遥の花 緑陰の鈴音 三話



「かぐやのなよ竹の姫様は御光臨なさっておられるでしょうか」
あさぎが店の前を掃き掃除していた。そのあさぎの前に巫女姿の女の子が大きな鞄を背負い立っていた。
日頃、使わない言葉にあさぎが返答できずにいると、ちりとりを持って三毛がやって来た。
「どうしたの。あさぎ姉さん」
「えっと、ね」
うまくあさぎが説明できずにいる。ほぉっと三毛が巫女姿の女の子を見つめた。
「綺麗ですね。神社の巫女さんですよね、年末のお参りでくじやお守りを社務所で渡してくれる」
振り返り女の子が答えた。
「そうですけど。あのっ、今日はかぐやのなよ竹の姫様にお目にかかりたく参上いたしました」
「なるほど、なよ姉さんに」
そういえば、なよ姉さんを御神体にしている神社があるという話を晩ご飯の時にしていたっけ、と三毛が思い出した。そこで、散々、なよ姉さんが飲み食いしたとか
慌ててあさぎが言った。
「なよ姉さん、理事長さんと旅行に行くって言ってた、どうぞ、中で待っていてください」
あさぎが女の子の手を引き、茶店へとドアを開けた。
女の子をカウンターに座らせる、
三毛が家の中へ、なよを呼びに行った。
ふと、なよを待っていたシスター田中が女の子を見つめた。旅装に大きな革の旅行鞄を置いている。少し古風な佇まいだ。
田中はにこやかに笑うと立ち上がり、女の子の横に座った。
「初めまして。あなた、巫女さんなの」
「え、はい。私は」
すいっと幸が間に割って入った。
「うちの同居人になる予定の鈴音さんだ。理事長、ちょっかい出さないでくれよ」
にかっと幸が笑った。
「幸ちゃんは目敏いわね。この娘、まだ、拙いけれど読心能力に透視能力もある、良い原石よ」
「石は石としてあればいい。必ずしも磨く必要はないってのが私の考えです。普通に暮らすのが一番ですよ」
「幸ちゃんがそれを言っても説得力が無いわねぇ」
「幸は何処にでもいる普通の女の子ですよ」
幸が気楽に笑った。
「待たせたな」
なよがやって来た。
女の子が声を上げた。
「かぐやのなよ竹の姫様」
女の子が、鞄を降ろし立ち上がった。
「おう、いつぞやの鈴音ではないか。そのときは馳走になったな」
なよは鈴音の隣に座ると快活に笑った。
「そうじゃ、大学はどうした」
「受かりました。これもかぐやのなよ竹の姫様のおかげです」
なよは鈴音を座らせ言った。
膝をそろえ、緊張の表情でなよに向き合う。
「受かったのは鈴音の努力の結果じゃ」
にかにかとなよが嬉しそうに笑った。
「しかし、困ったのう、わしはこれから当分旅に出る」
ふと、なよが真顔になる。
「鈴音。わしはおらんが、ここの者はおっせかいものばかりじゃ、気楽にゆっくりしていけ」
「あ、あの」
鈴音が必死に言おうとするが言葉にならない。
「鈴音さんは、これから、うちに住むとして、さすがに皆のように雑魚寝は無理だろう」
男がなよの隣に座り言った。幸が頷いた。
「そうだ。三毛なら部屋を一つ、個室のお洒落な部屋にできると思うよ」
幸の返事に三毛が慌てて答えた。
「できるよ。素敵な部屋を作ります」
男がにっとなよに笑いかけた。
「うちの次女は大酒のみで、酔うととっても気前よくなって、なんでもわしに任しておけという」
なよは男に振り返ると、ぎゅっと男の頬をつねった。
「そのとおりじゃが。まっすぐにそれを言われると腹が立つ。父さんに言われると少しばかり嬉しいのが不思議じゃな」
「お父さんはねぇ」
幸が溜息をついた。
「娘の忠言も聞き流し、あたふたと走り出て途中で苦しくなって行き倒れる人です、本当に困ったお父さんですよ」
田中が嬉しそうに笑った。
「あんたが行き倒れって、余程弱っているのね。いまなら、けっ飛ばせそうだわ」
「慈愛、博愛の精神で許してくださいよ。そんなんで、彼女は私の命の恩人なわけです」
田中が目を見張った。
「このおっさんを助けたっていうの。それって三億の宝くじに当たったようなものじゃない」
「三億どころじゃありませんよ」
幸がにかっと笑った。

.家の中
なよと田中を送り出した後、幸は鈴音を連れて家の中に戻る。雑魚寝用の広間の縁側。ふんわりと暖かい。鈴音が背負っていた鞄を降ろし、一歩、前に出る。なんて、綺麗な景色なんだ。少し向こうに畑、その向こうは森が何処までも続いている。
「梅林です、向こうには川も流れているよ」
「あの、これはかぐやのなよ竹の姫さまの神通力でしょうか」
「鈴音さん」
幸がにこやかに声をかける。
「かぐやのなよ竹の姫様のことは、なよ姉さんとお呼びください」
「そ、そんな、不遜なことは」
驚いて、鈴音が声を上げた。幸がゆっくりと首を横に振る。
「それがお望みなのです。神様は孤独です。対等に笑ったり、お喋りできる者がおりません。その孤独は如何様でしょうか」
鈴音の瞳から涙が溢れ、泣き出しそうになる。
「私も姫様の孤独をいくらかでも癒せますでしょうか」
幸は頷くとそっと笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。鈴音さんなら」
こう言っておけば鈴音も納得するだろうと幸は適当に言っただけだが、鈴音の感極まった顔を見て、ま、なよ姉さんも大変だなと思う。神様もお疲れだ
三毛がノートを持ってやってきた。
「鈴音さん」
嬉しそうに、三毛が鈴音を見上げた。
「どんな、お部屋がお望みですか」
「あの。ええっと」
鈴音は、かぐやのなよ竹の姫様のお世話をするということばかり、思い詰めていたので自分自身のことまで考えが至らなかったのだ。
幸が鈴音を見上げた。
「そうだ、荷物とか、引っ越し業者さん、いつ来るの」
「あ、あの、いえ」
鈴音が降ろした大きな鞄を横目で見る。
幸が三毛に言った。
「三毛。鈴音さん用に机と椅子と本棚
を作ってくれ」
「やったぁ」
三毛が飛び上がって喜んだ。
「私の末娘は日曜大工が趣味なんだ。頭領って呼んでやってください。あとは、鈴音さん、ここは自分ち、私のことは母親兼便利屋と思ってあけすけになんでも話してください」
台所からかぬかの声が聞こえた。
「朝ご飯できたよ」
かぬかがやってきた。
「鈴音さんだっけ。朝ご飯まだだろう。用意しておいたよ。冷めないうちに食べな」
とっさに返事が出来ず、鈴音があたふた頭を下げる。
幸が笑顔を浮かべた。
「こっちが、かぬか。私の姉さん、口はちょっと悪いけれど、優しい人だよ」
かぬかは、恥ずかしそうに顔を赤らめたが、ふいっと踵を返し、店に戻った。
「鈴音さん、朝ご飯を食べたら紹介するよ。なよ姉さんの娘たちをさ」
幸が満辺の笑みを浮かべた。

朝ご飯、美味しかった。
鈴音がふわっと縁側に座り込む。押し麦入りの三分突きご飯、あじの干物を焼いたのと、じゃがいもと布海苔のお味噌汁。半年前から、朝ご飯作るのが面倒だとパン食になっていたのだけれど、やっぱりいいなと思う。
縁側から少しが庭になっていて、その向こうが畑と田んぼ。それ越えると林だ、幸さんによると梅林でその向こうには川があって、たまに魚釣りをするらしい。
桃源郷、これもかぐやの、いや、なよ様のお力だろう。凄いことだと思う。

.夕子
「おはようございます」
振り返ると夕子が笑みを浮かべて立っていた。
「あ、あの。ふぁ、ふぁいんさんきゅう。えっと」
「大丈夫です、普通にこの国の言葉、わかりますよ」
夕子も、縁側、鈴音の隣に座った。
綺麗な人だ、外国の女優さんみたいだ。金色の髪、白磁の頬に、青く透き通る瞳。ちょっと、どきどきする
「その出で立ちからすると、なよさんを祀る神社の方ですね。確か、鈴音さん」
「はいっ。あの、お姉さんは」
「夕子です、夕子と呼んでください」
ぼぉっと鈴音が夕子を見つめる。
「あの、夕子さんは神様ですか」
思わずそう尋ねてしまう雰囲気を夕子は持っていた。
「いやいや」
夕子はぱたぱたと手を振るとやんわり否定する。
「何処にでもいる普通の女の子ですよ」
その言葉に鈴音は夕子のような女の子達がスーパーで買い物するのを思い浮かべてみる。あり得ないだろう
「ずっといた場所を追い出されて、なよさんに拾っていただいたんです」
ふと、鈴音が新聞の記事を思い出した。
「難民ですか」
夕子が少し首を傾げ考えた。
「そうです。私は難民ですね、考えてみれば」
納得したというように夕子がうなずく。
「おおい、夕子」
幸がやってきた。
「お弁当を作ったよ。リュックサックの横に置いておいた」
夕子は縁側から足をあげ、幸に向き直ると笑顔で頭を下げた。
「幸お母さん、ありがとう」
そう言ってしまってから、慌ててごめんなさいと頭を下げる、顔が真っ赤だ。
「つい、お母さんって言ってしまいました。私の方が年上なのに」
ぎゅっと幸が夕子を抱きしめる、夕子の顎に幸の髪が微かに触れる。
「我が娘よ。無理するなよ、こりゃだめだって思ったら母さんを呼べ。どんな奴でも母さんががつんとかましてやるさ」
幸は顔を上げるとにかっと笑った。
「ありがとう。幸は夕子の母さんだ、忘れるなよ」
夕子はほっとしたように笑顔を向けると、少し頭を下げ部屋を出た。
幸も鈴音の横に座ると気楽に笑う。
「ここでは幸となよ姉さんが母親なんだ。なんか、そうなってしまった」
鈴音は改めて幸の顔を真横から見る。凄い美少女だ、こんな綺麗な女の子見たことがない。どうして、さっき見たとき気づかなかったんだろう。
「あんまり見つめないでくれ。気恥ずかしい」
「ご、ごめんなさい」
いたずらげに幸が笑った。
「鈴音は目がいいんだな。避眼の術が効きづらいようだ」
幸はそっと息を吐くと、正面を向いたまま呟く。
「鈴音さんには感謝している。幸はちょっぴりファザコンなところがあってさ、お父さんが好きなんだ。ただ、お父さんは娘のことを護るのが一番の務めと思っている人だから、自分の体が悪いことを忘れて頑張ってしまう。鈴音さんが声を掛けてくれなかったら、写真になっていたかもしれないと思うとさ、恐ろしくてふるえてくる。鈴音さん、ありがとう。感謝している」
幸は立ち上がると、何事もなかったように店に戻った。
鈴音は思う。私はただ、おじさんの背中に両手を当てただけだ。だから、却って恐縮してしまうのだ。でも、と思う。父さんや母さん、おじいちゃんやおばあちゃん先祖がずっと奉ってきたかぐやのなよ竹の姫様がご存命で、私はこれから姫様にお仕えさせていただくのだ、私の背中にはご先祖様がずらりといるのだ。ご先祖様に喜んでいただけるよう、姫様に喜んでいただけるようしっかりと働こう。







.蛇足 三毛、怒る
俯いて視線を足下一点にやる、縁側に腰をかけたままの三毛。昨晩のことだ、幸と黒が三毛の育てていた鶏をさばいて夕飯のおかずの一品にしてしまったのだ。
夕飯前、すぐに三毛は気づき、ぐっと息を飲んだが、声を上げずそのまま他の部屋へと移った。
鶏は家畜であり、卵を食べるし、肉にして食べる、最初、鶏を飼うときの約束だ。
でも、はい、仕方ありませんねと簡単に受け入れるのは嫌だ。

男は縁側、三毛の隣に座ると、んんと小さく唸る。
「困ったねぇ」
男が小さく呟いた。
三毛が俯いたまま言った。
「何か困ったことがありましたか。三毛にはわかりません」
「いやぁ、これは困ったなぁ」
男が前を眺めたまま呟いた。
「お父さん。どうして、アケミを食べなかったんですか。きっと、美味しかったですよ」
三毛が俯いたまま呟く。
「なんで、食べなかったのかなぁ」
男が前を向いたまま呟く。
「なよに食べればいいって言われたんだけどね、やめておくよって言ったら、では、遠慮なしにって、ぱくってなよが食べちゃった。こんなにうまい肉は初めて食った、三毛に感謝じゃって言ってたよ」
男が背を丸め、左手で頬杖をつく。
「三毛は食べなかっただろう」
三毛が小さくうなずいた。
「三毛がひとりぼっちでいたら、父さん、哀しくなって、なんだか、わんわん、泣いてしまいそうになってしまうからさ。父さん、自分が三毛の側にいたら、三毛はひとりぼっちじゃないかもって、なんかね、そんなふうに思ったんだ」
「同情ですか」
三毛が視線を落とす。
「そうだよ、同情だよ。父さんは三毛ほど熱心に鶏の世話をしていたわけじゃない、だから、三毛の気持ちが分かるというとそれは嘘になる。同情、つまり、感情をしばらくの間、同じにするのが精一杯なんだ。他者である以上共感し続けるというのは嘘だよ」
三毛が息を飲み込んだ。
「ただ、三毛は父さんの大切な娘だから、この同情をしっかりと捕まえて、忘れないように頑張るよ。約束する」
三毛が息を詰まらせ声を上げた。うわぁ、まるで小さな子供のように声をあげ泣く、男にしがみついた。
声を張り上げて泣く、小さな子供に戻ったように声を震わせ泣いた。
三毛が落ち着くのをじっと男が待つ。
やがて、三毛が泣きやみ、そっと、男を見上げ、ほんの少し微笑んだ。
「お父さん、ありがとう」
「どういたしまして」
男も笑うと三毛に言った。
三毛は男の横に座り直すと、俯いて大きく溜息をついた。
「あぁ、大変ですよ、もう」
男が少し笑う。
「これから大変だな。皆、知ってしまったからな。三毛の鶏が美味しいことをね」
「笑いごとじゃありません」
「三毛が丹精込めて育てた鶏だ。なよはこんなに旨いのなら今晩も焼き鳥じゃって言ってたそうだよ」
男の言葉に三毛が頭を抱えた。
男はじっと三毛を見つめていたが、少し笑みを浮かべると言った。
「いま、三毛の育てている鶏は七羽。三毛はそれぞれ個体識別も出来るし、名前も付けている。多分、三毛は二十羽になっても見分けられるだろうな」
どういうことだろうと三毛が顔を上げた。
「でもね、三毛。五十羽でも出来るかい。百羽ではどうかな」
三毛が男の目を見つめた。
「いいの」
「いいよ」
「で、でも。騒がしくなるよ、世話も大変だよ」
「なにも一人でしなさいとは言わないさ。みんなに手伝ってもらえばいいよ」
三毛が涙ぐんだ。
「ありがとう。お父さん」
「どういたしまして」
男がふと思いついたように言った。
「雄鳥が一羽いるから、卵のいくつかは有精卵だ。卵から雛を孵化させてさ、ひよこを成鳥にまで育てれば面白いだろうな」
「はい」
三毛が大きくうなずいた。
「あ。でも、それじゃ、情が移ってまた三毛が悲しんでしまうかもしれないから、それはやめておくか」
「お父さんは意地悪ですよ」
三毛が唇をとがらせた。
男は楽しそうに笑うと、三毛に言った。
「孵化のさせ方とかわからないから、図書館へ行って調べよう。三毛はこれから学校だったっけ」
「今日はお休みになりました」
慌てて三毛は立ち上がると縁側の上に飛び上がった。
「三毛も行きます。白姉に服を選んで貰ってきます」
急いで、三毛が白のところへ行った。ここでは、白となよしかお洒落に関心がない。何か、着ていればいいくらいに思っている。三毛は男と出かけるため、お洒落をしようと思ったわけだ。
「さてと。幸、黒」
男が振り向くと、幸と黒が並んで正座していた。
「ありがとう、お父さん」
二人がほっとした表情を浮かべ言った。
「どういたしまして。幸、それじゃ、三毛と出かけてくるよ」
幸がうなずく。
「黒」
男が言った。
「カシワ、美味しかっただろう」
「うん」
黒が笑顔を浮かべた。慌てて、幸が黒の膝を叩く。
男は楽しそうに笑うと、器用に立ち上がり、玄関へと向かった。
幸が正座したまま、黒に囁く。
「旨かった、こんなに旨いなんてびっくりしたな」
「スーパーや商店街で買ってくるのとぜんぜん、違ったよ」
「ここの空気を吸って、水を飲んで、薬の無い餌を食ってんだ。美味しいに決まっているけれどあれほどとはなぁ」
「幸母さん。あさぎ姉さん、見た」
「隣に座っていたから見ていない」
「黒はね、見たよ。お肉を食べた瞬間、両目、がって見開いた」
「見たかったなぁ、それ。あさぎ姉さんの料理、旨いからな。だから、あさぎ姉さんの料理と三毛の鶏。凄い料理になるぞ」
黒がほわっとした表情のまま、うふふと笑う。
「お話はそれくらいでよろしいでしょうか」
小夜乃が二人の前に正座していた。
「幸母様と黒姉様に、昨晩の料理のことでお伺いしたいことがあります」
じっと、小夜乃が幸の視線を捕らえる。
「えっと、はい」
逃げ場なく幸が返事をした。
「そもそも、三毛姉様のご承諾があったのでしょうか」
「おう、幸。今晩はどいつを食べる」
なよが出刃包丁を片手に笑いが止まらない体でやってきた。
「あれほど、旨いのはわしも初めてじゃ。少しばかり、塩を振る。これが最高に旨い」
「なよ母様」
きっと視線を向け、小夜乃が言った。
「なよ母様もどうぞこちらにお座りくださいませ」

..電車にて襲われる
三毛は男の右側に座る。男には右腕がない、万が一の襲撃に備えるのだ。二人は図書館へと向かうため、電車に乗っていた。
緊張感があるはずなのだけれど、気がつけば、ふんふふんと三毛が鼻歌を歌っていた。
「三毛はご機嫌だ」
「お父さんとの二人のお出かけは初めてです」
にかっと三毛が笑みを浮かべた。
「そういえばそうだな。三毛は良いのかい。この年代は父親が臭いとか嫌いとか思うって何かに書いてあったよ」
ふと、三毛は背を伸ばしくんくんと男の肩辺りを嗅ぐ。
「お父さんはいい匂いですよ」
「どんな匂いだい」
「えっとですね」
三毛が顔を上げた。
「梅雨の季節、深い山の中。古い無人のお寺か神社の、五百年くらい経った柱の匂いがします」
「なんだか、誉めてもらえているのかどうかわからないよ。三毛は大工さん志望だから、一般的じゃないなぁ」
三毛がうふふと楽しそうに笑った。
「お父さん、任してください」
「何をだい」
「悪い奴がお父さんに襲いかかったら三毛がやっつけます」
「それは嬉しいな。でも、父さんが悪者で正義の味方が父さんをやっつけに来たらどうする」
「それじゃ、三毛も悪者になります」
「それは辛いなぁ。三毛が悪者にならないように、父さん、頑張って良い人をやるよ」
「よろしくお願いします、お父さん」
電車が止まりドアが開く。行き交う人たち、ふと、三毛が一人の女を見つめた。
二十代だろうか、紙袋を持っている、紙袋に手を入れた。来る
ふわりと三毛が飛び上がり、男に突進する女の顔面に回し蹴りを入れた。
三毛の脚が空を切った。
女が微かに身を伏せたのだ、そのまま突進し、紙袋を男の喉へ。男は紙袋から飛び出したナイフの先を摘まんで嬉しそうに笑った。
「お疲れさま、可愛い暗殺者さん」
男がナイフに中指を載せた途端、音もなくナイフの刃先が折れた、瞬間、男は立ち上がると女を左肩に乗せ、三毛の手を左手で掴み、閉まりかけた電車の扉を駆け抜けた。
「うひゃひゃ」
三毛が悲鳴を上げた。二人を連れたまま、男は線路の上を飛び、遠く路地裏に着地した。
男がうずくまる、息が荒い、男は三毛の手を離すと、心臓に手を当てた。慌てて、三毛も両手を男の背中に当てた。
暖かい、三毛は男の背中が暖かくなるのを感じた。
「ありがとう、三毛。もう、大丈夫だよ」
男の言葉にそっと手を離し、顔をのぞき込む。
「三毛。父さん、かっこよかったかな」
「良かったですけど、無茶はだめです。今はかっこわるいですよ」
男が嬉しそうに笑った。
「三毛に叱られた」
男はほっと息をつき、道ばたに座り込み、女を降ろした。
女がうずくまったまま呟く。
「人形になるのは嫌だ、木の操り人形になるくらいなら死ぬ方がいい。そうだ、高いところから飛び降りよう」
女がふらふらと立ち上がろうとする。
「なるほど。君は心臓の代わりに宝具を入れているくちか。暗殺に失敗すれば人形にされてしまうということだね。それでたくさんの人を殺したのか。そりゃ、大変だ」
男が気楽に言った。
「今頃、君の心臓は心臓の弱った年寄りの心臓になっているか、それとも滋養によいと偉いお方達の夕飯の一品になっているだろう」
絶望した顔で女が振り向いた。
「あたしは騙されたんだ」
男が少し笑みを浮かべる。
「騙す方が悪いのは間違いないけれど、騙される方も悪いんだよ。自分の間違いを認めた上でないと、君の言葉は随分と説得力に欠けるな」
男は器用に立ち上がると三毛に言った。
「一軒、寄り道をして良いかい。歩いてそれほどかからないところだからさ」
何か刺激的なことがありそうだと三毛がうなずいた。
「何処に行くんですか」
男が嬉しそうに笑った。
「教会の魔女」

..教会の魔女
白を貴重にした美しい教会だ。二百台駐車出来る駐車場、その横の小径を行くと教会が見える。小径に沿って、いくつもの花壇が並び、小さな子供達がシスターの指示に従って花の苗を植えていた。
「とても素敵な場所ですよ。ここが魔女が運営する教会なんですか」
不思議そうに三毛が言う。
「例えば何処が素敵だい」
「何処って」
三毛が当然のように言った。
「幼稚園児でしょうか、たくさんの子達が賑やかに花を植えています」
男がくすぐったそうに笑った。
「体験学習と言えば時給はいらないし、子供達もあと十数年もすれば、結婚する子達もいるだろう。こんな素敵な教会で結婚式を挙げたい、そう思う子も多いだろう。実際、ここで式を挙げる人の半数は子供の頃、ここで体験学習をした人たちだ。つまりはただの営業活動だよ」
「ええっ。なんなんですか、そんなのつまらないですよ」
「三毛。怜悧に見ること。そうすれば本当が見えてくるし、本物を見つけることが出来るよ」

表の豪奢な入り口を避け、裏から入る。まるでのっぺりとしたビルのようだ。
ドアを開けてすぐ左が受付だ。少し、薄暗い
あまりの落差に三毛が溜息をつく。
表と裏が全く違います。

受付と言っても、大したことはない、小降りの窓を開けて用件を言うだけだ。
男が受付の窓を軽くこんこんと叩く。
「SKさん、いるかな」
男の声に半分居眠っていたシスターが目を覚ます。男の顔を見た途端、飛び上がった。
「はいっ、居ります。よ、呼んできます」
「いや、いいよ」
男が少し見上げる。
「執務室にいるようだね。わざわざ、降りてきて貰うのも申し訳ない。上に行くよ」

エレベーターを降りると、目の前が執務室の大きな扉だ。扉を開け、SKが満面の笑みを浮かべ迎えていた。
「これは先生。ようこそ、お越しくださいました」
「少し、お願いしたいことがありまして伺った次第です」
男は静かに言うと少し会釈をする。SKに緊張が走ったが、表情には出さず、三人を執務室に招き入れた。
男は暗殺者の女性を前に立たせ言った。
「訳ありなのですが、この娘をこちらのシスターにしていただけませんか」
暗殺者が驚いた。
「あたしにシスターをやれって言うのか」
「そうだよ」
男が笑顔を浮かべた。
「君は私の暗殺に失敗し、私に拉致された。君の命も狙われるだろう、ここなら君は大丈夫だ。そして、私が君の宝具を取り出して木の操り人形にならないようにしてやろう。代わりに心臓も作ってやる。どうだい」
「そうしてもらえると嬉しい。でも、私には返せるものがない」
「君の胸にある宝具をこの教会に進呈くれればいい」
暗殺者がうなずいた。
「SKさん、そういうことなんだけれどいいかな」

人の心臓を抜き去り、宝具を入れる術者は多い。代わりに術を詰め込んだ宝具を入れると、入れられた人間は特別な才能を得る。しかし、いずれは宝具に生体エネルギーを吸い取られ、木の操り人形のようになって死ぬか、術師に使役される人形になる。強い宝具は一部の人間たちの間で高値で取り引きされる。

「先生のおっしゃることにだめだなんて申せませんわ」
SKも宝具が手にはいるならと笑顔でうなずいた。
男が暗殺者の胸に左手を向ける。ふと、男がその手を降ろした。
「あかねを呼んでも良いかい」
男が三毛に言う。
「はい、私はいいですけど」
どういうことかなと三毛が頭を傾げた。
「珍しい術を使うときは自分にも見せてくれってうるさいんだよ。あかねは術マニアだからなぁ」
男は笑うと執務室のテーブルに向かって声を掛けた。
「あかね。変わった術を使うんだけど、見にくるかい」
あかねは以前に忍び込んでテーブルの脚に盗聴器を付けていたのだった。
男が三毛に言った。
「あかねが家を飛び出したよ。幹線道路を走る車の屋根に飛び乗った。ああ、追い越し車線の車に移った。映画みたいだな」
男は気楽に言うと、扉に目を向ける。 階下で鈍い音が響いた。
「通用口のドアを蹴り破った。階段駆け上ってくる」      
あかねは部屋に飛び込むと膝をついて大きく息をした。
「お、お父さん」
一言言って、大きく息を吸い込む。
「これから何をしますか」
「この女性から宝具を取り出して、その後、心臓を作って埋め込む、ここまで」
男の言葉にあかねがにぃぃと暗殺者に笑いかけた。暗殺者が脅えて一歩、退いた。
「良かったですわねぇ。もしも、お父さんの喉にナイフが触れていたら、貴方、私たちに切り刻まれていましたよ」
あかねは暗殺者の記憶を読みとり囁いた。
男は気を取り直して、暗殺者の前に立つ、左手を差し出した。暗殺者の左胸から黒いものが浮かび出る。
卵だ、漆黒の黒い卵だ。
「これは」
あかねが呟いた。
「あなた。随分、人を殺したね。百人は越えている」
「あたしが殺そうとしたわけじゃない。あたしは心臓を奪われた被害者だ」
あかねが声を出して笑った。
「それは愉快な考え方です。ただ、強くはなれない、それでは」
男はガラス球に漆黒の卵を入れた。そのまま、机に置く。
SKがそそくさと金庫にそれをしまい込んだ。
男が暗殺者の髪を二本を抜く。
「動脈と静脈で二本」
ガラス球を取り出すとガラス球に入れる。男がガラス球をぎゅっと掴む。ガラス球が棒状に延びた。振るとどんどん帯状に延びていく。
あかねが目を輝かせてそれを見る。
男が左手を器用に回し、透明の帯を一つに纏めていく。透明な心臓だ、模型のような透明の心臓ができあがった。男が息を吹きかける、動いた、心臓が鼓動しだした。
つっと男が心臓を暗殺者に向けて、人差し指で弾く。心臓が暗殺者の左胸に入っていった。
「右手で左胸を押さえてごらん。心臓が鼓動しているのがわかるかい」
暗殺者の女が胸に手を当てる。
女がにやりと笑った。
「あんた。余程の脳天気なバカ野郎だな。自分を殺そうとした奴を親切にするなんてな」
ぶわっとあかねと三毛が男の前に出た。口撃だ。相手を言葉でどんどん追いつめていく。本来なら、一刀両断だが、男の手前、血は流したくない。
声を発しかけた瞬間、二人は息を飲んだ。
幸が片手で女の頬を捻りあげていた。
女のつま先が微かに浮く。
痛みと恐怖で女がうめき声を上げた。
「心にもないことを言うなよ。ここは、おじさま、助けてくださってありがとうございますだろう」
ぐいっと幸が手に力を入れる。女の悲鳴が響いた。
「な、言いなよ。そう言ってくれれば手を放すよ。それとも、言わないのは、頬をちぎって欲しいのか。なら、このまま、皮膚と筋肉、引きちぎる」
「ごめんなさい」
女が叫んだ。
「聴きたいのはそんな言葉じゃない」
女の動き始めた心臓が強く高鳴った。
「助けてくれてありがとうございます」
女が叫んだ。
幸が手を放す。どさっと床に女が落ちた。
男があきれたように言う。
「幸のおてんばにも困ったものだなぁ」
あれをおてんばの一言で片づけるかとあかねは言いたいが口にしないでおこうと思う。三毛がすっと男の背中に隠れた。
「だって。お父さんの親切を無にするんだもの」
幸が男の前まで来て言った。
「脳天気であることには違いないな。だって、優しい娘たちが居てくれるからね。幸、それとは別に言わなければならないこと、あるんじゃないかい」
瞬間、幸の表情が緊張する。男の後ろに呼びかけた。
「あの、あのね、母さんはね」
ぎゅっと三毛が男の背中に頭を押しつけた。
「幸。言葉の順番が違うよ」
「ごめんなさい、三毛」
「なんのことですか」
三毛が男の背中に隠れたまま言う。
「三毛の鶏を勝手に食べたこと、ごめんなさい。反省しています」
三毛が男の背中に頭を押しつけたまま、静かに言った。
「三毛はもう怒っていません。でも、なんだか、素直になれません。晩ご飯までには帰ります。そのときには笑顔を浮かべるようにします」
三毛の頑なな言葉に動揺しながらも幸が答えた。
「わ、わかった。それじゃ、待っているよ」
男がそっとうなずいた。
「あかね、帰ろう」
幸があかねに声を掛けた。
「ええっ、まだいます。お父さんの術を見たいですよ」
「父さんと三毛のデートのじゃまをするなよ」
幸はあかねを後ろから抱きしめると、一歩引く、同時に二人の姿が消えた。
「あの、幸母さんは」
「家の前に戻ったよ。あかねは瞬間移動という術を経験したことになるけれど、不満げだな。あの術を分析するのに、まだあかねの知識では足りないからね」
ほっと、三毛が溜息をついた。
「幸母さんは好きです、好きなんですけど」
男がそっと笑う。
「今回のことで、三毛はちょっと大人になったんだよ」
男の言葉に、三毛が恥ずかしそうに少し笑った。
男はSKに振り返り言った。
「お騒がせしました、帰ります。この娘をよろしくお願いしますよ」
「わかりました。敬虔なシスターに育てて差し上げます」
SKが二人を笑顔で見送った。しかし、二人が部屋を出て、エレベーターで階下に向かうそのときになって、SKが椅子の背に背中を預け、大きく息を吐く、疲れ果てたという顔だ。
十二分に男と幸の恐ろしさは知っている。やっと、緊張がほぐれたのだ。
力つきて仰向けに倒れている女に声を掛けた。
「あなた、お名前は」
頬が痛くてうまく喋れないのか、でも、やっと声に出す
「金澤恭子。です」
ですを付け加える。
SKが卓上の呼び鈴を鳴らす。シスターが二人、階下からやってきた。
SKは背もたれから起きあがり二人に言った。
「先生から、この娘、金澤恭子さんをシスターにしてくださいと依頼されました。この娘の教育をお願いしますよ。間違いのないようにね」





..図書館にて
「ありましたよ。お父さん」
三毛がぱたぱたと走り、男の隣に座って本を広げた。
図書館のテーブルに並んで座り、三毛の広げた本を読む。
鶏の育て方を書いた本だ。
なるほどねと男がうなずいた。
「勉強になるなぁ」
三毛は笑顔いっぱいにうなずくと鞄からノートと鉛筆を出した。
「写しておきます」
「ここ、コピーサービスがあったよ」
「だめですよ」
三毛が嬉しそうに睨む。
「実際に手を使って書くことで理解できるんです。コピー機はだめです」
「なるほど、そりゃそうだ。三毛に教えて貰った。ありがとう」



おやじ殿に貰うたガラス球が尽きてしもうた。一つ、所望したい
どうぞ
対価は
困りました。私は貧乏暮らしですが不自由はしておりません
では、話を伝えてやろう。津崎流なぎなた術の津崎の孫が狙われておる。要は頑固じゃからな
老人がにやりと笑った
十分な対価をいただきました
老人がふっと消えた

お父さん、今のは
人外の者だよ。たまに彷徨いているのさ、ああいうのが