遥の花 六話

遥の花 六話

この温泉街の中でも一番の高級ホテル。廊下には、プレートを掲げた重厚な扉が並ぶ。ふと、幸は、何か用事を済ませた後だろう、少し先を歩く仲居に気づき、音をさせず走り寄ると、後ろから抱き締めた。
「あはは、だーれ、だ」
「お、お客様、困ります」
低い声で幸が囁いた。
「なんだよ、寂しいなぁ。あたしの声、忘れたのかよ」
「うっ、うわぁあ」
仲居は腰を抜かし、尻餅をついてしまった。幸は仲居の前に回り込み、にっと笑った。
「やっぱり、あの時の瞳さんだ。元気にしてた」
「は、はい。おかげさまで・・・」
幸もぺたんと廊下に座ると、目を逸らそうとする瞳をじっと見つめた。
「転職じゃねえな、まだ、穢れた気配がある。ここで、何かあるのか」
「あ、あの、それは・・・」
「あたしさぁ、十日間、父さんと旅をしてきたんだよ、湯治場で、できるだけ安上がりでさ。で、最後の日は思いっきり贅沢をしようてんで、このホテルに泊まってんだよな。あたしと父さん、いい気分で明日、チェックアウトできるかい。変なことにさ、巻き込まれたりしないかねぇ」
瞳は困ったように俯いてしまった。
「参ったなぁ、そうなのかよ、しょうがねえな。うん、ところで、なんで、あんたなんだ」
「え・・・」
瞳がけげんそうに顔を上げた。
「あんた、実動部隊の指図する役だろう。指図されてんじゃねえのか」
一瞬、唇を噛み、瞳は俯いてしまった。
幸は無造作に瞳の顎を右手でくっと上げると、その目をにらみつけた。
「あんときの失敗で降格、平になって、二番手だったおっさんが今ではあんたの上司か。なんか、あたしのせいみたいじゃねえか、寝覚め悪りいな」
「いいえ、決してそうではなく・・・」
階段を上がってきたのか、足音がした。

「お姉ちゃん、やっと会えたね」
幸は笑みを浮かべ、瞳に抱きついた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、もう何処にも行っちゃ嫌だよ」
ぱたぱたと足音が寄って来る。
「お客様、なにか、従業員が粗相でも」
仲居が一人、あたふたと近寄ってきた。
幸は泣き濡れた眼差しで、近づいてきた仲居を見つめた。
「ごめんなさい、やっとお姉さんに会えたのが嬉しくて・・・」
「え、それは・・・」
仲居はとっさに状況が把握できずにいた、幸は立ち上がると、そっと仲居の手を両手で包み、その目を見つめた。
「名字は違うけど、生き別れていた私のお姉さんなんです。ずっと、探していて、やっとこのホテルに勤めているってわかって・・・」
幸はぼろぼろと涙をこぼすと、その仲居に抱きついた。
「やっと会えたのが嬉しくて。ごめんなさい、お仕事のお邪魔をして」
「そ、そうなの。良かったわねぇ」
仲居は思わず心を揺さぶられ、貰い泣きをしていた。
「お母さん、ありがとう。あ、ごめんなさい、お母さんなんて言ってしまって、私、どうかしている」
幸は仲居の目を見つめ、涙を流したまま、そっと笑みを浮かべた。
「お母さんか・・・、久しぶりだねぇ。くにのこと、思い出してしまうよ」
「お母さんにも娘がいるの」
「もう、長いこと、会ってないけど、どうしているだろうねぇ」
「連絡取ってないの」
「嫌われているから・・・」
「そんなの、そんなの、絶対ないよ」
幸は仲居の目を見つめ、ぎゅっと手を握り締めた。
「色んな事情はあると思う、でも、心の底から嫌ったりなんか出来ないよ、ただ、素直になれないだけだよ」
幸は仲居の胸に頭を押し付け囁いた。
「葉書だけでも出してあげて。意地を張って返事は返ってこないかもしれない、でも、諦めなかったらきっと仲直り出来るよ」
「そうする、そうするよ」
仲居は嗚咽しながら、やっとのことで、そう答えた。
幸は振り返ると、瞳に寄りそい話しかけた。
「ね、お姉ちゃん、一緒に帰ろう、お父さんも悔やんでいるんだ。これからもう一度、三人で暮らそうよ」
「で、でも、仕事が・・・」
「何言っているんだい、妹さんがこんなにも・・・」
最後は言葉にならず、仲居は、泣き出してしまった。
「お姉ちゃん、908号室に泊まっているから、仕事が終わったら、とにかく来て。お願い、お願いだよ」
諦めたように瞳が小さく呟いた。
「戦線離脱か・・・」
「その方がいいんだよ、あんたにはさ」
幸がにぃっと笑った。

冒険に行って来ると言い残し、部屋を出て行った幸が気掛かりで、男は部屋をうろうろと歩き回っていた。海が大きく望める和室の上質な部屋だ。それが却って男を落ち着かせずにいた。
全くの貧乏性である。

「お父さん、ただいま」
ドアを開け、幸が戻って来た。
「ああ、お帰り。充実した冒険ができましたか」
「もう大変、人命救助はもちろんのこと、吟遊詩人になって、愛を詠ってきたよ」
「なるほど、充実した冒険だったわけだ」
男は笑うと、窓辺に設えられたソファに座った。幸は男の横に座ると男の肩にもたれかかる。
「もうちょっとで大航海に出るとこだったけど、お父さんの顔を思い出して帰って来た」
「それは良かった、幸がいなくなったら父さん、泣いてたかも」
「どんなふうに」
「子供みたいに大きな声で泣いていたかもね」
「幸は船の上でも、お父さんの泣いているの、聞こえたら、空飛んで帰って来るよ」
男はくすぐったそうに笑うと、急須からお茶を二つ入れ、一つを飲む。
「十日間、本当に賑やかだった」
「ね、色んな人に会った。また、いつか会いたいな」
幸が男のいれたお茶を飲む。
「お父さん、湯治場での自炊生活は新鮮だった。あ、こういう生活もあるんだなぁって思った」
「共同生活みたいなものだからね。御味噌の貸し借りとか、お醤油分けたり」
「みんなの住所、聞いておいたから、また、葉書を出そう」
「幸は人気あったからね。なんていうのかな、父さんはね、色んな人と会って、幸の世界を広げて欲しいと思っている」
「うーん。幸はお父さんとこうして喋っているのが一番嬉しい。だから、本当はお父さんさえ居てくれれば狭くてもいいんだ。でも、お父さんの望むことしたいし、うまく出来て、お父さんが喜んでくれたら、とっても嬉しい」
「それはなかなか複雑なこと」
「乙女心は複雑怪奇なのです」
幸は眩気に笑うと、両足を男の太ももの上に投げ出した。
「幸はただいま充電中です」
ふと男は真顔になり幸を見つめた。
「ごめんなさい、これはやり過ぎだった」
「幸、父さんの膝の上に座ってくれるか」
「え・・・、あ、うん」
幸は男の膝に横座りになると、そっと男の顔を見上げた。そのまま、男は幸を抱き締めると、幸の耳元で囁く。
「今日で幸に名前をつけて一年が経つ、誕生日おめでとう。この一言をね、旅の間、ずっと言いたかったんだけどね、面と向かっては恥ずかしい、でも、幸の出来るだけ近くでそう言いたかった」
「ありがと・・・、お父さん」
「幸は一年でとっても成長した。とっても聡明で素敵な女性に成長したよ」
言い終えて、男は手を放した。
「もう、降りていいよ、ありがとう」
幸はそのままの姿勢で男を見つめる。
「お父さんもしっかり、幸のお父さんになってくれたよ」
「ありがと、その言葉、とっても、父さん、嬉しいよ」
幸は男の胸に顔を埋め囁いた。
「幸はお父さんを食べてしまいたいくらい好き。ほんとにもう、食べちゃうぞ」
男は幸の頭を優しくなでながら笑いかけた。
「父さん、食べられちゃうと、幸とお喋りできなくなってしまうよ」
「それじゃ、食べないで我慢してあげる」
幸は両手をのばし、男を抱き締めると、静かに静かに泣きだした。

男はホテルのロビーにある喫茶店で珈琲を注文した。たくさんの人達が行き交う。席も七割がた埋まっていた。
人を辞めた奴らが多い、心臓の代わりに仕込んでいるのは、呪宝具。呪いのかかった宝石、神木の破片、古代の指輪、倉庫屋ということか・・・
「お父さん、やっと見つけた」
「ん、幸、おはよう」
幸は男の横に座ると、少し拗ねたように男をにらんだ。
「ソファで一人寝ていた。起こしてくれればいいのに。お父さん、捜し回ったんだよ」
「起こすのは無理、だって、泣きながら眠ってさ、あんな可愛い寝顔、起こすのはもったいない」
「お父さんったら、もう。そういうのは平気で言えるくせに」
幸が照れながら言う、男がそっと笑った、
「何か頼みなさいな」
「お父さんと同じ珈琲にするよ、カウンターで注文してくる」
男を置いて、幸はカウンターへ向かった。男はしばらく幸の後ろ姿を眺めていたが、不意に俯くと、腰の後ろに手をやった。
良い運動になるか・・・
「お父さん、ケーキも二つ頼んで来た、ショコラ、美味しそうだったよ」
「珈琲にはちょうど良いね」
幸は男の横に座り、話しかけた。
「なんか、お父さん、変」
「可愛い娘に変と言われてしまうとはとっても哀しい・・・」
男は少し笑うと幸に囁いた。
「左目、瞑りなさい」
「うん」
男は幸の左目をそっと指先で触れ、そして、離した。
「目を開けて、辺り、見渡してごらん」
幸の左目に男が見ている情景が映る、半数ぐらいになるだろうか、心臓の無い人間たちが、笑顔を浮かべ行き交っていた。
「なんなんだ、これ」
幸は小声で呻いた。
「人には欲望がある、金持ちになりたいとか、有名になりたい、他人から称賛を浴びたい。色んな欲望がね」
「それがどうして」
「魔術師や術師は彼らの願いを叶えてあげようと囁く、ただし、心臓を預からせてほしい、そして、数年の間、その抜け穴に呪宝具を保管させてくれと言う。時間が経てば元どおり心臓を返すからと言ってね。ただ、多くの呪具宝は人の魂を食らう」
「だますってこと」
「確かに金持ちにもなるし彼ら、心臓を渡した奴らは喜ぶよ、でも、数年経てば、彼らの魂は消滅し、ただの人形として魔術師たちの道具になってしまう。つまりは思いっきり騙しているわけだ」
男は俯くと、そっと目を閉じた。
「お父さん、泣いているの」
「人は・・・、弱くて仕方がない。もっと賢明であればいいのにな」
幸はぎゅっと男の手を握った。
男はしばらくして顔をあげると、幸に囁いた。
「今夜は部屋に結界を敷いてしまおう」
「何があるの」
「呪宝具のオークションが開催されるだろうと思う。たくさんの呪宝具が一同に集まる。その影響で頭痛くらいで済むかどうかわからないからね」
ふと、幸はロビーを横切る仲居の姿を見つけた。幸がお母さんと呼んだ仲居だった。しかし、先程とは違い随分苦しそうに歩いている。良く見ると、頭や肩に黒い埃のようなものが被さっていた。
「お父さん」
「いいよ、行ってあげなさい。縁が出来たのだろう」
男は少し笑顔を浮かべると、珈琲を啜った。
「お父さんはどんな奴からも幸を守るから安心しなさい。さ、行きな」
幸は頷くと、その仲居に走り寄った。
「お母さん、大丈夫」
幸は仲居の前に立つと、心配そうに声をかけた。
「さっきの妹さんだね。今夜ね、葉書を書くよ」
苦しそうにしながらも笑顔を浮かべる。
「苦しそうだよ、どうしたの」
「はは、どうしたもんかねぇ、疲れが急に出たみたいでね」
幸は仲居をロビーの陰にやると、そっと後ろに回り、仲居の頭と肩を払う。幸の手を避けるように黒い埃が落ちて消えて行く。そして、最後にそっと背中をさすった。
「どう、少しは楽になった」
「あれ、どうしたんだい。平気になってしまったよ」
「良かった、お母さん、あまり無理しちゃだめだよ」
幸は仲居の前に立ち、そっと笑いかけた。
「誰かに背中をさすってもらうと体も心も楽になる。今ね、私は本当のお母さんだと思って背中をさすったんだ。だからね、お母さんの本当の娘が背中をさすってくれたら、もっと素敵だと思うよ」
幸は髪の毛を一本抜くと、仲居の手首に巻き付けた。
「お守りあげる」
「ありがとうね、本当にありがとう。今日はなんて良い日なんだ」
「それじゃね」
幸は小さく手を振ると、男のところへ戻って行った。
男はそっと幸の頭を撫でた。
「とっても幸は良い子です」
「お父さん、また、泣いている」
「だめだな、一度泣くと癖になってしまう」
「素直に泣けるお父さん、好きだよ」
「それ以上言うな、顔上げられなくなってしまうよ」
「お父さんは感激屋さんだ」
幸は幸せそうに男を見つめると、男の手にそっと手を重ねた。
男はひとつ大きく息をすると顔を上げた。幸がそっと男の目許をハンカチで拭った。
「あぁ、父さん、なんか格好悪いな」
男は一口、コーヒーを飲み、少し笑った。
「もう大丈夫だ」
「お父さん、商店街の人達に言われてるよ」
「なんて」
「明るくなって付き合いやすくなったって」
「そうかもしれないな、以前より、感情が表にでやすい。多分、それは父さんが幸せだからだろうな」
「それは幸がいるからなの」
「そうだよ」
「それはとっても嬉しい。幸がお父さんの隣にいてもいいってことだから」
幸はにっと笑うと男の肩に体を預けた。

「お客様、こちらの方が御同席をご希望されているのですが」
「あ、瞳さんだ」
その声に、幸は顔を上げた、しかし、一瞬、目を見開くと跳ね上がるように立ち上がった。
「あんた、それ、どうしたんだ」
あわてて、幸は自分の口を押さえた。
「幸、言葉遣いは丁寧にね」
「ごめんなさい」
男はくすぐったそうに笑うと、瞳の隣りにいる初老の紳士を見上げた。
「これは懐かしい、私が子供の頃、親父の元で修行していた時以来ですね」
男は笑顔で立ち上がると、紳士に前の座席を勧めた。
二人は席に着くと笑顔で会釈をする。
「幸、その女性の手をしっかり握っておきなさい」
「はい・・・」
「しかし、驚きです。私はこんなおっさんになってしまったのに、神崎さんは私が子供の頃そのままですよ」
「健康には気をつけておりますのでな」
「なるほど」
男は含み笑いを浮かべると、じっと紳士を見つめた。
「それで、御用件は」
男が囁くように言うと、紳士は笑顔のまま答えた。
「今日は一晩、ゆっくりとしていただきたいと思いましてな」
男は辺りを見渡す、いくつかの目が、魔術師達だろう、男の一挙手一投足に意識を集中していた。
「準備万端のようですね」
「私、臆病でしてな、準備は十二分にしておきたいのですよ、特に貴方のような方にお目にかかる時には」
「私は娘に災いがなされない限りは、旅行客としてゆっくりするつもりです」
「娘・・・、こちらの方はお嬢さんでしたか、また、なんとお美しい」
「私には過ぎた娘です」
「して、お名前は」
「娘の名前は秘密です、私、娘を溺愛しておりますので、男性には娘の名すら言いたくないのですよ、愚かな親とお笑いください」
「いやいや、これ程の美しいお嬢さんならそれも致し方ないこと、失礼致しましたな。つい懐かしい顔を見かけたものですから」
紳士はゆっくりと席を立ち上がる、男は紳士が立ち上がり切ったところで話しかけた。
「こちらの仲居さんはどうも神崎さんの部下のようですね」
「そのようなものですな。いや、以前はこれも優れた弟子だったのですが、不意に意気地をなくしてしまいよりまして」
紳士は否定もせず、世間話のように答えた。
「いただけませんか、彼女を。娘が執心しておりますので」
「こんなものでよければどうぞ」
紳士は厄介払ができたとでもいうように笑った。
「もちろんのこと、彼女の心臓も返していただきたい」
「代わりに何をいただけますかな」
「何が欲しいとおっしゃいます」
「ですな、無難なところでお腰の刀などいただけるとありがたい」
「これは私が数年前に買い求めたもので、なんのいわくもない刀ですがそれでよろしいのですか」
「いや、貴方がこの刀を使うのは多くのモノが知っております。面白いではありませんか、ある日、貴方の心臓にその刀が突き刺さっていれば」
男は愉快に笑うと、腰から刀を鞘ぐち抜き、紳士に手渡した。
「それはとても楽しいお話を聴かせていただきました。ありがとうございます」
「それでは」
紳士の体が薄れ消えて行った。
男は女性の胸で心臓が鼓動しているのを確認し、ほっと一息ついた。
「お父さん、今からでもあいつ殺しに行くよ」
幸が紳士の消えた後を睨みながら囁いた。
「奴はとても臆病だから、死ぬとでもなったら、たくさんの人達を平気で道連れにする。今はまだやめておいた方が良い」
「わかった」
「それより、瞳さんだったかな、部屋へ連れて行こう。まだ、しなければならないことがあるでしょう」
幸も立ち上がると瞳に笑いかけた。
「お姉さん、一緒に行こう」
「もう、何がなんだか・・・」
蹲りそうになる瞳を幸は支えると、くすぐったそうに笑った。
「お姉さんの生命は幸が預かった、諦めな」

部屋に戻ると幸は瞳をベッドに寝かせつけた。ベッドルームもあるのだが、幸はベッドに寝ることができずにいたため、部屋をそのままにしていたのだった。
「幸、彼女の家族は」
「夫と子供、男の子が一人」
「どうか、お願いです。家族には危害を加えないでください」
男は柔らかな笑みを浮かべると、瞳に語りかけた。
「もともと、貴方はこちらの世界の住人ではないのでしょう。少し時間はかかりますが、私は貴方を居てしかるべきところに帰そうと思っています」
「幸、まずは彼女の家族を保護しなさい、二人を捕捉できますか」
幸は瞳の額に手を触れ、その目を透かすように見つめた。
「いま夫は会社、子供は保育園にいる」
男は両の手のひらを上に向け、ふっと息を吐く。そうすると、まるで始めからあったように、硝子細工の鈴が二つ現れた。
「この鈴を二人の魂に繋ぎなさい、そうすれば万が一危機に瀕しても音がそれを伝えてくれる」
幸は男から鈴を受け取ると、まるで水に手をいれるように瞳の顔に手を入れて行く。
「あ、ああっ」
「大丈夫だよ、瞳さん、痛くもなんともないでしょう」
「は、はい。変な感じですが、痛くはないです」
「お父さん、繋いだよ」
「それじゃ、次は、彼女を裸にしなさい」
そう言うと男は背を向けた。
「とにかく、瞳さん、自発的に脱いでください。幸、手伝いしなさい」
「お父さん、どうしてあっち向くの」
「父さん、男だからな。女性の裸を見るのはよくない」
「お医者さんは女の人の裸も見るよ」
「お父さんは医者じゃないし、それに幸以外の女性の裸は見ないように・・・、いや、そうじゃなく、なんていうか」
「お父さんのそういう少年みたいなとこ大好き。後で、部屋付の露天風呂、一緒に入ろう」
「父親をからかうな」
幸は嬉しそうに笑うと、瞳を立たせた。帯をほどき、着物を脱がせて行く。瞳は幸がするのを逆らわず裸になっていった。
「裸にしたよ」
「なら、ベッドに寝かせなさい」
幸は頷くと瞳をもう一度、ベッドに仰向けに寝かせつけた。
「これから、私はどうなるのでしょうか」
「教えない」
にっといたずらっぽく幸が笑う。
「幸、こういう状況で不安にさせないように」
男は相変わらず壁を見つめたまま幸を叱る。
「ごめんなさい」
「瞳さん、申し訳ありませんね。この子はまだ子供で。幸」
「はい」
「つま先から、頭、指先ももちろん精査して、埋め込まれた異物をすべて取り出しなさい」
「わかった。さぁ、瞳さん、痛くないからね」
幸はまるで水に手を入れるように、瞳の体に、その両手を入れ、揺らめかせる。
「両足に二つ、お腹にひとつ、心臓の裏には二つも小さな爆薬が埋め込まれている」
幸は、一つ一つつまみ上げるように瞳の体からそれらを取り出して行った。
「首の後ろ、これはホルモンを分泌している、あと、これは脳の最深部に入っている。電気信号を遠隔で操作できるようになっているよ」
「感情を操っているんだろうな」
男が答えた。
「でも回りの細胞が少し破壊されていて、今は機能していないよ」
「実験だったんだろう。うまくすれば忠実なロボットになる」
「お父さん、全部取ったよ」
「後はお風呂で穢れを流し落として来なさいな」
「お父さん、瞳さんの着替え、幸のでもいいかな」
「そうしてくれるかな」
「うん」
幸が素直に瞳を促し、露天風呂へと向かった。

男は先程の紳士が今回の呪宝具オークションの主催者だろうと考えていた。奴は何を企んでいる。何を得ようとしている。

幸は瞳の体をシャワーで流しつつ丹念に洗う。
「ま、前はいいです、自分で」
「あぁ、なんか、幸、えっちな気分になって来た。ああん、お姉様ぁ」
「ごめんなさい、勘弁してください」
幸はくすぐったそうに笑うと、瞳の言葉に関係なく彼女の全身を洗って行く。
「頭痛も肩凝りも消えて行くだろう」
「は、はい。とても体が軽くなって来ます」
「その軽さがあんた本来の体の重さだ。随分と穢れが体の中まで染み付いている。大方は取るけど、後はあんた次第だな」
そして、瞳を湯船につからせると、幸も入った、十人程度は充分に入ることができるこの岩風呂からは、海に沈む夕日が独り占めできた。
「贅沢だねぇ、旅の予算のかなりがこのホテルの宿泊代だ」
「あ、あの」
「ん、どうした」
「どうして、私を助けてくれて・・・」
「あぁ、あんたが真面目すぎるからだ」
「真面目って」
「真面目な奴は、真面目に深みにはまり込んで行く、ちょっとやめておこうかななんて浮気せずにひたすら真面目に落ち込んで行く。そういうのが歯痒くてね。それがきっかけかな」
「私は真面目過ぎますか。そうかもしれない」
「過ぎるのは良くない。それに二度会うのも縁があったってことだろう。あんまり難しく考えるな、あたしもそんな考えて行動しているわけじゃない」
「それからな」
ふっと幸は思い出したように呟いた。夕日は半ば以上、海に沈み込み、天蓋はそれでも紅蓮に燃えていた。
「あんたがさっきの野郎に命令されて、秘密を探りに来たことなんざ百も承知だ、父さんもあたしもな」
瞳は、一瞬、目を見開き、脅えたように俯いた。
「今日最初に会ったのは偶然かもしれない、ただ、それをあんたは野郎に報告をする、そしたらさ、今の状況は必然になる。なぁ、あたしはあんたの家族を守ってやる、あんた自身の体も異物を取り除き、命も安泰だ。他に何が必要だ。あんたがあの野郎と決別するにはさ」
瞳は唇をかみしめ、俯き続ける。
「勇気を持ちな。悔いのないようにさ」

男は困惑していた。瞳が男の前で土下座していたのだ。
「お願いですから、顔を上げてください」
男は瞳の前に正座すると、少し引きつった笑顔を浮かべた。
「まずは顔を上げてください、それからお話を承りましょう」
男は他人に頭を下げるのは嫌いだが、それ以上にこういう状況を苦手としていた。
幸も困ったように見つめていたが、しょうがないと吐息を漏らすと、瞳に話しかけた。
「姉さん、顔を上げてさ、気楽にね、そうじゃないと話が進まない」
瞳はやっと顔上げると、おずおずと話しだした。
「救っていただきありがとうございます。この御恩は」
「あの、そういうのいいですから」
男は困ったように手をぱたぱた振ると、しばらく考え込んだが、
「私は正義の味方でもなければ、善人でもありません。ただのお節介ですから、特に気にしていただく必要はありません。それと、瞳さんでしたね、先程から、以前何処かでお目にかかったような気がするのですけど」
「ごめんなさい、お父さん。まだ、言ってなかったけど」
幸が困ったように男に言った。
「あの時の、ほら、外神の時のおばあさんに変装していた・・・」
「あ・・・、あの時の人か・・・」
「申し訳ありません」
瞳が畳に額を擦り付ける、
「いや、あの、いいですから。貴方の立場もあったことでしょうし。ですから、顔を上げてください」
幸がくすぐったそうに笑った。
「本当に、お父さん、こういうの苦手だね」
「幸、傍観者づらしないように」
幸は笑うと、瞳の横に座った。
「瞳さん、ちょっとお茶飲も」
幸はお茶を入れると瞳に差し出した。
瞳はお茶を飲むと、やっと顔を上げた。
「まっ、瞳さん。十日間ほど、一緒に暮らしていただきます。その間に、体と精神を普通の人程度まで浄化しましょう。それと、今後、ご家族で生活して行かれる中で、呪的干渉を受けないよう工夫します。それで、きっぱり、この世界から縁を切ればいいでしょう」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「いいえ、どう致しまして」
男はほっと一息つくと自分でお茶を入れ、一口飲む。
「幸、昼間の奴はさ、父さんの親父のライバルだったんだ。当時、親父は先を越されたと悔しがっていたよ」
「因縁があるの」
「っていうかね、親父は権勢欲が強くてね、一大流派を作ろうとしていたんだ、自衛隊にね。閉鎖的で上意下達がしっかりしている組織だとやりよいからさ」
「そういう意味か・・・。それじゃ、瞳さんも」
「最初は直属の上司に奨められてでした」
瞳が、ぽつりと呟くように言った。
「精神修養によいと聞かされて・・・」
「そんなところだろうな。いずれは斬ることになるかな」
「お父さん、かなり怒っている」
男はふっと笑うと肯定も否定もせず立ち上がった。
「お父さんね、せっかくだし、露天風呂だけ入っておくよ」
「それじゃ、幸はフロントに事情を説明してくる。行こう、姉さん」
「あの、何を・・・」
「今から帰る準備。まだ、この時間なら帰りの列車もあるだろうし」
幸は当たり前のことのようにして答えた。
「瞳さんも荷物があるでしょうし、幸と一緒に行ってください。今夜はオークションがあるのでしょう、呪宝具の。奴がそれを主催する」
「は、はい」
「あれだけの呪宝具が集まる、これは奴にも幾分荷が重すぎるかもしれない。その上、私と幸が泊まっていたら、奴は監視と抑制用に半数は手下をこちらに回してしまう。呪宝具が暴走すればこの辺りが焦土と化してしまうかも知れません、それを抑える余力を奴に残しておくためにも、私達はここにいない方がいいのですよ」
そう言い残して、男は露天風呂へ向かいかけたが、はっと気づき幸に声をかけた。
「幸、絶対に」
「え、なに」
「泊まらずに帰るんだから宿代負けてとか言わないようにね。そういうの、恥ずかしい」
「はは、言うつもりだった。わかった、お父さんに恥ずかしい思いはさせないよ」
男は溜息を漏らすと部屋付の露天風呂に向かった。

漁船の灯火だろうか、
男は露天風呂に肩まで浸かりながら、夜の海を眺めた。そして、天蓋は満天の星空。
あぁ・・・、思わず溜息が出てしまう。
その空に一瞬、一筋の光がきらめいた。
男が左手をその光に向ける。
男の左手には、刃先を心臓に向けた男の小刀が握られていた。
「本当に突き立てようとしたとはな」
男は呟くと、小刀を横に置き湯船で顔を洗う。
「急かせなくても帰るさ」
男は呟くと、もう一度空を見上げた。
静かだ・・・。なぁ、親父、あんた、先越されて良かったと思うよ。さすがにさ、あんなふうにはなって欲しくないからな。

「ここは部屋風呂、大浴場の方へお願いできませんか」
男が振り返ると、十人はいるだろう、覆面で顔を隠した男たちがナイフ片手にして男に今にもとびかからんと構えていた。
「風呂上がったら帰ります。ですから見逃していただけませんか」
「女の縛りを解かれた以上、今後、貴様は障害になる、早めに潰しておくのが得策と仰せつかって来た」
男の一人が答えた。
「神崎さんも相変わらず腹が小さい」
男は呟くと、声を発した男を見上げた。
「私を殺すつもりのようですが、それは無理ですよ。貴方の足は棒になってしまったから動かない、腕もほら、関節が固まってしまったでしょう。他の皆さんもそうですよ、体が固まって動けなくなってしまった」
男は湯船から上がると、何事もなかったように体を拭き服を着ると部屋へ戻った。
部屋に入ると、瞳が腰が抜けたように座り込んで震えていた。
「どうしました、彼らなら殺してはいません。半時間もすれば暗示が解けますから、それまでに帰りましょう。ん、幸は」
「あ、あの・・・」
ふと、男は入り口のドアが袈裟懸けに両断されているのを見た。
「ええっと、これは困ったな。瞳さん、オークション会場はどちらです」
「さ、最上階のホールです」
「では、行きますか」
男は瞳に肩を貸し立ち上がった。

男は幸の片手を、両腕、体全身の力で受け止めた。
なんて力だ・・・。
幸の剣先は仰向けに倒れた神崎の首、寸前にある、
「お父さん、こいつの首を刎ねる」
鋭い目付き、唇を結んだ幸の顔は神々しく思えるほど美しかった。
たくさんの参加者たちは幸の気配に弾かれ、後ろの壁にへばり付くようにして震えている。
「神崎さん、次はもう俺では抑え切れない、もちろん、この子を制止できる奴なんて何処にもいない、わかるだろう」
「わ、わかる、わかる」
神崎は脅え、後退りしながら喚いた。
「なら、今後、一切、かかわるな。あんたが手出さなければ、こちらからもかかわらない。」
「わかった、もう、一切、手は出さない」
「もしも、約束を破ったら・・・、これは言うまでもないな」
男は一瞬、腕を引くと、力の流れを変え、幸の懐に入り込むと右肩を幸の腹部に合わせ、力の向きをずらしながら立ち上がった。
男は幸を右肩にかつぎ上げる。
「さあ、帰るよ、幸」
「でも、でも」
「父さん、幸が人を殺して、幸の魂に傷が付くのいやだ」
「あたしはもう数え切れないほど人を殺している、今更、一人くらい増えてもかわらないよ」
「だめ、幸は生まれ変わって父さんの娘になった、とっても大切な娘にね」
男はばしっと幸のお尻を叩いた。
「痛いよぉ」
男はくすぐったそうに笑った。
「いい音がした」
「お父さんのえっち」
男は嬉しそうに笑うと歩きだす、そして蹲ったままの瞳の横を一歩行き過ぎ立ち止まった。
「瞳姉さん、手ぇ出せ」
幸は男の担がれたまま、瞳に笑いかけると、思いっきり両手を瞳に差し出した。
瞳はぎゅっと唇を噛むと両手を幸に差し出した。
しっかりと幸が瞳の両手を握り締める。
「一緒に帰ろう」
幸はにっと瞳に笑いかけた。
「お父さん、移動するよ」
「あぁ、頼む」
一瞬で三人の姿が消えた。

夜の列車の中、幸は窓側に座る、その向かいには瞳がいた。男は幸の隣りでお茶を飲んでいる。
「私は変わることができるでしょうか」
男は眠り込んでいる幸の顔を覗き込む。
「瞳さん」
「はい」
「心配しなくても大丈夫、無理やりにでも幸に変えさせられてしまいますよ」
「そうですね」
少し困り顔で瞳が頷いた。
「幸も家族が増えたようで嬉しいのでしょう。縁とは不思議なものですね」
「本当に」
「短い間かも知れませんが、幸の姉になってやってください」
瞳は初めて安心したように笑顔を浮かべた。
「瞳姉さん」
少し寝ぼけ眼で幸は瞳を見つめた。
「瞳姉さん、お父さん、とっちゃやだよ。お父さんは幸のだからさ」
「取らないよ、もっとカッコ良ければわからないけど」
「うーん。ほんと、お父さん、幸以外、誰もお父さんがかっこいいの、わかってくれないよ。困ったな」
「お父さん、もてたらどうする」
「ん・・・、ライバルがいない方がいいのかな。それじゃ、今でいいや」
男はくすぐったそうに笑うと幸の頭を優しくなでる。
「不思議なものだと思いますよ」
男はそう言って列車の窓を見る。窓には三人の顔が映っている。
本当に不思議なものだと男は思った。