らせる、あとの二人も同じく両手を握らせた。
「みんな、三十分間そのままです」
四人の警官が笑みを浮かべたまま数珠つなぎになる。
黒は詩織と幸恵の手を握ると歩きだした。
「えっと、あの、今のは」
「ただの暗示です。三十分、経てば意識を取り戻します」
「おおい、黒、ここだよ」
啓子が道路の端に停めた車の前で、手を振った。
黒は走ると、車の後ろ座席へ二人を座らせた。
「啓子さん、迎えにきてくれてありがとう」
啓子が援農用使っている古い軽バンだ。後ろの荷物置きには農作業用の道具が積まれていた。
「ついでだよ。今日は先生ちに泊まる日だからさ」
啓子がエンジンをかけ、車を走らせた。
「黒。二人はどちらさん」
「詩織さんと幸恵さん。詳しくは知らないけれど、しばらく、うちで暮らすことになると思う」
「あの、初めまして」
詩織が思い切って啓子に言った。
「初めまして。私は啓子。あんたたちもなんだか訳ありのようだね」
運転したまま、啓子が言う。
「ま、先生ちに来るなんて、余程のわけでもなきゃ、来ることもないか」
黒が楽しそうに笑った。
「啓子さんもそうだよね」
「黒もな」
啓子がにっと笑って答えた。


後日談

ほっと一息ついて、漣が窓の横、喫茶店のテーブルにつく。朝十一時からお昼二時までのランチタイム、あさぎの手伝いだ、ウエイトレスを勤め、少し暇になったこの時間、やっと椅子に座ったのだった。
あさぎが紅茶とケーキを漣のテーブルに置いた。
「お疲れさま」
「あさぎ姉さん、ありがと」
漣は座り直すと、あさぎに笑みを浮かべた。
あさぎも漣の前に座る、
「漣。なんだか、明るくなった気がするよ。お客さんとも楽しそうに喋るし」
そうかなぁ」
漣が柔らかな表情で答えた
それは小夜乃の件で、男と漣が家に帰ってきた次の日だ、男は漣を連れて鍾馗の国へ赴き、漣を正式に養女として迎える意思を長に伝えたのだった
でも、なんだか、いま、とっても、いい感じなんです」
少し恥ずかしげに漣は自分自身に語りかけるように呟いた
あさぎは漣の顔がとても柔らかくなったと思う、父さんは詳しいことは語らない、
ふと、漣は窓の外に何かの気配を感じた、いや、気のせいかもしれない、そんなとても小さな違和感だ。
「漣、お客さんだ。いや、漣のお客だ」
いつのまにか幸が漣の横で、窓から下を見下ろしていた。漣が向きを変え、幸の横で窓から下を覗きみる。
子犬だ、白い、両掌に載りそうな小さな犬がこちらに向かって座っていた。
くうん、くーうんと鼻を鳴らしている。
あさぎも窓際に寄って、見下ろした。
「なんだか、可愛い」
漣は窓から子犬を見下ろしていたが、腑に落ちないと幸に向き直った
「全く覚えがありません」
漣が幸に言う
「すべての存在には固有の振動数がある、姿形が変わってもな」
幸は、にぃぃと笑うと子犬の額を指差した。
「額に瞼があるだろう、三つ目の犬だ」
「まさか、ケルベロス」
「漣にこがれてやって来たんだろうな」

 

 

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遥の花 あさまだきの靄 二話

2018.07.20 更新
2018.06.30 更新
2018.05.26 更新

遥の花 あさまだきの靄 二話

るんるるん、にかにか、笑いがどうしてもこぼれてしまう。

食卓、亜矢は黒の隣の椅子に腰掛けた。お昼ご飯だ、自然に顔が笑いだし、両膝がリズムを刻む。
憧れの黒様の隣に座っているのだ。
長机を並べての昼ご飯。
「暢気な奴じゃのう、記憶が甦った途端、さばさばとしおって」
向かいに座るなよが亜矢の様子に呆れて言った。
「えへへっ、そんなことありませんです。母と戦うなんて、身を切られるように辛いです」
「それが、にかにかと笑って言う台詞か」
呆れたようになよが呟いた。
「それはしょうがありませんわ」
白が口を挟んだ。
「だって、亜矢は桜花淑女隊の一人ですから」
「なんじゃ、それは」
「黒姉を男から護り、同時に抜け駆けを許さない鉄の結束を持つ集団です」
「なんと、黒は宝塚のスターじゃのう」
黒が辛そうに答えた。
「あんまり、そういうの好きじゃないから」
喜々として、亜矢が言う。
「黒様に近づこうという輩は制裁あるのみですよ」
「なんじゃ、殴ったりするのか」
「いいえ、お嬢様学校ですよ。口の制裁です。何十人もで取り囲んで、悪口を言い続けます。どんな奴でも、一時間もすれば、しゃがみ込んで泣き出します」
呆れたようになよが大きく溜息をついた。
「幸も鬼をそれで引きこもりにし、まだ、そいつは外へは出てきておらん。陰湿じゃなぁ」
すっと、幸が亜矢の肩を後ろから抱き、頬を寄せて囁いた。
「亜矢。黒に様をつけて呼ぶのをやめてくれよ」
亜矢の背中がぞくっと震えた。ねっとりと纏つくような言葉が自分の首を絞めるように思えたのだ。
「あ、あの」
息切れしてうまく声が出せない。
「黒は普通の女の子だ。そうあたしが育てた。ちょっと、スポーツが得意で頭もいい、でもごく普通の女の子なんだよ。わかるか」
「は、はひっ」
歯が震えてうまく言えない。
「だからさ、様付けで呼ばれたりすると、本人は辛いわけだ。自分自身は普通の女の子なのに、様付けしようとする廻りとの評価の差に苦しむんだ。だからさ、亜矢、黒って呼んでやってくれよ」
だめだ、息ができない、過呼吸ってやつだ。
「だめだよ、母さん」
黒が亜矢の様子を見て、慌てて幸に言った。
ふっと、亜矢の体が軽くなった。気づけば、なよの隣に幸がにぃと笑って座っていた。
「ごめんね、母さん的には冗談の延長なんだけど」
「い、いいえ。大丈夫です。あの、えっと、く、黒、心配してくれてありがとう」
そっと、亜矢が幸の顔を上目遣いに見る。
「どういたしまして、亜矢」
ほっとしたように、黒が答えた。
え、これってどういうこと。亜矢って黒様が呼んでくれた。これって、黒様に名前を覚えていただいたってこと、様を付けないって、これって友達ってこと、え、あの、黒様と友達、えっ、親友ってことなの。
「やったぁ」
いきなり、亜矢が立ち上がり大声を上げた。
「にぎやかな奴じゃのう、改めて記憶を封印した方が良いかもしれんな。記憶が封印されて気弱な亜矢の方が扱いが楽そうじゃ」
「ごめんなさい」
慌てて、亜矢が椅子に座りなおした。
「考えてみれば、亜矢よ。お前、母親に高校を退学にされたのではなかったか。いや、残念なことじゃのう」
いたずらげになよが笑った。
亜矢が目を見開いた。
「うわあぁつ、そうだった。天国から地獄へ直下降だ。許すまじ、母さんめ。この恨み晴らさでか」
悲鳴のような大声を上げる。
「面白いのう、亜矢は。おもちゃのようじゃな。ま、復学はわしに任せておけ。黒と共に登校すればよいわ」
なよの言葉にぶわっと亜矢の頭の中で妄想が膨らむ。
黒と一緒に手を繋いで学校に行く、黒ってばもう、早く起きないからだよ、学校、遅れるよぉ
「うおぉぉっ。これは凄い」
思わず、亜矢の呻き声が漏れた。
慌てて、廻りを見回し俯く。
亜矢は興奮が醒めて、少し考える。
漣さんは多分、必要とあれば人を殺すことに戸惑いはないだろう、師匠という幸さんもそうだ。ここで、自分は共同生活をうまく送っていけるのか、へんなこと言ったら、すとんって首を落とされてしまうかも知れない、そう思うとさすがに亜矢も泣き出しそうになった。
後ろから誰かが肩を叩いた。
「どうしましたか」
振り返ると自分と同じくらいの背格好だろうか、エプロンをした女の子が優しく微笑んでいた。
「亜矢、初めまして。あかねといいます。なんだか、お悩みの様子ですけど、不安なことがあれば、遠慮なく言葉にする方がいいですよ、言葉にしなければ伝わりません」
「あ、あの」
亜矢が、怯えたように口を噤む。あかねは少しうつむき考える、そして顔を上げた。
「今までとは違う環境で亜矢は過ごすことになりますが」
あかねはなよと幸を指さし、亜矢に笑みを浮かべた。
「この二人以外は常識人ですし、この二人以外は人との距離感も理解していますから」
「なんじゃ、あかねよ。わしほどの常識人はおらんぞ」
「御自身で常識人などというのが、そうではない証拠ですよ」
あかねが嬉しそうに笑った。
なよの横で幸も笑う。
「なんじゃ、幸。お前も謗られておるのじゃぞ」
「日常生活に問題がなければ、常識はそれほどいらないかなぁと幸は思う」
「お前の言う常識とあかねの言う常識はちと違うわい」
なよは憮然としたが、落ち着いて亜矢に言った。
「お前はわしの弟子の孫でもある、ならば、ちょっとくらいは優しくしてやるわい。怯えるでないわ」
あかねが亜矢の両肩に手を載せる。
「なよ姉さんもこう言っているから大丈夫ですよ。それにほら」
あかねが顔を上げ、お味噌汁を味見している小夜乃に目をやった。
「亜矢」
「はい」
「お味噌汁の子がなよ姉さんの娘、小夜乃です。小夜乃と仲良くしていれば、なよ姉さん対策は万全です。幸姉さんについては黒と仲良くしていれば、幸姉さんや漣対策は問題ありません」
「あ、ありがとうございます」
感激して亜矢が礼を言う。
なよが割って入った。
「あかね対策はどうするぞ。なかなか、難しい奴じゃぞ」
「私ですか」
あかねが少し首を傾げた。
「私は武術とかよくわかりませんし、不器用ですから手品も出来ません」
そうきたかとなよは思ったが、亜矢のことを考えるといまはこのままでいいかと考え直した。ふっと、幸があかねに声をかけた。
「爺さんだ、こっちに向かっている。あと十分ってとこかな。あかね、何かあったの」
「もめ事には関わりたくはないのですけど」
思案げにあかねは少し俯いたが顔を上げると、にっと笑った。
「あかねは佳奈さんちに逃げます。お爺さまがいらっしゃいましたら、何処かに逃げたとお伝えください」
幸が頷く、あかねは台所に戻ると、いくつかおにぎり握り小皿に移した漬け物をお皿ごと、風呂敷に包みそそくさと出ていった。
幸が立ち上がる。
今週の食事当番は小夜乃とかぬかと男だ、男が味噌汁の大鍋の取っ手を持った瞬間、幸が飛ぶように男の元に寄ると、もう片方の取っ手を掴んだ。
「ありがとう、幸」
「どういたしまして」

食卓横のテーブルに味噌汁の大鍋を置く。男が向こう側一番端に座るのを見送り、幸が元の椅子に座った。
亜矢がおおっと息をのんで幸の振る舞いを見ていた。
まるっきり、純真無垢な、花畑で花冠を作っていそうな、そんな笑顔の素敵な美少女だった、先ほどのねとつくような脅しを仕掛けた相手とは思えない。
「凄いであろう、亜矢」
亜矢の思いを察してなよがにんまりと笑った。
「ま、とにかく、あかねと父さんは普通の人間じゃ。虐めるでないぞ」
亜矢は声を出せず、ただ、こくこくと頷いた。
小夜乃が長机の食卓に山盛りの漬け物の大皿を三枚並べる。かぬかが、器用に大きなおひつを二つ抱えテーブルにどんと置いた。
「お昼ご飯、出来たよ」
黒が立ち上がり、亜矢を促した。
「一緒にご飯、食べよ」
極上の黒の笑みに、亜矢は見とれたが、黒に遅れてはと急いで立ち上がった。

「亜矢は妙子から教わった呪術を覚えておるようじゃ。わしがそれに磨きをかけよう。幸は体術を教えてやれ」
「わかった」
なよの言葉に幸は頷くと、一口、味噌汁を啜った。しっかりと出汁が利いていて美味しい。
「なよ姉さん。小夜乃の味付け、随分、美味しくなった。これで、いつでも嫁に行けるな」
「どの時代のおっさんの台詞じゃ」
なよも小夜乃が誉められると嬉しいらしく、にかっと笑みを浮かべた。
「かぬかは炭水化物系が上達しているし、あさぎ姉さんの指導の賜かな」
あさぎが慌てて首を振った。
「かぬかが頑張っているからだよ」
あさぎがかぬかに笑いかけた。
「あ、ありがとう」
少し頬を赤く染めてかぬかが礼を言う。もしもできるならとかぬかは思う。
お店の隣で、定食屋ができればいいなと。術の修行もしなければならないけれど、やっぱり料理を作っている時が一番楽しい。

ふと、亜矢が気づいた。
「あの。幸乃さんが」
亜矢は幸乃の姿が見えないことに気がついた。
「なんじゃ。幸乃は父さんの、部屋におる」
なよは、父さんの中にと言いかけたが、部屋と言い換えた。
「一緒にご飯は」
「亜矢よ。お前、幸乃をどう見た」
「あの、えっと。とても綺麗な人で、透き通るような涼しげな感じで、優しくて、えっと、とても素敵な人でした」
なよがわざとらしく溜息をつき、亜矢を睨んだ。
「透き通るようなではなく、実際、透けて後ろの壁が見えておったであろうが」
そういえばと、亜矢がそのときの様子を思い出した。
「呪いをかけられたのじゃ」
なよが重々しく答えた。
「え、呪い」
なよは頷くと、じっと亜矢の目を見つめた。
「一人は半分透けて、もう一人はというと、子供に戻ってしもうた。幸乃と幸は一卵性の双子じゃ」
なよが真面目な顔をして適当なことを言う。
「ええっ」
亜矢が目を見開いて幸を見つめた。
「なよ姉さん、それはもう言わないで」
幸が調子を合わせて言った。
「いつか、きっと元に戻ることができる、そう信じているから」
心細げな幸の言葉になよは重く溜息をつくと、ゆっくりと頷いた。
「亜矢よ。この話は終わりじゃ、お前も忘れろ。それから、幸乃の前では、透明、幽霊、そういった言葉は禁句じゃ。幸乃を傷つけてしまうからな」
なよの悪ふざけだが、亜矢は感じいって、素直に口を噤んだ。
ひょっとして、私はこの呪いから幸乃さんを救い出すためにここにやってきたのではないだろうか、真の運命の扉を開けるために。
亜矢はこういう発想をする女の子だった。

「邪魔をするぞ」
店の方から鬼紙老の声が響いた。
「見てきます」
三毛が立ち上がった。

三毛が鬼紙老を連れてくる、幸は立ち上がり、にぃっと笑いかけた。
「爺さんはここに座れ。深刻な話はなよ姉さんが担当だ」
幸は台所でおにぎりを作り、お椀にお味噌汁を注ぐとお盆に載せた。
幸が店にでると、平次が入り口で直立不動の姿で立っている。
「こら、平次」
「師匠」
怯えを隠しきれず、平次の声が微かにうわずった
「可愛い女の子が健気に頑張っているアットホームが売りの店だぞ。むさいおっさんが表から見えるところに立つな」
幸は怒鳴ると、平次を手で招く。
「申し訳ありません」
平次は駆け寄るとカウンターに背を屈め座った。
平次は東京支社長とここで修行をした、そのせいで幸には到底かなわないことを理解していた。
「昼飯まだだろう。聞きたいこともある、遠慮せずに食え」
幸が平次の前におにぎりと味噌汁を差し出した。
「いえ、あ、あの」
「同じ言葉を繰り返させる気か」
幸が睨む、慌てて、平次がおにぎりを頬張った。
幸は平次の斜め前に座る。かなりの男嫌いである、息がかかるのもいやなわけだ。
「修行は続けているか」
慌てて、平次は食べかけていたおにぎりを飲み込んだ。

「続けさせていただいています」
修行時、散々、平次は幸に脅されていた。
「鬼紙老は何しに来た」
「そ。それは」
平次が言いよどんだ。
「なんだ。師匠に話せないのか」
「申し訳ありません。私は鬼紙です」
緊張し、目を瞑る。 幸がにぃいと笑った。
「まぁ、いいさ。なよ姉さんが鬼紙老から話を聴いている。あかねの母親が鬼紙家から逃げ出した。仕方ないさ、免疫がないからな」
驚いて平次が幸を見つめた。
「分かりやすい奴だな、お前は」
幸は笑うと、言葉を続けた。
「鬼紙家は男が跡を継ぐ決まりだ。だから、男の子には早い段階から家の暗部を教える、逆に女の子は他家に嫁ぎ鬼紙から離れるから、暗部を教えず蝶よ花よと育てる。鬼紙家次期当主に居座るにはかなりの覚悟が必要だが、ま、逃げ出すのも無理はない。いまは亭主も子供も捨て、マンション住まい、本人も二度と鬼紙家に戻るつもりはないだろう」
「しかし、それでは鬼紙家が途絶えてしまいます、あかね様ならば鬼紙家を継ぐ器量がございます」
ふっと、あかねが平次の後ろに立った。そして、嫌そうな表情を浮かべ、手を横に振る。
「あかねは私の可愛い妹だ、鬼紙家を継がせるわけにはいかないな」
平次の後ろであかねがうんうんと大きく頷いた。
「しかし、それでは鬼紙家が」
「鬼紙家は男が継ぐ。あかねの弟、長男がいたろう、そいつを跡取りになるようしっかり育てればいいだろう」
そうだそうだと口を動かし、あかねが頷く。
「確かにそれはそうなのですが」
「鬼紙老はあかねを溺愛しているからな。あかねは可愛いし、頭もよい、その上、人を引きつける魅力もある」
あかねが平次の後ろで頭を抱えた。
「話は付けたぞ」
いつの間にか、なよが平次の前に立っていた。
「鬼紙家は長男が継ぐ、ただし、長男はまだ小さな子供じゃ、数人の補佐を取り付ける、あかねは、必要とあらば、不定期に助言をすればよい。大筋はそんなところじゃ」
あかねが嫌そうな顔をし、ぱたぱたと手を横に振る。
「まぁ、大事なお爺様のためなら、あかねは喜んで尽力をつくすであろう」
にかにか、笑いながらなよが言う。あかねの動きが面白くて仕方がないのだ。
「数人の補佐ってどうするの」
幸が尋ねた。
「わしが鬼紙家に乗り込み、これはというのを選ぶ」
なよが自信満々に答えた。
「それじゃあ、その間、亜矢は」
「ふむ。連れていこうと思う。亜矢はもう家にはもどれんであろう、ならば、鬼紙にもいくらか知見を得ておくのもよいであろう」
「なよ姉さん。用心棒代わりに三毛を連れていってくれないかな」
「なんじゃ、幸も気になるのか」
「多分、三毛は人にもっと関わる方がいい こんなんでも母親ですから、人並みに我が子の心配くらいはしますわ」
茶化すように幸は答えたが、本心でもあった。
「わかった、そうしよう」
なよは頷くと、平次を見据えた。
「平次よ、わしと二人の会わせて三人。夕方には鬼紙家に行き、二、三日逗留する。旨い酒と肴を忘れるな」
「承知しました」
平次はなよが屋敷にやってくるという不安はあったが、それ以上になよの手腕を期待した。

「さて」
なよがにかっと笑った。
「あかねの珍妙な創作ダンスも楽しめた。部屋に戻り、旅の支度でもするかのう」
驚いて、平次が振り返る。店を飛び出すあかねの後ろ姿だけが見えた。


特急列車に乗り換える。 自由席、亜矢は走り込むと、座席を確保した、なよが窓側に座り、その向かいを三毛、その隣りに亜矢が座った。 にたにたとなよが笑う、片手には日本酒一升瓶をしっかり掴んでいた。
「列車の旅はよいのう」 
「なよ姉さん、気をつけないと」
三毛が心配そうに言った。

「街の結界から離れるとなよ姉さんを暗殺しようという輩が現れるかもしれません。鬼紙家の車だったら安全だったのですが」
なよが、三毛の言葉にふふんと笑う。
「三毛よ。鬼紙家という権威記号に惑わされるな」
すっと、なよが座席を横に移動する、座席の中からぶわっとナイフの先端が現れた。なよが驚くふうもなくナイフの先を摘んだ。三毛と亜矢が驚いて、後ろの席へ走る、三十代くらいの男が、ナイフの柄から手を離そうともがいていた、何故か手が離れないらしい
「三毛、亜矢、戻ってこい」
なよの言葉に二人は一瞬戸惑ったが、なよの言うとおりに席に戻った
「わしの指先をよく見ておけ」
ナイフの先を摘むなよの手が微妙に動く。
「力の方向、角度、うまくすれば、相手の手の筋肉をこれだけで操作することができる。背もたれの上から奴とわしの手の動きを見比べておけ。勉強じゃ」
なよがにかっと笑った。

なよは件の男を解放した後、窓辺に戻り、手酌で湯呑みに酒をつぐ。酒飲みの性である、水面が丸くなるほど酒をつぎ、口から迎えにいく。
「窓からの風景を眺め、命の水をいただく、幸せじゃのう。鬼紙の車がリムジンといえど、この解放感と心地の良い喧噪はあるまいて」
三毛は暢気すぎると言いたかったがそれを言うのをやめた。多分、なよ姉さんは充分にわかっている
亜矢はなよの姿に祖母を思いだしていた。修行は無茶すぎると度々思ったけれど、それ以外は笑顔の絶えない祖母だった よく似ている、祖母はなよに憧れていたのだろうなと強く思う。
「おばあちゃん」
ふと、亜矢から言葉が漏れた
「わしをおばあちゃんと呼ぶとは、なかなか豪気のある奴じゃ」
なよがいたずらが成功した子供のように笑った。
「も、申し訳ありません。あの、祖母のことを思い出して」
「よいわい、わかっておる。妙子も思ったことを、口に出してよいかどうか、考える前に言うてしまう奴じゃった。それでも、周りから好かれておったのは気持ちのよい奴じゃったからであろう」
なよが穏やかな表情で目を瞑る。
「わしの中では妙子は、亜矢、お前と同じ年頃じゃ。亜矢、お前にとっては、祖母であるのだろうがな。わしの国はその頃、鎖国をしていたから、妙子がどのようにして暮らしたのかは知らぬ。ただ、まっすぐに生きたことに違いはないようで、少しは安心した」
なよは目を開けると、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「亜矢よ。祖母の道を辿るなら、その道をしっかり進め。そして、行くのなら、祖母の先を行け」
亜矢がこくこくと頷く、魔女のことはもうすっかり忘れていた
「そして、三毛よ お前には幸から言付かっておる」
「幸母さんが」
「三毛よ、この旅では亜矢とわしをお前が守る。そこまでは聴いておるな」
三毛がじっとなよを見つめ頷いた。
「殺すな。命を奪わずにわし等二人を守れ。それが幸がお前に与えた命題じゃ。しっかりとこなせよ」
「殺さずに」
「相手を止めるには、殺してしまえばたやすい。殺さずに止める方が難しい、より高みを目指せ」
なよがもっともらしく言う。実際は命を奪う業の深さを理解して欲しいというのが、幸の言葉だったが、いまの三毛にそのままを伝えるのは避けた方がよいと考えた。
三毛は唇を噛みしめ頷いた。
不意になよが顔を通路に向けた。一人の男が立ち止まり、会釈をし笑みを浮かべた。
「これは姫様、お久しぶりにございます」
「なんじゃ、神崎ではないか、ならば、か弱いわしを刺し殺そうとしたのはお前の手のものじゃな」
「いえいえ、あれは少しばかりの御挨拶でございます、先生の結界から離れ、前鬼、後鬼も従えていない。これは、てっきり賞金というボーナスをくださるものと思いまして、いやはや、勘違いをしてしまいまして申し訳ありません」
すっと、三毛の体の軸がほんの少し前進する。
「妹の娘がおる、前鬼後鬼よりも頼りになるぞ」
「妹とは」
ふっとなよは目を開き、そうかと呟いた。
「お前は知らないのだな、わしは単純に匿われていたのではない、わしは優しいお父様と可愛い妹、幸と暮らしておる。家族で楽しい日々を過ごしておるぞ」
にぃぃと唇を歪め、神崎に笑いかけた。
神崎の顔が赤くなり、見る間に青くなる。
「神崎よ。幸に殺されぬようにな、それとも二百年生きて、生き飽きたのならば、幸に胴を真二つに切ってもらえ。わしから伝えておくぞ」
「め、滅相もございません」
あまりに慌てたのか、表情を作る余裕もなく、口早に神崎が言った。
「私は姫様を尊敬しておりますゆえ。おおっ、私は先ほどの狼藉者を捕らえなければ。それでは、失礼おば」
慌てたように神崎が去る。
「なにが狼藉じゃ」
なよは呟くと湯呑みに残った酒を飲み干した。
「なよ姉さん」
三毛が言った。
「なんじゃ」
「神崎が二百年生きているって」
「あいつは江戸時代終わり頃のとある大名のなれの果てじゃ。えらく、鬼を憎んでおる、鬼が死に絶えるまで、あいつは生き続けるつもりかもしれんな。ま、そんなことより」
なよは少し視線を上にすると、亜矢の後ろ辺りに声をかけた。
「あかね、来い」
驚いて、亜矢が座席越しに振り返った。
あかねは立っていた乗客に会釈をし座席を譲ると、すとんとなよの隣りに座った。
「あかねさん、どうして」
亜矢が呟いた。
「旅のお供もいいかなぁと思いまして」
「何を言うておる、あれほど行くのを嫌がっておったくせに」
なよがあきれて言った。
「まぁ、そうなんですけど。お父様に脅されてしまいました」
「脅すとは」
「なよに任せておけば大丈夫だと思うけれど、逆にやりすぎて、違う、それも大きな問題が起きなければいいよね。お父様ったら笑顔でそんなことを仰いますから、微力ながら、ちょっと見張っておこうと」
「ほんに、父さんは狸のところがあるからのう」
なよは笑うと言葉を続けた
「ならば、期待通り、少し遊んでみるかの、面白そうじゃ」
「いいえ、必要なことだけをしてくださいませ、なよ姉様の手を煩わすのは心くるしゅうございます」
亜矢はなよとあかねのやりとりを見ていて思う。記憶が蘇るほどに、妙子の美化されたかぐやのなよ竹の姫への記憶が蘇る。美しくて凄い方だと熱を帯びた口調で言う祖母の姿を思い出す。
いま、自分は目の前でその凄い人を見ている、そして、先ほど優しく声を掛けてくれた、さほど、年も変わらない女の子、あかねが忌憚なく愉快に喋っている。なんだか、いいなぁと思う。
「いいなぁ」
ふっと、亜矢が呟いた。うっかり声に出てしまったのだ。
にっと、あかねが笑みを浮かべて亜矢に言った。
「亜矢は一週間、うちで修行するそうですけど、その後はどうするの」
このことについては三毛も気になっていたのか、亜矢に目をやった。
「ごめんなさい、わからないです」
「それじゃあ」
と、三毛が続けた。
「これから、どうしたいと思う」
亜矢は口を噤んでしまった。
母と妹は魔女だ。それも狂信的と言ってもいいかもしれない。自分は祖母の記憶を思い出したまま、家に帰ることはできるだろうか。そして、教わる術をはいどうぞと母さん達に渡せるだろうか、祖母がなんとしても守ろうとした術を。
一人暮らしになるのかな、生活していけるのだろうか。
すっと三毛は亜矢の手を握り言った。
「お姉ちゃんって、呼んでもいい」
上目遣いに見る三毛の瞳。学園の妹と称される黒様の妹、三毛さんがお姉ちゃん、お姉ちゃんって、ふぅっと亜矢が意識を失った。
何事かと慌てた三毛になよが笑いかけた。
「まさか、三毛がのう。案外、三毛と亜矢は気が合うかもしれんな」
「あ、あの、これって」
「記憶が蘇って脳に負荷がかかっているところへ、嬉しすぎて気を失ったんですよ」
おかしくてたまらないと、あかねが言った。
「三毛は頑ななところが多いです。案外、亜矢がそういうところ、解してくれるかもですね」

亜矢を少し斜め、三毛の膝に頭を置き、眠らせる。要領よく、あかねは済ませると座席に座りなおした。
「亜矢って、面白い人ですね」
あかねが感心したように言った。

「そうじゃな、産まれてすぐに病院から祖母妙子に誘拐され、六歳、小学生になる歳まで育てられた もちろん、英才教育を受けるためじゃ、あやつもむちゃをしよったものじゃて」
三毛は思う、他人の心の中を平気で読む二人の会話だ。でも、三毛も亜矢のことはなんだか気になる、黙って聴いていようと思う。
「ま、息子が魔女と結婚したということが、そもそもゆるせんかったのじゃろう」
「つまりは、嫁姑戦争でもあるわけですね」
「そちらの割合の方が大きいかもしれんて」
なよは妙子の性格を思い出したのか、にやりと笑った。
「ただ、なよ姉さん。多分、亜矢さんは教わったもの、思い出したものを魔女に伝えることをしないと思います」
「家の中では随分と冷たくあしらわれておったようじゃ。その上、祖母の思いを思い出してしまっては、はい、どうぞと差し出すことはできんじゃろう。さてなぁ」
「でも、伝えなかったら、それはそれでいいんじゃないですか、しょうがないなぁ、期待したのにって愚痴を聞かされるだけで、親子なんだから」
「教えない場合は薬を使う、脳を潰して取り出すわけじゃな」
ふっとなよが俯く。
「あ、あのね。うちで暮らすのが一番だよ、絶対」
慌てて、三毛が言った。
「しかし、魔女からこやつを預かると約束した期間は一週間、それを過ぎれば約束じゃからな、不安は大いにあるが返さねばならん」
「なら、三毛が言うよ。亜矢に帰っちゃだめ、ここでみんなと暮らそうって言う、つれてきた魔女のおばさんにも亜矢が残りたいって自分の口で言ってくれるようにお願いする、そしたら、三毛はなにがあっても亜矢を守るよ」
「なよ姉さんはひどいなぁ」
あかねが呟いた。
「なにがひどいものか。少し背中を押しただけじゃ」
なよは平気なふうに返事をすると、三毛をぎゅっと睨んだ。
「亜矢が自分の口で残りたいと言えば何の問題もない。だが、できるのか」
「できる、できます」
三毛がまっすぐに答えた。
なよは笑うと言った。
「ならば、がんばれ」

アナウンスだ、次の駅にもうすぐ到着する。ふと、なよは視線を先に送り笑った。
「神崎め、わしがこの列車に乗っているのを随分と吹聴したらしい。駅のホームが賞金稼ぎや人でないものでいっぱいじゃ。なにやら、楽しいのう」
三毛が慌てて言った。
「亜矢を起こせばあかねと三人、花魁道中の儀で一気に鬼紙家へ移動できるよ」
「ほんに三毛はまじめじゃのう、そういう人生はつまらんぞ。人生、山あり谷あり、暗殺者ありじゃ」
楽しそうになよが笑った。


何がどうしたっていうんだ、お袋の目、完全にイってる、幸輔は母親と高級車の後部座席、黒壇の木刀を抱えて、天井を見上げていた。
中学三年、授業中にいきなりお袋が教室に乱入して拉致された。
お母様、どうされたんですかと叫ぶ担任の声も聞こえていないようだった。
親子じゃなきゃ犯罪だ、いや、親子でも犯罪だよ。
「谷崎、もっとスピードを出しなさい。信号など守らなくともよろしい」
お袋が叫ぶ、確か先月どこかの警察で一日署長をやってたよな、おふくろ。
代々名門の政治家一族、俺、いま、急カーブで違う未来へ向かっているんじゃないか、参ったなぁ。
「幸輔。姫様の危機です。駅に到着したらホームへ走りなさい。なんとしても、姫様をお守りするのですよ」
完全にイった目で、お袋が叫んだ。
「あ、あの、姫様って、お袋の妄想の」
「妄想ではないと何度言えばわかるのです。千年以上の年月を生き続ける絶世の美女、姫様の存在を疑うとは、我が息子ながら情けない」
急ブレーキのけたたましい音と共に車が停止した。
「奥様、改札の手前です」
広い改札口に頭を突っ込むように車が止まっていた。
「無茶だよ、お袋」
二人は車から飛び出すと改札機の上を走りホームへの階段を駆け上った。後ろから駅員の怒号か聞こえる。

ありかよ、これって。
幸輔が呟いた。
多分、電車に乗り込むつもりだった本来の乗客たちだろう、駅のベンチの下に頭から潜り込んで震えている、思い切った乗客は線路を走って逃げている。
何から逃げている。
人じゃないもの達から。
三メートルを越える狼の顔をした二足歩行の奴ら。軍服を纏った鬼達、ホームがいっぱいだ。それから、あれは、なんて言えばいいんだ。

「な、なんですか。これは」
遅れてやってきた駅員が呆然と呟いた。
列車がやってきた。お袋、器用に駅員の両肩に飛び乗って、列車を睨む。
「幸輔。先頭から三番目の車両です。狼男の首、へし折ってやりなさい」
言うよりも早くお袋、駅員から飛び降りて、奴らに飛び込んでいった。
「逃げた方がいいよ、あいつら、本物だから」
お袋の後を走る。ほぼ、産まれると同時に修行させられたと言ってもいい、天城流剣術高儀派、木刀を背に垂直な崖を駆け上る修行があった、人を相手にする剣術じゃないってことだ。
駆け上り斬る、三メートルを超える狼男の首を袈裟掛けに斬る、確かに手応えがある、なのに狼男の目が笑った。
「子供の遊び場じゃねえぞ」
声帯が人と違うのだろう、くぐもった声で言う。ふわりと女の子が目の前に浮かんだ、そして、木刀の先を無造作に押し下げる。
鎖骨が折れ、狼男の首が傾いた。
「手伝ってくれてありがと」
女の子が笑みを浮かべ着地する、同時に反転して狼男の膝を蹴り潰す。

可愛い、見とれてしまう、幸輔は我を忘れ、あかねの姿に見とれていた。
同学年、それとも、いっこくらい上かも。
わっぱ、色気付く暇はないぞ
幸輔の頭の中に女の声が響いた。
立っている奴らが減り、向こうが見渡せる。
列車の前にすっくと立ったなよが愉快に笑っていた。お袋の言っていた姫様、凄い美人だ。
「あかね、戻ってこい」
なよの言葉にあかねは頷くと、あかねは幸輔の手を取り言った。
「さあ、おいで」
「あ、あの。ボク、いや、あの、俺は」
幸輔が顔を真っ赤にし何か言おうとしたが、照れて何も言えないでいる。
「ん、私に惚れたの、参ったなぁ。私、年下は対象外なんだ」
にっとあかねが笑った。
「えっと、あの」
あかねの笑顔に幸輔が余計に緊張する。ふぃっと、あかねは幸輔の前に立つと、ふわりと少し浮き上がる。
「ごめんね」
あかねが幸輔に口づけをした。
あかねがちょっと舌を入れる。
「あわわっ」
幸輔の力が抜けて、後ろに尻餅をついてしまった。
「君のファーストキス、もーらい」
あかねは笑うと、幸輔を片手に抱え、投げ飛ばした。
飛んできた幸輔を三毛が受け止めた。
三毛は溜息をつくと幸輔をホームに降ろす。
こういうのがトラウマになるのかなぁ、三毛が呟いた。

「姫様の御存命、これほどかすりは嬉しいことはございません。」
幸輔の母、かすりはなよの足下に額をすり付けるように土下座する。

なよは背負っていた亜矢を降ろすと、困ったように頭をかいた。
かすりが土下座するその前に、なよは膝をつき、正座した。
「かすりよ、久しいな。顔を上げよ」
おそるおそると女、かすりが顔を上げた。
「元気そうでなによりじゃ。しかし、お前はどしてわしを憎まんのじゃ」
「姫様を憎むなど考えたこともございません」
「わしは無能であった、民を角のある鬼どもにむざむざ殺されてしもうた。中にはかすりの係累もおったであろうに、申し訳なく思う」
「我ら草は誰一人として姫様に恨みを持つものなどおりませぬ」
なよは両手を差し出すと、かすりをぎゅっと抱きしめた。
「姫様だめです」
かすりが喘いだ。
「私のようなものに触れては姫様がケガレます」
「かすりが小さな子供の頃、わしの膝に乗り遊んだものじゃ、あの頃とお前は何もかわらん」
かすりはもう息も絶え絶えだ。
なよが顔を上げた。
「花魁道中の儀」
なよの言葉に三毛がまず反応した。
「しゃん」
大きく、三毛が叫ぶ。
あかねもしゃんと叫ぶ。
「頼むぞ、かすり」
かすりはぎゅっと両手を握りしめると叫んだ。
「しゃん」

駅員は女たちの周りに白い靄がたちこめ、靄が消えたときには女たちが消えてしまったのを見る、なにかが終わったと駅員は気づいた。反転し、階段を駆け下りる。いつまでもここにいたらどんな目に合うかしれない。
早く逃げなければ。

なんて言うか、とにかく、いろいろ、きつい、幸輔は俯き溜息をついた。
鬼紙家専用無人駅のプラットホームだ。かすりは気を失い寝かされていた。
「神崎め、今度、会うたら、首を引きちぎってやるわ」
なよが憎たらしそうに言った。
「姫様、そのような乱暴なお言葉、いけませんわ」
あかねが気楽そうに笑った。
「わしを姫様と呼ぶでないわ。しもたのう、草にわしが生きていることを知られてしもうたわい」
三毛が尋ねた。
「草ってなんなの」
「忍者、わしの密偵みたいなものじゃ。諜報活動を行う。この国の要所要所に置き、情報収集をさせておった。わしは死んだということにしておったのじゃが、生きているのを知られてしもうたわけじゃ」
「なよ姉さん、お姫様に戻るの」
「わしは、なよ。お前の酒飲みの姉じゃ」
三毛がほっとしたように笑みを浮かべた。

 

 

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遥の花 あさまだきの靄 一話

 

遥の花 あさまだきの靄 一話

幸はあさぎの隣でにひひと笑い呟いた.
「これは痛いや。痛い痛い」
二人は喫茶店のカウンタの後ろ、モーニングとランチの間、常連客が窓際で珈琲を飲む一人.忙しくなる少し前の時間、あさぎと幸が並んでカウンターにいたのだった。
「どうしたの」
「駅の改札を通って、こっちに向かってくる人たちがいるんだ。うちのお客様だよ」
幸がそうあさぎに答えたとき、夕子が奥からやってきた。
「そろそろ、ランチのお客様、増えてくるかなって、手伝いにきました」
「ありがとう、夕子」
あさぎが振り返り、笑いかけた.
「ね、夕子」
幸が夕子の前にかけより声をかけた.
「天使と魔女って、仲はいいの」
夕子がにこやかに答えた.
「魔に心を売った、唾棄するべき存在です.見つけたら、殲滅ですよ」
口元に笑みを浮かべたまま、ぎろっと、夕子の眼が空を睨んだ.
「幸さん。楽しい宴の始まりですか」
「訊いてみただけ。それより、お父さん、夕子を呼んでいる.かぬかと手伝いに行ってくれるかな」

幸は夕子を奥にやると、あさぎに言った。
「ちょっと、めんどくさい人たちが来る。幸が相手します」
「ありがとう、ごめんね」
「どういたしまして」
幸も笑みを浮かべると、お盆にお冷を二つ、それにメニュを載せ、歩く、ドアを開け、明るく声をかけた。
「いらっしゃいませ。どうぞ」
少し戸惑った表情を浮かべ、二人の女が入ってきた。
幸は流れるように二人を座席に座らせると、お冷を置き、メニュを年かさの女に手渡した。
あさぎは二人を見た瞬間、厨房へと戻る、距離を置いた方がいいと判断した。
四十代の女と娘だろうか十代後半の女の子、その組み合わせは特に不思議ではない。ただ、問題は二人が同じ黒のワンピースに、頭には赤色の大きなリボン、肩には黒い子猫、箒まで持っていた。
そうだ、アニメ映画で見たことがある。
「あさぎ。ウィンナー珈琲じゃ。わしが作るより、あさぎの方が美味い。不思議じゃのう、同じ材料なのに」
なよが厨房にやってきた。
「なんじゃ、どうした、あさぎ」
「あ、あの。ええっと」
どう答えたものかと、あさぎが戸惑う.ひょぃとなよが店の中を覗いた.
「これは痛いのう。片田舎の小さな街に漫画の扮装とは。痛い痛い」
なよが、遠慮なく声を張った.
すたすたと、なよはテーブルに近寄ると、空いた椅子にどかっと座った.
「あさぎ。ウィンナー珈琲はこっちに運んでくれ」
なよは年かさの女の顔を見るとにかっと笑った.
「久しいのう。魔女KS。十年ぶりか」
「かくやのなよたけの姫。なぜ、あんたがここにいる」
女の声に微かに怯えの色が滲む.
「おるもなにも、わしはここで暮らしておる.

「ならば、鐘馗の姫を強くしたのは、あんたか」
なよがにたりと笑った。
「なんのことかわからんな。しかし、あやつもうちに来た当初は大人しかったが、先日などどうじゃ、肩をおもみしますと言うたはいいが、手が滑ったと首を絞めよりおる。恐ろしいやつじゃ」
にかっとなよが声に出して笑った。
「この娘にも教えてやってくれないか」
女は立ち上がると、なよに頭を下げた。娘は硬直したように唇を引き締めている。
「ハーブティとチーズケーキです」
その場の空気を変えるように幸が声をかけた。
幸が二人の前にハーブティとケーキを並べる。三毛がウィンナー珈琲をこぼさないよう運んで来た。
「幸よ、お前はどう思う」
「そうですね。やめておいた方がいいんじゃないかな。えっと、あなたの家族構成を教えてください」
すいっと、幸が娘に尋ねた。
「は、はいっ。両親と妹が一人です」
「家族は仲がいいの」
「ふ、普通には」
幸の視線がなよに向いた。なよが頷く。
「姫は強くなり、攻めてくる鬼たちを一人で倒すことができるようになった。そして、父である王は娘の強さに恐れるようになった。疑心暗鬼、姫はそれを知ると、国から離れた。それを思うとき、正解はなんなのであろうと思う。ま、お前も必要以上の力を得ようとするな。身を滅ぼすぞ」

一瞬、娘が怯む、その瞬間、女が娘を睨んだ。
ほんの一瞬だったが、なよを幸も三毛も、あぁそういうことかと思う。
幸は一つ吐息を漏らすと、なよに言った。
「なよ姉さん。どうかな、教える可能性は九十九パーセントありませんという前提で、一週間お預かりして様子をみるの」
なよは重々しく頷くと、女に言った。
「教えてやる可能性は一パーセント。それでもよいか」
女が目を見開き頷いた。
なよが頷く。
「話は終わりじゃ。ハーブティが冷めてしまうぞ。早く飲め」

なかば追い出すように女を帰らせると、なよは娘に向き合って座った。
「どうじゃ、あさぎのハーブティとチーズケーキは美味かったであろう」
ふと、娘は緊張を忘れてぼぉっとする。それほど、あさぎのチーズケーキは美味しかった。
「お前。名前は」
「田中亜美、です」
呆れたようになよは溜息をつくと、残った珈琲を飲みほした。
「あ、あの」
なよの表情に、何がなよの機嫌を損ねたのかと慌てる。
「なよ姉さん。お客さん、増えてきたよ」
幸が声をかける。そして、幸は田中の亜美の後ろに立ち、赤色のリボンをほどいた。そして、指先を亜美の首に溶け込ませる、小さな金属の塊を取り出し握りつぶした。
「リボンと箒は預からせていただきます。あと、その黒猫の名前は」
何があったか、わからず、亜美は戸惑ったが、黒猫を抱き上げ言った。
「えっと、黒子です」
なよが耐えられず吹き出した
「幸よ。名づけのセンスはお前と同じじゃの」
「素直で良いです」
幸も笑うと、ふわっと硝子球を出す、そして、黒猫の首筋にあてた。硝子球の中が白く濁る。そして、その硝子球を消した。
なよが立ち上がった。
「さて、邪魔にならぬよう中に入ろう。幸も来い、なんといっても、お前が漣の師匠なのじゃからな」
驚いて亜美が幸を見つめた。
「この世界、目立たないのが一番だ。それに言っておく。相手を把握できないうちは、本名を名乗るな。ろくなことにならねぇぞ」
幸が笑みを浮かべたまま、囁いた。


縁側に二人座る、亜美と幸だ。
昼間、日差しがやわらかい。見渡せば、畑、その向こうは梅林だ。
鶏が目の前を通り過ぎた、草を啄んでいる。

不思議だと思うけれど、でも、不思議じゃないようにも思う。
あったかい縁側、右隣には幸という美少女、左隣には、竹取物語のかぐや姫。とりあえず、私は固まってしまっています。
「亜美自身は、そんな力、欲しいとは思ってないだろう」
幸は亜美に向き直り、笑った。
「あ、あの。いえ、そんなことは」
しどろもどろに亜美が答えた。
「つまらんのう。小物ばかりじゃ。昔の魔女はわしとやりあえる奴もおったに」
「なよ姉さん、昔っていつ頃のこと」
ふっとなよは思い出すように顔を上げる。
「江戸の初め、もう四百年ほど経つか。キリスト教、耶蘇教とゆうたか、それと一緒に魔女がこの国に入って来た。面白い奴もおったわ」
なよは少し顔を上げ、空を見る。
「今の魔女組織は組織を守ることに汲々としておるが、当時は自由な奴らが多かった」
「鬼の影響かな。鬼の勢力拡大に危機感を抱いたのか」
幸がなよに言う。
「いや。それはきっかけにしかすぎんな、魔女も人間世界に慣れ親しみ、能力が劣化した、一部がそれに危機感を抱いたんじゃろう」
なよが正面を見る。
「来たぞ」
なよが呟いた。
夕子がにこやかに笑みを浮かべ歩いてくる。
ふわっと、彼女の手に自在が現れた。
「もう、幸さんったら、だめですよ。魔女はだめなんですから」
夕子が間合いを縮めた。
「だめだよ、夕子さん」
幸が亜美を覆いかぶさるようにかばう。
「どうしてですか。こいつは魔女です」
幸は亜美を抱きしめたまま、夕子に顔を向けた。
「亜美さんは魔女にさらわれて、魔女にされそうになったのを助け出したの」
なよは笑うと、夕子に語り掛けた。
「よう見てみい。まだ、魔女の匂いが然程せぬであろう。そうじゃ、夕子、お前、清めてやれ」

「あ、あの。私、そういう趣味はなくて」
慌てて、亜美が言った。
「おでこです、痛くないから。さあ、目を瞑りなさい」
夕子は亜美に笑顔を浮かべると、亜美の肩を抱く。
亜美は夕子の笑顔に頬が紅潮する、なんて綺麗な人なんだ。視界が白一色になった。天使の羽だ、亜美は自分自身がいつの間にか大きくて白い天使の羽に包まれていることに気づいた。
なんだか、体が軽くなっていく、不思議に気持ちが楽になっていく。
「では、あさぎ姉さん手伝ってきます」
ぼぉっとしたままの亜美を後に、夕子がお店へと歩いていった。
「どうじゃ、亜美。気分が軽くなったであろう」
いたずらげになよが笑った。亜美はお腹の中に溜まっていた澱のようなものがすっと消えて、体が軽くなった気がした。なんだか、気分もいい。
ふと幸が振り返った。
「お父さん、駅まで帰ってきた。迎えに行ってくる」
幸が立ち上がって駆けだした。
戸惑っている顔をした亜美を、おもしろそうになよが笑った。
「あやつはお父さん大好きファザコンじゃ。ほおっておけ」
なよはいつものことと気にせずにいる。
「さて」
なよが呟いた。
「お前の母親は魔女のようじゃな。さっきの奴はダークローズアソシエーション、この国でいくつかある魔女の協会の中でもっとも古い魔女の集まりに属しておる」
亜美は一週間前、魔女の宅急便のキキと同じ扮装をした母親を見て、何かの冗談かと思ったことを思い出した。
そしていきなり言ったのだ。お前は魔女になるのです、高校も退学ですと。もう狂ったのかと思った、目は笑ってないのに、口元がにぃって笑っているんだ、怖かった。
「お前は自分が魔女の家系にあると知ったのはいつじゃ」
「一週間前です。っていうか、いまも理解できません」
「まぁ、そうじゃろうな。その顔では」
なよは愉快なものをみるようににたっと笑った。
「奴らはどこかでここの女が鬼の軍隊と一人ででも戦うことができることを知った。これはいい、この力を取り込みたいとお前を送り出した。お前はまったくの素人じゃが、才能だけはやたらにあるからな」
「才能っていわれても」
気弱に亜矢が答えた。
「お前が小さな頃から魔女として修行していれば、相当な能力を持った魔女になったであろうに、なぜ、今頃になって魔女にしようとしたのか。妹はとっくの昔に魔女であるのにのう」
「妹、えっ、亜紀を知っているんですか」
なよはあきれたように亜矢の膝を指さした。膝の上には猫の形をした、木製のマリオネットが転がっていた。
「う、うわっ。黒子、黒子が人形になってる」
「正確には人形に戻っているじゃ」
なよは亜矢の言葉を訂正すると、すいっと亜矢の目を見つめた。
「幸がそれから魂を抜き取った、だから元の人形に戻った。お前の妹は幸のポケットの中で眠っておるわい」
そして、にぃっと笑うと言葉を続けた。
「魔女として妹御はたびたびにおいて、お前を見張っておったのじゃろうな。面白い家族じゃ」
亜矢は何か確かだったはずのものが、ぐらぐらと崩れていくように思った、なんだか、気を失ってしまいそうだ。
「なよ姉様、いじめはだめですよ」
漣が戻って来、茫然としている亜矢を見つけて言った。
「戻ってきたか、漣。ちょうどいい、漣にも関わりがある話じゃ、ついでにわしの話を拝聴せい」
「嫌というとうるさいので喜んで拝聴させていただきます」
漣が座りなおし、なよの前に正座した。
「一言多い奴じゃのう。まぁよい」
なよはにやっと笑う。
「こ奴は田中亜矢、魔女見習い。漣、お前の活躍を知った魔女たちが、強くしてくれと放り込んできたのが亜矢じゃ。お前、先輩としてどう思う」
亜矢は漣の居抜くようなまなざしに、あぁ、自分はなぜここにいるのだろうと思う。本当だったら、まだ、午前の授業中だったのに。
「人にしては破格の才能を有していますけれど、それを使う技術はないようですね。悪いことは言いません、普通に生きていかれることをお勧めします」
「まぁ、そう思うわな」
なよが小さく吐息を漏らした。
「ところが、こやつの母親と妹が既に魔女であるからのう、何も覚えずに帰ってきましたとはいかんのじゃ」
「簡単ではありませんか」
漣が戸惑うことなく答えた。
「魔女とやらを皆殺しにしてきてあげましょう」
すいっと漣が自在を空から引き出した。
「亜矢さんでしたか、ご家族の顔を教えてください。ご家族は半殺しで済ませるよう努力いたします」
漣が綾の目を見据えたまま言う。
「え、あ。いえ、あの」
亜矢が口ごもった。
「なんじゃ、びびっとるのか。茶を飲む時間で漣は仕事を済ませてくれるぞ」
にぃぃとなよが笑った。

「おや。かわいいお客様ですね」
幸乃が亜矢の顔を覗き込んでいた。
「幸乃。今日は父さんの体の中に潜り込んではおらんのか」
いつの間にかいた幸乃になよが驚いた。
「お父様に追い出されてしまいました。仕方ないので、今日一日は開放してさしあげるつもりです」
幸乃が笑みを浮かべる。なんて綺麗な人だ、亜矢が今の自分の立場も忘れて幸乃に見とれていた。
「そいつは亜矢、魔女見習いじゃ。魔女が送り込んで来おった。修行させてやってくれとな」
なよの言葉にすっと幸乃が亜矢を見つめた。
「亜矢さん」
「は、はいっ」
亜矢の声がうわずった。
「なよは意地悪ですが、本当は心のよい者です。なよに頼りなさい。もともと、あなたはなよと縁もあるのですから」
「そ、そうします」
見とれながら亜矢が脊髄反射のように答えた。
幸乃はそっと頷くと部屋を出て行った。
なよが瞬きせず亜矢を見つめていた。
「縁とな」
ふと、なよは表情をかえ、亜矢の左手首を掴んだ。
「古くはなっておるが、護り髪がある。これは・・・。亜矢、お前は爪原妙子とはどういう関係じゃ」
「え、あの。おばぁちゃんです。えっと、お父さんのお母さんで」
漣が興味深そうになよの顔をのぞき込んだ。
「その人とはお知り合いですか」
「ん。わしの弟子じゃ。智里は娘と思うておるし、ここ百年ほどで、唯一人の人間の弟子じゃ。十年ほど前に亡くなったがな」

「どんな方だったんですか」
漣がなよに尋ねた。
「和名を妙子。山窩の女。山を駆ける狩猟民族じゃ、なかでも、あやつはまじないをなし、人の国から、角のある鬼の国を横切ってわしのもとにやってきおった」
「人の身で鬼の国を突き進むというのは驚きですね」
「その亜矢と同じくらいの年格好じゃ。わしも面白いと思ったからな、一年間下女としてこき使って、その後、二年間、じっくり教えてやった。亜矢よ、妙子は幸せに暮らしたのか」
「祖母は私が中学生の頃、亡くなりました。やさしい人だったけれど、あまり思い出せないんです」
亜矢が唇をかみ、俯いた。
なよは興味深そうに亜矢の顔を見つめた。ふっと、右手を伸ばすと、亜矢の頭に手をやり、数度、髪を払う。
「妙子よ、もう、よい。亜矢の記憶を返してやれ、すべてはわしに任せろ」
いきなり、亜矢は這いつくばると、なよの足元に額を擦り付けた。
「かぐやのなよたけの姫様。これは、私の孫、亜矢にございます。息子が魔女にたぶらかされ、なよたけの姫様の術を孫を通して取り込もうといたしました。若ければ、魔女など叩き斬ってやるのですが、私も歳をとり、それができませぬ」
「顔を上げよ、妙子」
まるで別人のようにしっかりとした表情で、亜矢がなよを見つめていた。
「久しいのう、妙子。お前の孫、亜矢については、すべてをわしに任せよ。安心して、この世との繋がりを解き、次の命を生きよ。いずれまた、どこかで出会おうぞ」
「妙子は幸せ者でございます」
亜矢が感極まったような号泣する。ゆっくりと泣き声が消えていき、気の抜けた表情の亜矢が顔を上げていた。
「たくさん、思い出しました。祖母について修行したこと、祖母の山窩のまじないも。とても、やさしい祖母だったことも。祖母の願いであるなら、母や妹と戦うことも厭いません」
「極端な奴じゃのう、妙子とそっくりじゃ。ま、気楽にいけ、親子同士で戦うなど言うでないわ」
飽きれたように、なよは言うと、軽く亜矢の頭を叩く。
「幸い、幸い。亜矢が幸せでありますように」

「なよ姉さぁん。お昼ご飯だよ」
黒が台所からやってきた。
「おう、忘れておったわい」
亜矢が黒の声に振り返った。
「え、えっ、黒さま」
驚いて、亜矢が叫んだ。
「えっと、田中さん」
黒が戸惑うように呟いた。

 

 

るんるるん、にかにか、笑いがどうしてもこぼれてしまう。
食卓、亜矢は黒の隣の椅子に腰掛けた。お昼ご飯だ、自然に顔が笑いだし、両膝がリズムを刻む。
憧れの黒様の隣に座っているのだ。
長机を並べての昼ご飯。
「暢気な奴じゃのう、記憶が甦った途端、さばさばとしおって」
向かいに座るなよが亜矢の様子に呆れて言った。
「えへへっ、そんなことありませんです。母と戦うなんて、身を切られるように辛いです」
「それが、にかにかと笑って言う台詞か」
呆れたようになよが呟いた。
「それはしょうがありませんわ」
白が口を挟んだ。
「だって、亜矢は桜花淑女隊の一人ですから」
「なんじゃ、それは」
「黒姉を男から護り、同時に抜け駆けを許さない鉄の結束を持つ集団です」
「なんと、黒は宝塚のスターじゃのう」
黒が辛そうに答えた。
「あんまり、そういうの好きじゃないから」
喜々として、亜矢が言う。
「黒様に近づこうという輩は制裁あるのみですよ」
「なんじゃ、殴ったりするのか」
「いいえ、お嬢様学校ですよ。口の制裁です。何十人もで取り囲んで、悪口を言い続けます。どんな奴でも、一時間もすれば、しゃがみ込んで泣き出します」
呆れたようになよが大きく溜息をついた。
「幸も鬼をそれで引きこもりにし、まだ、そいつは外へは出てきておらん。陰湿じゃなぁ」
すっと、幸が亜矢の肩を後ろから抱き、頬を寄せて囁いた。
「亜矢。黒に様をつけて呼ぶのをやめてくれよ」
亜矢の背中がぞくっと震えた。ねっとりと纏つくような言葉が自分の首を絞めるように思えたのだ。
「あ、あの」
息切れしてうまく声が出せない。
「黒は普通の女の子だ。そうあたしが育てた。ちょっと、スポーツが得意で頭もいい、でもごく普通の女の子なんだよ。わかるか」
「は、はひっ」
歯が震えてうまく言えない。
「だからさ、様付けで呼ばれたりすると、本人は辛いわけだ。自分自身は普通の女の子なのに、様付けしようとする廻りとの評価の差に苦しむんだ。だからさ、亜矢、黒って呼んでやってくれよ」
だめだ、息ができない、過呼吸ってやつだ。
「だめだよ、母さん」
黒が亜矢の様子を見て、慌てて幸に言った。
ふっと、亜矢の体が軽くなった。気づけば、なよの隣に幸がにぃと笑って座っていた。
「ごめんね、母さん的には冗談の延長なんだけど」
「い、いいえ。大丈夫です。あの、えっと、く、黒、心配してくれてありがとう」
そっと、亜矢が幸の顔を上目遣いに見る。
「どういたしまして、亜矢」
ほっとしたように、黒が答えた。
え、これってどういうこと。亜矢って黒様が呼んでくれた。これって、黒様に名前を覚えていただいたってこと、様を付けないって、これって友達ってこと、え、あの、黒様と友達、えっ、親友ってことなの。
「やったぁ」
いきなり、亜矢が立ち上がり大声を上げた。
「にぎやかな奴じゃのう、改めて記憶を封印した方が良いかもしれんな。記憶が封印されて気弱な亜矢の方が扱いが楽そうじゃ」
「ごめんなさい」
慌てて、亜矢が椅子に座りなおした。
「考えてみれば、亜矢よ。お前、母親に高校を退学にされたのではなかったか。いや、残念なことじゃのう」
いたずらげになよが笑った。
亜矢が目を見開いた。
「うわあぁつ、そうだった。天国から地獄へ直下降だ。許すまじ、母さんめ。この恨み晴らさでか」
悲鳴のような大声を上げる。
「面白いのう、亜矢は。おもちゃのようじゃな。ま、復学はわしに任せておけ。黒と共に登校すればよいわ」
なよの言葉にぶわっと亜矢の頭の中で妄想が膨らむ。
黒と一緒に手を繋いで学校に行く、黒ってばもう、早く起きないからだよ、学校、遅れるよぉ
「うおぉぉっ。これは凄い」
思わず、亜矢の呻き声が漏れた。
慌てて、廻りを見回し俯く。
亜矢は興奮が醒めて、少し考える。
漣さんは多分、必要とあれば人を殺すことに戸惑いはないだろう、師匠という幸さんもそうだ。ここで、自分は共同生活をうまく送っていけるのか、へんなこと言ったら、すとんって首を落とされてしまうかも知れない、そう思うとさすがに亜矢も泣き出しそうになった。
後ろから誰かが肩を叩いた。
「どうしましたか」
振り返ると自分と同じくらいの背格好だろうか、エプロンをした女の子が優しく微笑んでいた。
「亜矢、初めまして。あかねといいます。なんだか、お悩みの様子ですけど、不安なことがあれば、遠慮なく言葉にする方がいいですよ、言葉にしなければ伝わりません」
「あ、あの」
亜矢が、怯えたように口を噤む。あかねは少しうつむき考える、そして顔を上げた。
「今までとは違う環境で亜矢は過ごすことになりますが」
あかねはなよと幸を指さし、亜矢に笑みを浮かべた。
「この二人以外は常識人ですし、この二人以外は人との距離感も理解していますから」
「なんじゃ、あかねよ。わしほどの常識人はおらんぞ」
「御自身で常識人などというのが、そうではない証拠ですよ」
あかねが嬉しそうに笑った。
なよの横で幸も笑う。
「なんじゃ、幸。お前も謗られておるのじゃぞ」
「日常生活に問題がなければ、常識はそれほどいらないかなぁと幸は思う」
「お前の言う常識とあかねの言う常識はちと違うわい」
なよは憮然としたが、落ち着いて亜矢に言った。
「お前はわしの弟子の孫でもある、ならば、ちょっとくらいは優しくしてやるわい。怯えるでないわ」
あかねが亜矢の両肩に手を載せる。
「なよ姉さんもこう言っているから大丈夫ですよ。それにほら」
あかねが顔を上げ、お味噌汁を味見している小夜乃に目をやった。
「亜矢」
「はい」
「お味噌汁の子がなよ姉さんの娘、小夜乃です。小夜乃と仲良くしていれば、なよ姉さん対策は万全です。幸姉さんについては黒と仲良くしていれば、幸姉さんや漣対策は問題ありません」
「あ、ありがとうございます」
感激して亜矢が礼を言う。
なよが割って入った。
「あかね対策はどうするぞ。なかなか、難しい奴じゃぞ」
「私ですか」
あかねが少し首を傾げた。
「私は武術とかよくわかりませんし、不器用ですから手品も出来ません」
そうきたかとなよは思ったが、亜矢のことを考えるといまはこのままでいいかと考え直した。ふっと、幸があかねに声をかけた。
「爺さんだ、こっちに向かっている。あと十分ってとこかな。あかね、何かあったの」
「もめ事には関わりたくはないのですけど」
思案げにあかねは少し俯いたが顔を上げると、にっと笑った。
「あかねは佳奈さんちに逃げます。お爺さまがいらっしゃいましたら、何処かに逃げたとお伝えください」
幸が頷く、あかねは台所に戻ると、いくつかおにぎり握り小皿に移した漬け物をお皿ごと、風呂敷に包みそそくさと出ていった。
幸が立ち上がる。
今週の食事当番は小夜乃とかぬかと男だ、男が味噌汁の大鍋の取っ手を持った瞬間、幸が飛ぶように男の元に寄ると、もう片方の取っ手を掴んだ。
「ありがとう、幸」
「どういたしまして」

食卓横のテーブルに味噌汁の大鍋を置く。男が向こう側一番端に座るのを見送り、幸が元の椅子に座った。
亜矢がおおっと息をのんで幸の振る舞いを見ていた。
まるっきり、純真無垢な、花畑で花冠を作っていそうな、そんな笑顔の素敵な美少女だった、先ほどのねとつくような脅しを仕掛けた相手とは思えない。
「凄いであろう、亜矢」
亜矢の思いを察してなよがにんまりと笑った。
「ま、とにかく、あかねと父さんは普通の人間じゃ。虐めるでないぞ」
亜矢は声を出せず、ただ、こくこくと頷いた。
小夜乃が長机の食卓に山盛りの漬け物の大皿を三枚並べる。かぬかが、器用に大きなおひつを二つ抱えテーブルにどんと置いた。
「お昼ご飯、出来たよ」
黒が立ち上がり、亜矢を促した。
「一緒にご飯、食べよ」
極上の黒の笑みに、亜矢は見とれたが、黒に遅れてはと急いで立ち上がった。

「亜矢は妙子から教わった呪術を覚えておるようじゃ。わしがそれに磨きをかけよう。幸は体術を教えてやれ」
「わかった」
なよの言葉に幸は頷くと、一口、味噌汁を啜った。しっかりと出汁が利いていて美味しい。
「なよ姉さん。小夜乃の味付け、随分、美味しくなった。これで、いつでも嫁に行けるな」
「どの時代のおっさんの台詞じゃ」
なよも小夜乃が誉められると嬉しいらしく、にかっと笑みを浮かべた。
「かぬかは炭水化物系が上達しているし、あさぎ姉さんの指導の賜かな」
あさぎが慌てて首を振った。
「かぬかが頑張っているからだよ」
あさぎがかぬかに笑いかけた。
「あ、ありがとう」
少し頬を赤く染めてかぬかが礼を言う。もしもできるならとかぬかは思う。
お店の隣で、定食屋ができればいいなと。術の修行もしなければならないけれど、やっぱり料理を作っている時が一番楽しい。

ふと、亜矢が気づいた。
「あの。幸乃さんが」
亜矢は幸乃の姿が見えないことに気がついた。
「なんじゃ。幸乃は父さんの、部屋におる」
なよは、父さんの中にと言いかけたが、部屋と言い換えた。
「一緒にご飯は」
「亜矢よ。お前、幸乃をどう見た」
「あの、えっと。とても綺麗な人で、透き通るような涼しげな感じで、優しくて、えっと、とても素敵な人でした」
なよがわざとらしく溜息をつき、亜矢を睨んだ。
「透き通るようなではなく、実際、透けて後ろの壁が見えておったであろうが」
そういえばと、亜矢がそのときの様子を思い出した。
「呪いをかけられたのじゃ」
なよが重々しく答えた。
「え、呪い」
なよは頷くと、じっと亜矢の目を見つめた。
「一人は半分透けて、もう一人はというと、子供に戻ってしもうた。幸乃と幸は一卵性の双子じゃ」
なよが真面目な顔をして適当なことを言う。
「ええっ」
亜矢が目を見開いて幸を見つめた。
「なよ姉さん、それはもう言わないで」
幸が調子を合わせて言った。
「いつか、きっと元に戻ることができる、そう信じているから」
心細げな幸の言葉になよは重く溜息をつくと、ゆっくりと頷いた。
「亜矢よ。この話は終わりじゃ、お前も忘れろ。それから、幸乃の前では、透明、幽霊、そういった言葉は禁句じゃ。幸乃を傷つけてしまうからな」
なよの悪ふざけだが、亜矢は感じいって、素直に口を噤んだ。
ひょっとして、私はこの呪いから幸乃さんを救い出すためにここにやってきたのではないだろうか、真の運命の扉を開けるために。
亜矢はこういう発想をする女の子だった。

「邪魔をするぞ」
店の方から鬼紙老の声が響いた。
「見てきます」
三毛が立ち上がった。

三毛が鬼紙老を連れてくる、幸は立ち上がり、にぃっと笑いかけた。
「爺さんはここに座れ。深刻な話はなよ姉さんが担当だ」
幸は台所でおにぎりを作り、お椀にお味噌汁を注ぐとお盆に載せた。
幸が店にでると、平次が入り口で直立不動の姿で立っている。
「こら、平次」
「師匠」
怯えを隠しきれず、平次の声が微かにうわずった
「可愛い女の子が健気に頑張っているアットホームが売りの店だぞ。むさいおっさんが表から見えるところに立つな」
幸は怒鳴ると、平次を手で招く。
「申し訳ありません」
平次は駆け寄るとカウンターに背を屈め座った。
平次は東京支社長とここで修行をした、そのせいで幸には到底かなわないことを理解していた。
「昼飯まだだろう。聞きたいこともある、遠慮せずに食え」
幸が平次の前におにぎりと味噌汁を差し出した。
「いえ、あ、あの」
「同じ言葉を繰り返させる気か」
幸が睨む、慌てて、平次がおにぎりを頬張った。
幸は平次の斜め前に座る。かなりの男嫌いである、息がかかるのもいやなわけだ。
「修行は続けているか」
慌てて、平次は食べかけていたおにぎりを飲み込んだ。

 

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googleは、あまり好きではないのですが、google翻訳を利用しています。
作者 朽身揺歯

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異形

異形 流堰迷子は天へと落ちていく

異形 雨夜閑話

異形 月の竹 眠るモノ

異形 撃

異形 漣

異形 月の糸

遥の花 藍の天蓋

遥の花 あさまだきの靄


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