遥の花 藍の天蓋 四話

遥の花 藍の天蓋 四話

「お腹、空いたよぉ」
黒が正座し、ぐすぐすと泣いていた.皆が雑魚寝をする広間、朝、黒の横には幸となよ、黒の後ろに男が座っていた.昨晩は柱にしがみついて、断食を敢行.

「やぁ、白と三毛がいなかったら、黒はすっかり子供だな」
幸が気楽に笑った。
「なにをぬかしておる」
隣に座ったなよが肘で幸を小突いた。
「母親のくせにぐっすり眠りおって。わしは黒の泣き声ですっかり睡眠不足じゃ」
幸が申し訳なさそうに笑った。
「子供の泣き声にも動じず寝るのもまた修行ということで、なんとか」
「わけのわからんこと、ぬかすでないわい」
「さてと」
男が声をかけた。
「漫才はそれくらいにして、黒のジャージ、上に巻き上げて背中を出してくれ」
男は黒の後ろで硯に墨をする。墨はごくありきたりのものだが、水の代わりに椿油を使う。二人は左右から、黒のジャージの背中を引き上げた。
男は表情を消し、黒の背中に筆で寿文を書いていく。それは文字のようでもあり、図形のようでもある。
「わしの知らぬ呪文じゃな、幸は知っておるのか」
「見たこと無い、全部は読めない」
男は筆を置くと、ほっと一息ついた。
「寿法、まったく別系統の呪術、それを再構成して作った寿文だよ、一年前くらいかな、作ったのは」
男は少し疲れたように笑を浮かべた。
「二人とも、もういいよ。手を離しなさい」
なよと幸はジャージから手を離し、黒から一歩離れた。
「どうだ、黒。気分は」
黒が背中を向けたまま答えた。
「なんだか、お腹いっぱいです」
ふっと数センチ、正座したまま浮き上がると、黒は男に向き直り、笑顔を向けた。
「一日、頑張ってきます」
「怪我のないようにな。精鋭には全て伝えてあるからね」
「はい」
黒は元気に返事をすると、幸となよに顔を向けた。
「行ってきます」
瞬間、黒の姿が消えた。
なよが思わず溜息をついた。
「なんとな。幸の速さを新幹線に例えるなら、黒は自転車の立ちこぎで、新幹線の速さに追いつきおったぞ」
「力が有り余っているんだ。びっくりした」
幸は驚きながらも、立ち上がると、座椅子を取りに行き、男を座らせる。