遥の花 あさまだきの靄 四と一話

遥の花 あさまだきの靄 四と一話

売店で駅弁を三個買い込むと、幸は列車に乗り込んだ。鬼紙家からの帰りだ。帰ろうと思えば、一瞬で帰ることも出来る。
そうしないのは、単純に列車内で駅弁を食べたい、これにつきるのだった。
一年間、幸は男と旅をしていた。その間、列車に乗ることも多く、男と駅弁を食べるのがとても楽しかった。残念ながら、今回、男はいないが、それは仕方がない、自分の気分だけで男を呼び出すのは申し訳ない。
窓際に座る、ゆっくりと列車が動き出した。
さて、どれから食べるかと考える。
駅弁はご当地物、幕の内系、いかめし系がある。
しばらく考え、幕の内を食べることにする。丁寧に包装紙をはがす、黒がこの包装紙を見たら自分も食べたいと言い出すだろう、幸が少し笑った。
いきなり、ご飯とおかずを頬張る。
あんまり、上品じゃないけれど、なんだか、楽しい。男に見られて下品だなんて思われたら大変と人前ではこういう食べ方をしないのだけれど、本当はこんなふうにがつがつと食べるのが幸は好きだったりする。
「あの、よろしいですか」
女の声に幸が見上げると、通路に立った女が笑みを浮かべていた。
口に頬張ったまま幸は頷くと、箸をもったまま、どうぞと前の座席に手をかざした。
何度か咀嚼し、ぐっと飲み込む。そして、ペットボトルのお茶を飲む。満足の息を吐いた。
ふと、幸は斜め前に座る女を見た。二十歳過ぎの女で綺麗にスーツを着こなしている。
「田村さん、どっちか食べる」
幸は封を解いていないお弁当を二つ、女に差し出した。
「朝食って、それっきりでしょう。なんか、食べたほうがいいよ」
「私の心、読んだの」
田村が呟いた。
「私は田村さんのスカウトには応じない。ついでに言うと、田村さんの所属する組織にはかなり反感、敵意を抱いている。さて、田村さんの質問に対する返答。私の前にやってきた奴に内心の自由は存在しない」
幸がにぃいと唇を歪め笑った。一瞬、田村は走ってこの場を逃げ去りたいと思った。しかし、なんとか、思いとどまる。
「逃げりゃいいのに。追いかけないよ」
幸が気楽に笑った。
そして、弁当を食べる。
田村がお腹の下、ぎゅっと力を込め気持ちを落ち着かせる。そして、言った。
「お話だけでもお聴きいただけませんでしょうか」
幸は卵焼きを飲み込んで言った。
「私の考えはかわらない。それでもいいというならどうぞ」
田村は深呼吸をすると、落ち着いて話し出した。
「いわゆる超能力を持った方達をスカウトする組織です。組織は日本政府管理下ありますが、職務の内容上、宣伝することはもちろんありません、その存在は秘匿されています。今回、特殊な機械により、貴方様が読心能力を持っていらっしゃることを確認し、お声を掛けさせていただいた次第です」
鮭の切り身を食べる、もちろん、薄っぺらいものだが、列車の中で食べるということが味を何倍にも良くしてくれるのだ。
幸は田村に向き直った。弁当を食べ終えたのだ。
「田村さん、お弁当、一つどう。好きな方でいいよ」
「いえ、仕事中ですから」
「そうか、夜も遅いのに大変だ」
がさこそと、お弁当箱を包み紙にしまい直して横の座席においた。
「心を読むし、操ることも出来る。触らずに物を動かすことも出来るし、空も飛ぶよ。瞬間移動もできるし、こういうことも出来るよ」
幸がすっと右手を田村のお腹の中にとけ込ませた。うっと、田村の体が緊張する。
「腎臓と肝臓が弱っている、晩、酒を飲みすぎだ。二四歳でこれは問題だな」
幸が手を戻す。慌てて田村が自分のお腹を両手で触った。
「開いてないよ、穴は。服も破れていないだろう」
幸は弁当二つを迷ったが、一つを選ぶと包装紙を丁寧にはずした。
「心霊手術」
「私は虚実と呼んでいる」
幸が次の弁当を食べ始めた。
田村は驚いた。こんな逸材は初めてだ。
「あの、貴方様が当組織に反感を抱いていらっしゃる理由をお聞かせ願えないでしょうか」
「幸、私の名前だ」
「幸さん」
田村が言葉を繰り返した。
幸がハンバーグとご飯を頬張った。洋風弁当だ。もりもり咀嚼しぐっと飲み込む。

「田村さんは大学を卒業して一年余り。卒業時には借金、奨学金と呼ぶのかな、それが八百万円あった、それを繰り上げて返済した。その上で、いま、預金は千万円を越えた。勤めて一年の女の子がそれだけの給料とボーナスを貰うことができる。もちろん、上司達はもっと貰っている。何処からそれだけのお金がやってくるのかを考えたことがあるかな」
幸はそう田村に問いかけると箸を止めた。
田村が何か言い掛けて、口を噤んだ。自分の言葉に自信が持てなかったのだった。
「田村さんは上司の中村礼子からこう説明を受けている。政府内部のもっとも機密性の高い重要な部署で働いて貰っている以上、詳しくは話せないって。
でも、皆さん、生き甲斐を持って仕事に励んでいらっしゃるわってね」
「はい。詳しいことは職務内容上言うことはできないけれど、上層部を信頼して欲しいと、言われています」
少し、自信なさげに田村が答えた。
ミートスパゲティ、ケチャップで和えただけだが美味しい。ほんのちょっとだけ、ベーコンが入っていた。
「中村礼子は魔女だ、本当にさ、箒に乗って空を飛ぶ。空を飛ぶくらい大したことじゃないけれど、あれは選民思想の塊だ、気をつけなよ。教会でバザーがあるんだけど、一緒しませんって声を掛けられても行くなよ、サバトの貢ぎ物にされるぜ」
田村は混乱していた。この幸さんの言うこと、一つ一つに頷いてしまう。中村さんも優しい課長だけれど、何か、何処かが違うような気がしていた。
「ついでにもう一つ」
幸が目玉焼きを飲み込み言った。
田村が自信なさげに顔を上げた。
「田村さんは四年で内定がとれなく焦っていた。この仕事はゼミの教授吉村の紹介だろう」
「どうして、幸さんはわかるの、ここにいない人のことまで」
思わず田村は素の田村として声を上げてしまった。
幸はジャガイモのサラダを食べ終えると、惜しそうに蓋をした。そして、丁寧に包み紙にくるむ。
「人は一人じゃないんだよってさ、歌がそこいらじゅうに転がっているだろう。一面、それは真実だ。深く関わっている者同士は、その間、共有の振動数を持つ、それを追跡していけば、次の奴の記憶も読むことが出来る。って、却って混乱したかな」
幸はペットボトルのお茶をごくごく飲み干した。
「吉村教授とは報告会と称して月一会っているだろう。会う場所は大学の教授の部屋だったのが、前回はお洒落なフレンチだ。教授のポケットには睡眠薬が入っていた。眠らせてホテルに連れ込もうとしていたんだけれど、びびって出来なかった。吉村教授は今度こそと思っている。気をつけなよ」
幸が窓から外を眺める、すっかり暗くなってしまった。
「私は、あの私はどうしたらいいんでしょう」
幸は窓に映る田村の表情を見る。おどおどと目が泳いでいた。
「田村さんは今まで九人の能力者をスカウトした。能力者はまず自衛隊の所属になる、上層部しか知らない教育機関に組み込まれて、その後、米軍に引き渡される。今の戦争は国同士の戦争じゃなく、テロとの戦いという。国の中にいるかもしれない過激な奴らとの戦い、言い換えれば、国は自国民と戦争をするわけだ。能力者は最前線に立ち、心を読んでこいつが敵かどうかを見分ける仕事をしている。九人の内、既に六人が死に、二人はもうすぐ米軍へと移動する。一人少ないのは、殺される寸前だった高村真理子、彼女を覚えているかい」
「覚えて、覚えています」
息が苦しい、田村は心臓が高鳴るのを感じた。高村真理子、彼女は高校生で笑顔の素敵な女の子だったのを覚えている。
「真理子さんは殺される寸前、私の姪っ子が救い出した、アフガニスタンだ」
幸は弁当箱三個を重ね、袋に仕舞い込むと、からになったペットボトルをその上に載せた。
「田村さん」
「は、はいっ」
「私は人間じゃないから、この人間の社会に関わろうとは思わない。だから、私は田村さんにああしろこうしろとは言わない。ただ、それなりの情報を得たはずだ、あとは自分で考えろ。それじゃな」
ふっと幸の姿が消えた。慌てて、田村が幸の座っていた座席に手を伸ばした。少し、暖かい。
うわぁっ、田村が悲鳴とも嗚咽ともつかない声を張り上げた。

ホームのベンチに座り、少し俯く、そして、小さく吐息を漏らした。
幸はどうするのが正解だったのだろうと考える。多分、なよ姉さんなら、襟首掴んで引っ張ってくるだろう。なかなか、それはできないなと思う。
「幸母さん、お帰り」
黒がホームを走ってきた。勢いよく黒が幸の隣に座った。
「ただいま」
幸が笑った。
「黒、母さんがいること、よくわかったな」
黒は嬉しそうに笑う。
「お父さんの力を借りたときから、なんだか、変わってきた」
「あれはもったいなかったな、一日借りていたら、母さんくらいに使えるようになっていたかもしれないぞ」
黒が首を横に振った。
「黒はね。ピンチになったら、幸母さん助けてって叫ぶ予定だから、幸母さんほど強くなりたくないんだ。それにお腹、あんなにお腹減ったの初めてだったんだよ」
「甘えん坊だな、黒は」
「長女だって、甘えたいんだよ」
にひひと黒が笑った。
幸は袋から残ったお弁当を取り出して黒に渡した。
「母さんは二つ食ったけど、黒は一つだ」
「ありがと。幸母さん」
ぱさぱさと包み紙を広げ、両膝に載せた。
「いただきます」
「どうぞ」
るんるんと鼻歌を歌いながら黒がお弁当を食べる、幸はその姿を笑みを浮かべ眺める。
ふと、あの田村にも親がいるんだろうなと思った。

田村はドアを開けると、歩みを止めず、中村課長の前まで一息でやってきた。
「お疲れさま」
中村が笑顔で言った。他の職員は既に帰り、部屋は田村と中村の二人だ。
「中村課長。お願いしたいことがあります」
座ったまま、中村が田村を見上げた。
「深刻な顔をしてどうしたの。言ってごらんなさい。相談乗るわよ」
まっすぐに田村は中村を見つめて言った。
「私が最近スカウトした田中義輝さんと辻美樹さんに会わせていただけませんか」
中村が小さく吐息を漏らした。
「詳しくは言えないけれど、二人とも重要な国家機密に携わっている、情報が漏れると大変だから、接触できる人数も限られている。残念ながら私達でも無理だよ」
残念そうに中村が答えた。
「その、国家機密って何でしょうか」
「え、驚いた。そんな質問が来るって思ってもみなかったよ」
中村は椅子を引くとゆっくり立ち上がった。中村の方が田村より少し背が低い。
「どうしたの」
中村がそっと田村を見上げる。
「質問を変えます。中村課長は魔女ですか」
田村の問いに中村はとびっきりの笑顔を浮かべ答えた。
「そうだよ」
ゆらりと中村が手を差し出す。ふわりと箒が現れた。浮き上がるように中村は箒に乗ると、田村を見下ろす。
「田村さんって案外馬鹿だなぁ、逃げの利かないところで聞くなんて。国家機密なんて、本当はどうでもいいんだけれど、私の秘密を知っているってのは問題だな」
田村が歯を食いしばった。
「誰から聞いた、答えろ。言わないなら、頭蓋骨を割って脳から情報を引っ張り出すぞ」
「言いたくありません」
中村が驚いたように目を見開いた。
「あまりの愚かさに驚いた。なら、その頭を割って、いくつも電極を突き刺してやろう」
中村の右手に大きな斧が現れた。中村がためらいなく田村の頭に斧を振り下ろす。
斧が田村の頭に食い込む寸前、止まった。
中村の前に現れた黒が斧の先端を摘まんでいた。
「魔女さんの一部は人を玩具にしか思っていないって聞いたけど、中村魔女さんは、その一部の側なんだね」
黒はそういうと、小さく呪文を唱える。斧が初めから無かったように消えた。
「何者だ、お前。どこからやってきた」
黒は笑みを浮かべる、でも、黙ったままだ、その様子に中村が苛つき怒鳴り声をあげた。
「何者だと聞いているんだ」
黒は一層、中村に微笑みかけた。中村がぎりぎりと歯ぎしりをする。
「お前、人じゃないな」
「あのね。中村魔女さん、クラシックローズアソシエーションから、ここに密偵で来ているんでしょう。いま、大変だよ。グランシスターが呪いを掛けられて、上へ下への大騒ぎ。それに五人の魔法使いの能力が急に消えてしまって空も飛べなくなっちゃったし。正直、中村魔女さんがここに来たのは左遷扱いでしょう。うまくすれば、組織の本流に戻れるよ。早く帰った方がいいよ」
にぃぃと黒が笑った。
中村は考える。この娘と戦って勝つことができるか。五分と五分。どうも、こいつは、正義の味方なんて陳腐な奴ではなく、田村を救い出せれば満足のようだ。ならば、グランシスターのことが気になる。こんな僻地で無駄な時間を過ごすのも飽きた。
中村は一呼吸を置くと、黒に言った。
「田村は解放してやる、それでいいな」
「もちろん。中村魔女さんにも危害は加えないよ」
中村は顔を背けると、窓を睨む。ばっと窓が開いた。
「田村さん、その頭でしっかり考えろよ。余程悪いことでもしない限り、こんな給料やボーナスが出るわけないだろう」
中村は田村ににぃぃと笑う。
ふわりと中村の右手に大きな斧が現れた。いきなりそれを黒に投げつけた。黒は体を反らすと、柄に人差し指をかけ、くるっと回す。中村の首へ斧が飛ぶ、中村が背を伏せる。壁に斧が深く食い込んだ。
「その技。お前、あかねの仲間だな」
中村が黒を睨んだ。
「妹だよ」
「どうも気に入らない笑い方だと思ったら、やはりあかねの姉か。あいつ言っておけ、今度は負けないとな」
「つまり、あかねに負けたんだ」
「うるさい、うるさい」
中村が箒に乗り、窓から飛び出していった。
「あかねは童顔でいいなぁ。あかねの方がお姉さんなのに」
黒は少し呟いたが、振り返ると、田村に言った。
「勝手に話を進めてごめんなさい」
「えと、あの、いいえ。助けていただきありがとうございます」
田村は展開についていけず、やっとそれだけ言ったが、なんだか、膝の力が抜けて、うずくまってしまった。
黒は田村を抱き上げた。田村の視界に黒の笑顔が満ちる。素敵、年下の女の子のはずなのに。心臓がどきどきする。
黒は田村を椅子に座らせると、隣の椅子を引っ張ってきて、田村の正面に足をそろえて座った。
「初めまして」
黒が笑顔で言った。
「田村さん、列車で幸って女の子に会ったでしょう。あれ、私の母さん。母さんが田村さんのこと、気になるっていうから、ちょっと、見てくるって、来たんだ」
田村が混乱する、あの女の子が母親ってどういうことなんだ。黒は田村の表情を見ていった。
「私は養女だから。年齢、あんまり、変わらないけど娘なんだ」
「え、は、はい」
田村が頷く。
「さて。田村さん、これからどうしますかってことなんだけれど。この仕事を続けることはできるよ。中村さんは当分帰ってこないだろうし、仮に帰ってきても今夜のことはおくびにも出さないだろうと思う。向こうにも都合があるし。それでどうする、この仕事を続けるかな」
田村が戸惑うように俯いた。
「わかりません。何をどうすればいいか」
「そっか。そうだよね」
黒は田村に笑顔を向けると立ち上がった。そして、椅子を元の位置に戻す。
「遅いし帰ろう。途中まで送っていくよ」
二人は施設を出ると、駅に向かって歩く。田村の住まいは駅二つ分向こうだ。
黒は壁に突き刺さっていた斧を左手に持っていた。
ぐいっと抜いてきたのだ。
「田村さん」
「は、はい」
田村は横を歩く黒に緊張していた。年下のかっこいい女の子、なんだろう、どきどきしている。
「スカウトして生き残っている二人については、今後、関わっちゃだめだよ」
「それは」
「だって、この国に田村さんが殺されるだけだから」
駅前の少し薄暗いバス停のベンチに幸が座っていた。
「幸母さん、お待たせ」
幸は立ち上がると軽く手を振る。
「無事で何より」
幸がそっと微笑んだ。
「田村さん。魔女に魔女ですかなんて尋ねるなよ、殺してくださいって言っているようなもんだ」
幸は一言、田村に言うと、黒の左手にある魔女の斧に視線をやった。
「これで作れってか」
黒がにっと笑みを浮かべた。
幸が吐息を漏らす。
「まぁ、いいや。大サービスだ」
幸がふわりと子供の大きさ程度の硝子球を出す。黒が斧を硝子球に差し出すと、その斧が硝子球の中に入ってしまった。幸が息を整え、両手で硝子球を捺していく、斧の形は消え、ゴルフボールほどの小さな白い球になる。
「思ったより小さいね」
「あの魔女の能力がこの程度ってことだ」
ふと、黒は髪の毛一本を抜くと、白い球に差し込んだ。ぶわっとバレーボールほどの大きさになった。
黒が田村に話しかける。
「ね、動物は何が好き」
「えっと、それって」
「テレビなんかでね、可愛いなぁとか、飼いたいなって動物」
田村は戸惑ったが、ふと、最近、テレビ番組で見た動物を思い出した。
「あの、ミーアキャット」
すっと、幸が視線を上に向ける、ばさっと図鑑が落ちてきた、黒はうまく受け取ると、ぱらぱらとページを繰る。
「あった。これだよ」
黒がミーアキャットの写真を幸に見せた。
「ええっと、イタチをダイエットさせたようなもんだな」
「ええっ」
黒が不満げに声を上げた。
「母さんはねえ。お父さんがいるときはとっても繊細で心配りもできるのに、いないと、適当で大ざっぱなんだから」
「あぁあ、うちの長女は手厳しい」
幸がくすぐったそうに笑いながら、白い球を器用に動かし、ミーアキャットを形作る。一五センチくらいの背の高さ、図鑑からそのまま抜け出したように幸の手のひらの上に二本足で立っている。
ただ、写真と違うのは白い色の毛並み。
「この子の名前を田村さんが決めろ」
田村はこの展開についていけなかったが、理解することを諦めていた。今まで自分が見つけてきた能力者とは全く異質の存在だ。
「あの。名前はミーアで」
ぼぉっとミーアが田村を見つめる。少し口を半開きにしているのがとても可愛い。
人差し指でとんと、幸がミーアの頭を叩く、慌てて、ミーアが幸を見つめた。
「マスター」
小さな子供の声でミーアが話す。
「そうだ。私がお前、ミーアを創った、幸だ。マスターというのは男性名詞だが、まぁそう呼んでくれてもいい。さて、この女性、田村小百合を三度、護るためにミーアを創った」
幸の言葉にそっとミーアが田村を見上げた。
「ボク、ミーア。小百合、よろしくね」
ミーアがちょっと小首を傾げ微笑んだ。
可愛い、可愛い、ぼぉっと田村がミーアを見つめた。
「田村さん」
幸が改めて言った。
はっと気がつき、田村が顔を上げた。
「はいっ」
「随分前からあんた達の仕事を知っている。この仕事に就いて無事何年も生きながらえている奴はいない。こういう形で会ったのも縁と思うから、ミーアを創った。三度までは、このミーアは田村さんを助けることが出来るが、三度目に田村さんを助けた後、ミーアは消えてしまうし、再生させることはできない、田村さんは生きているうちに、自分の去就を考えること、そのための時間稼ぎだ。忘れるな」
自信なさげに田村が頷いた。
「大丈夫だよ。小百合、ボク、頑張る」
応援するようにミーアは顔を上げ、にっと笑った。そして、幸の手のひらからぽんと飛び上がると、田村の体の中に入り込んだ。
「いつもは田村さんの中にいる、呼べば出てくるよ」
ふっと幸が溜息をついた。
「腹減ったなぁ。創るってのは、腹が減るんだ」
幸は黒を見上げた。
「帰り、ラーメン食って帰ろうか。駅前にあるだろう、ラーメン屋」
「行く、行きます。そうだ、田村さんも行こう」
「え、私は」
幸が田村を見上げた。
「田村さんもおいで。家の近くのコンビニで、弁当と缶酎ハイを買うんだろう、なら、ラーメン屋で思いっきり食え」

ラーメン店に三人で入った後、田村を家まで送り届けた。
「どうした、黒。うかない顔して」
「田村さん、今の仕事、辞めるって言わなかったね。スカウトした人たちがどうなったか、説明したのに」
黒が少し俯く。
「 そうだな」
黒がすがるように幸を見た。
「どうしてなんだろう。これって人身売買で、売られた人はほとんど死んでいるのに」
歩きながら幸が大きく深呼吸をした。
「佳奈さんちでテレビを見た、コマーシャル、洗剤だ。どんな汚れも落とすってな、そんな洗剤の混ざった水を流せばどうなるか、到底、処理しきれないだろう。でも、誰もそこまで考えない、想像力が及ばない。自分の行為がどこまで及ぶか、想像できない奴が多いんだよ。人間は科学が進む社会に生きることで、いや、そんな社会で生きるために鈍感になろうとしているのかもしれないな」
「黒はあんまり人が好きじゃない」
小さく呟いた。
幸が笑った。
「母さんは人が大嫌いだ。たまに佳奈姉さんや好きな人たちもいるけどさ。でもな、嫌いでも、うまくつきあっていけ。それが、お互いの幸せだ」
黒は少し頷くと微笑んだ。
「亜矢や響子さん、好きだよ。結婚とかじゃないけどね」
幸は二人を思いだして笑った。
「黒は学校へ行って良かったか」
黒は頷くと、ちょっと微笑んだ。