遥の花 藍の天蓋 二話

遥の花 藍の天蓋 二話

優喜は驚いてその様子を見つめていた。
かぐやのなよ竹の姫、元は一国の女王であり、優れた政治家でもある。見た目は二十代半ばくらいにしか見えないが、一千年以上の齢であるという。
その女王が普段着に、手ぬぐいでマスクをしている。そして、大きな木づちを軽々と片手で操り、半分朽ちた土壁を潰しているのだ。組み込まれた竹を燃料にするという。
先程までは、朽ちた柱を短く揃えて切り、二つあるおくどさんの一つが無傷だと、頭を突っ込んで埃や炭を取り除いていた。
ふっと、なよが優喜を睨んだ。
「こら、わっぱ。図体の大きいのが、ぼぉっと突っ立っているのではないわ、目障りじゃ。小さくしゃがんで泥遊びでもしておけ」
「申し訳ありません。手伝います」
慌てて、優喜が叫んだ。
「ならば、ほれ」
なよは大きな木づちの杵側を軽々と掴むと、柄の橋を優喜に向けた。緊張した面持ちで優喜が柄を掴む、なよが手を離した瞬間、木づち本来の重さに、優喜は前のめりになりながらも、両手で掴み直した。
ふふんとなよは笑みを浮かべた。
「お前はわしの父さんの生徒であろう、父さんに恥をかかせるでないぞ」
なよは優喜に近づくと、腰から下はとんとんと足で蹴り、腰から上は手で軽く叩いた。
「木づちを落ち上げてみろ」
なよの言葉に木づちを、まるで紙一枚の重さしかない、驚いて、優喜は振り上げた木づちの先を見つめた。
「術と呼ぶほどのものではない。ちょっとしたこつじゃ。じんわりと、姿勢を確かめろ」
優喜は不思議なほどすっきりとした気分で、そうだ、息が体全身を行き渡る気がする。
「精鋭は二十人いると聞く、お前は中でどれほど強い」
なよがにかっと笑った。
「俺は・・・、三番目」
優喜が考え言う。
「ならば、お前、二番目と本気で十回戦えば、何度、勝つことができる」
優喜は頭の中で相手の顔を思い浮かべる、そして、その拳の速さを測る、
「三回です」
「ばかもん」
なよがすこんと優喜の頭をはたいた。
「な、なんですか」
優喜が思わず木づちを落とした。
「そういう時は、十回戦うことはできません、一度目で、どちらかが相手を殺しますから、と答えるんじゃ」
なよが愉快に笑った。
「ま、しばらくは父さんの世話を手伝ってもらわねばならん。指折り数える腑抜けの方が安心かもしれんのう。ところで、お前の名は」
優喜は不思議に思う、さんざん、子供扱いされ、頭を叩かれる、それでも、いやな気がしなくて、これが、多くの民衆をひきつけたかぐやのなよ竹の姫の魅力なのかもしれない。
「俺、優喜と云います」
「なんと書く」
「優喜、優しく喜ぶと書きます」
「なんとまぁ、愛情の深い名じゃ。その名に恥ずかしくないようにせいよ」
かかっとなよが笑った。
あかねが走り込んでくる、がばっとなよに抱きついた。なよがわかっていたかのように、あかねの頭をなでる。
「少しは気持ちは晴れたか」
あかねはうなずくと、小さく呟いた。
「お父さんはとっても優しい」
俯くあかねの言葉に、なよはそっとうなずいた。

「ただいま」
三毛が両手背中に荷物を背負っている、綾も背中に布団を背負っていた。
男は仰向けに寝ていたが、白に助けられ体を起こした。三毛があたふたと荷物を降ろし、男の前に座った。
「大丈夫、お父さん」
「父さんは元気だよ。心配かけてしまったな」
男の言葉に呆れたように白が言った。
「お医者様は一週間、絶対安静とおっしゃいましたわ。お父さん、自覚してください」
「あはは、白に叱られた」
嬉しそうに、男が笑った。
綾が背中の布団を降ろし、男の横に敷いた。
「お父さんの血は変わっていて、輸血ができないと、お医者様はおっしゃっていましたけど」
白が心配そうに男に言った。
「母さんはお父さんに血を半分分けていただいたと言ってました。お母さんの血なら輸血できるのでは」
男は少し笑みを浮かべるような、そんな柔らかな表情をした。
「父さん、こんなだけどさ。自意識過剰なのかな、娘たちにはね、かっこいいって思われたいのさ」
白が溜息をつく。
「それなら、一週間、絶対安静ですからね」
男は照れたように笑みを浮かべると、うなずいた。

夕刻までに、八畳ほどの板の間と、それに連なる小さな土間が、なんとか、生活できる空間となった。
なよはふっと男を見やると、かすかにうなずく。
「そろそろかのう」
「気を使わせてしまうね」
男はなよの言葉に答えた。
「さぁ、帰るぞ」
なよが皆に声をかけた。
「ええっ、泊まる、泊まるよ」
黒が驚いて声を上げた。
「そうだよ。三毛もここで暮らします」
男は家の方角を眺めた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、家がね」
男が呟いた。
「家が危機じゃ。幸の力が弱って、小夜乃とあさぎが結界を支えておる。早く戻らんと、白澤の精鋭に入り込まれてしまうからな」
にぃぃっとなよが優喜に笑いかけた。おどおど、優喜が俯く。完全に優喜はなよに飲み込まれていた。
「ま、ということだよ。家をお願いします」
男が三毛に笑いかけた。
白が顔を上げた。
「交替ならいいですか。ずっと家に帰ってでは、お父さんのことが気になってなりませんもの」
男がうなずいた。
「一人だけ残ってくれるかな」
男の言葉になよがあかねを見る。
「ならば、あかね、お前が残れ」
あかねが頷くのを確認すると、なよが黒達三人に合図をする。
「それでは、父さん。わしは来ぬが、元気にしておれよ」
「ありがとう、幸を頼むよ」
「ほんに甘い父親じゃのう」
男は笑うと楽しそうに微笑んだ。
「しゃん」
黒が叫んだ、それをきっかけに白と三毛も声を上げる。花魁道中の儀、どのような結界も距離も関係なく移動する。四人の姿がふっと消えた。

部屋の中程に囲炉裏がある、三毛が持ち運びのできる簡単な囲炉裏を柱や瓦を砕いたもので作り出したのだ。いま、真ん中で薪火が燃えている。
男は囲炉裏の向かいに座るあかねに言った。
「ちょっとした別荘気分だ」
「お父さんは気楽すぎます」
「なんだか、白にもあかねにも叱られて。子供が成長するのは楽しい」
男がいたずらげに笑った。
「優喜君、綾さんも囲炉裏においで。少し、肌寒くなってきた」
四人が囲炉裏を囲む。
あかねが五徳を用意し、鍋をかける、味噌汁だ。
「優喜君は随分、なよに押さえ込まれてしまったみたいだな。精鋭でも一番の乱暴者だったのにね」
慌てて、優喜は首を振った。
「もう散々です。自信の塊が歩いているみたいですよ」
「あれで、繊細なところもあるんだけどね」
そう言いながら、男も頷く。
そういえばと、男が綾を見た。
「白澤さんのところに戻らなくてもいいのかい」
「優喜と私は先生付きとなりました。寝袋一式も用意しています」
綾が少し、嬉しそうに言う。
「ただ」
不安げに綾が言葉をつないだ。
「この屋敷は有名な西の幽霊屋敷と呼ばれているので、なんだか」
「ふうん」
男はふっと、部屋の片隅丑寅を見つめる。
「そ、そういうのはやめてください、先生」
怯えて、綾が声を発した。
「なんだ、綾さんは幽霊とかだめなのかい」
「いえ、本当にここは、探検に来た子供が一人、意識を失って目が覚めないという」
「精鋭ともあろう綾さんがそれでは困るなぁ」
男は燃えている薪を一本取ると、振って、火を消す。煙が立ちのぼった。あかねは男から薪を受け取ると、立ち上がっる。
「綾さん、あかねと一緒に行きなさい」
男の言葉に従い、綾もあかねと部屋の丑寅に立つ。あかねがゆるりと薪を動かす。次第に煙が形を作り出した。大きな球体にいくつもの模様が浮かぶ、模様、いや、大きく口を開けた顔だ、いくつもの顔に埋め尽くされている。
「呪詛を喚いています。かなり古いものです」
あかねが男に言った。
「ここは西ノ宮の屋敷と呼ばれていてね、百年以上前、白澤さんに蟄居させられ、全員打ち首になっている。その人たちの恨みだけが残ったんだろうね。浄化してくれるかな」
あかねは頷くと、燠火で球体を撫でて行く。いくつもの顔が、ほっとしたように口を閉ざし消えて行く。
いくつもの顔が消えた後、球体の中に、半透明の少年が膝を抱え、眠っていた。
「綾さん、その子は生き霊だ、硝子球に入れなさい」
男の言葉に、綾は硝子球を取り出すと、少年の体に硝子球を添える。すると、少年の体が薄れて行き、硝子球が白く濁った。
優喜が思い出した。
「あれは油問屋 田仲屋の子供です、植物人間になってしまったと聞いています」
男は少し頷くと、優喜と綾に言った。
「二人でその子を返して来てくれるかな。その子のお臍の上に、硝子球を置けばいいよ、生き霊が本体に戻る、そうすれば意識も戻るからさ」
驚きながらも二人は頷くと、田仲屋に向かって走った。
男はひとつ、息をすると、あかねに笑いかけた。
「ここは専制君主制だ。本家当主は王様みたいなもの、なんだか、息苦しいな」
「みんな、白澤さんが怖いのですね」
「それもあるし、人は、その日、普通に食べることができれば、あまり不満は持たない。あまりね」
男は吐息を漏らすと、呟いた。
「父さんとあかねだけだよ。幸乃、出て来なさい」
いきなり、幸乃は男の体から飛び出すと、男の目の前に正座し、額を床に擦り付けた。
「申し訳ありません、おまえ様。すべては幸乃のせいです。幸乃がしっかりと幸の変化を見定めておけば」
言葉の最後が、涙と嗚咽で途切れる。
「顔を上げてくれ、幸乃」
男がはじめて狼狽えた。

ザウルスで書いた分をあとで入れること

?

「お父さんは大変です」
あかねが少し笑みを浮かべる。男はほんの少し頷き、囲炉裏の赤い炭を見つめた。
「でもね。みんなが居てくれるというのは、とっても嬉しくてね、というのはさ、幸の父親になって、あかねも幸の妹になってくれて、黒達は幸の娘だ。一人だった父さんがね、いまは大家族の一人だ。足や腕を無くしてもね、それ以上に幸せなんだよ」

男は少し恥ずかしそうに笑った。瞬きもせず、あかねが男の目を見つめた。
なんか、照れるねと聞こえない声で男は呟く。
あかねがにっと笑みを浮かべた。
ふっと男が斜めを見る。
「たくさんのお人が御到来か」
男が呟いた。
「優喜と綾は甘過ぎます、追い払えばよいのに。あかねが追い返してきます」
あかねが立ち上がるのを見て、男が笑った。
「二ついいかな」
「なにでしょうか」
「祝いの品々に魚の一夜干しがある、炭火の遠火で焼いたら美味しそうだ。みんなでいただこう」
「お父さんは困った人です」
あきれたようにあかねが答える。
「それで、お父さん、もう一つは」
「ま、子供が意識を取り戻したことを単純に喜んでいる人達だ。怪我をさせないようにね」
あかねが男の言葉に頷いた。
「善処いたします」

あかねがこの廃屋の門に、仁王立ちで、行列を迎える、先頭は二つの籠、その後を祝いの品々を載せた大八車が続く。その数、およそ、数十を連ねていた。
「床が抜けるではありませんか」
あかねが小さく呟いた。
あかねの姿を見つけたのだろう、籠から優喜と綾が飛び出してきた。慌てて、二人が駆け寄るのを見あげ、あかねが呟いた。
「籠でご帰還とはなかなか、と言葉を続けたくはありますが、まぁ、いいです。我慢します」
申しわけありませんと二人が頭を下げる、あかねは二人を手で制すると、先頭を歩く男に声をかけた。
「何か御用でしょうか」
先頭の男がにこやかに答えた。
「私どもは田仲屋の者にございます。今夜、精鋭のお二人様よりお話をお聞きいたしまして、こちらの先生が田仲屋嫡子をお救いいただきましたこと、まずは御礼の品々を御用意致しました」
あかねは見上げると、ふうんと頷いた。
「くれるのですか」
「はい、もちろんでございます」
男の張り付いた笑顔を無視し、あかねは列の横を歩き出す。中程の大八車に寄ると、すぃっと干物を指差し、大八車を引いていた男に笑みを浮かべた。
「干物、いただいてもよろしいですか」
あかね、極上の笑みである、あかねは指図する人間より、実際に汗をかいて働く人を敬う、差し出された干物を抱え、柔らかにお辞儀する、差し出した男の方が恐縮して、頭を深く垂れる。次にあかねはいくつもの樽酒を見つけた。
「お酒、いいですか」
あかねの笑みに、男はどきまぎしながら、頷いた。
あかねは小さな樽をよいしょっと受け取ると、にこっと笑顔を浮かべた。
あかねは愛想を一通り振りまくと、先頭に戻ってきた。
そして、優喜と綾の隣にいた店の男に声を掛けた。
「これで充分です。美味しくいただきます。ありがとうございました」
言葉は丁寧だが、気のない言葉だ。
「あ、いえ、すべてお渡しするよう
あかねは軽く樽酒と干物を優喜に手渡す。
「このようなあばら屋住まい、このようにたくさんいただいても、雨ざらしにして、腐らしてしまうだけです。これで充分」
そっけなく返事を返すあかねに、慌てて、店の者が頭を下げた。
「どうぞ、すべてお受け取りくださいませ。嫡子をお探ししていただいたお礼が一夜干しと樽酒一つでしたでは、私が主に叱られます」
つまらなそうに見上げると、とんとつま先で地面打つ、ふわりとあかねが宙に浮き、男を正面から見据えた。
うっと男が息をのんだ。宙に浮くだけでも高位の術師であるのに、ましてや、一切の呪文も唱えていない。恐ろしい、これはまるでお城の白澤様を前にしているようではないか。
「良いことを思いつきました。田仲屋は明日、臨時休業、跡継ぎ様がお目覚めになられたのです、朝から晩までお祭り騒ぎ、お得意さまや
取引先はもちろん、近所の方達、店の者も盛大に酒さかなを振る舞われるのがよろしい。荷物はそれにお使いなさい」
「そそれは。私の一存では、そのような大層なことは決められませんので、まずは旦那様に」
ふっとあかねは右手の親指と人差し指で男の鼻を摘んだ。
くっと捻る。
あわわっ、男が慌てて顔を後ろに引いた。
「鬼紙家とは、田仲屋は古いつきあいのはず。そうではなかったですか」
「あ、はぁ、もちろん」
男が涙声で答えた。
にぃぃっとあかねが笑みを浮かべた。
「私は鬼紙家の孫娘、あかねです。明日はお爺様と田仲屋さんのお祭りに伺うことにさせていただきますわ。ついでに旧家の人達も呼びましょう、とても賑やかなお祭りになるでしょう、とっても楽しみ」
男が震え、尻餅をついた。
「鬼紙老の御孫様」
ふっとあかねが倒れた男の耳元に口を寄せた。
「虎の威を借る、可愛い子狐です、こーん」
あわわわと倒れた男が言葉にならない声を出す。
「優喜さん」
「は、はい」
「白澤にも田仲屋の祭りのこと、伝えなさい。あかねが是非ご一緒にお祭りを楽しみましょうと言っていたと」
優喜は頷くと、干物と樽酒を綾に手渡し掛けだした。

不意にあかねは万辺の笑みを浮かべ、後ろの列に両手でおもいっきり手を振った。
「みなさん。お仕事お疲れさまです。でも、食べ切れません、飲み切れません、明日は田仲屋さんは一日中、お祭りをされるとのこと。みなさんで、大いにこのお荷物、食べてください、お酒も飲んでください」
あかねの声の抑揚に微妙な変化があった。隣にいた綾も気づいていなかったが、寿歌の抑揚を言葉に加えることで、扇動したのだ。
うぉぉっという歓声が響いた。あかねと綾は番頭を駕籠に放り込む。そして、あかねが手拍子を打つ。小気味良い拍子が響く、あかねが歌いだした、本家の祭り歌だ。同じく歌い出すもの、おどけて踊りだすもの、列が一気に賑やかになる。
「さあさあ、みなさま、明日はお祭り、お帰りになったらさっそく祭りの準備ですよ」
あかねの掛け声に、一行が踊り歌いながら帰っていく。
あかねはにこやかに手を振った。
そして、低く呟いた。
「寿歌、恐いな」

部屋に戻ると、綾が男に干物を手渡した。
「綾さん、これは美味しそうだ、ありがとう。そうだ、お酒はなよ用かい」
あかねが針金を曲げ、大ざっぱに網を作った。
「樽酒を返したなんて知れたら、おおめだまですよ」
あかねが笑った。
「あかねは気が利くなぁ。それに言祝ぎ歌も一つが充分使いこなせれば、他も使えるようになるだろう。いい歌を聴かせてもらったよ」
あかねが頬を赤らめた。
「歌は、ちょっと恥ずかしいです」
「あかねさん、とっても綺麗で可愛かったです」
綾が目を見張って言った。
素直にあかねは照れ笑いを浮かべる。男も楽しそうに笑った。
「ただ、可哀想なのは優喜君だね。今頃、白澤さんに難しい顔をされているだろう」
男が遠火に焼く魚の焼け具合を覗く。
「大丈夫ですよ。さすがに白澤さんも面と向かっては怒れないでしょうから」
あかねが平気な顔をして答えた。
「あの、なにがどういうことで」
綾の言葉にあかねが答えた。
「ホンケの豪商 田仲屋の跡取りが意識不明になった。何処で何時に意識不明になったかわかっている、救い出すのはとても簡単なこと。なぜ、放置されていたのか。つまりは一定の術師以上は犯人がわかってたわけですよ、犯人が白澤さんだったって」