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Mar 11, 2020

ちょっとだけ見た。処罰教育とのかかわり
「ハットグ」大人気でコリアタウン新大久保はゴミだらけ!串・容器ポイ捨て、歩道しゃがみこみ
https://www.j-cast.com/tv/2018/11/07343130.html

ワイドショーによるとですけれど、新大久保、えらいことになってる、前回、私が新大久保駅を降りたときは、駅が一部工事中だったこともあり、駅周辺はかなりの人だったけれど、駅を少し離れれば普通に歩くことが出来ました。
番組によると、歩くのも大変な人で、かつ、このハットグというのの食べ残しやなどなど、放置されていて大変らしい。レポーターが捨てた瞬間の人に注意をしたところ、見事なくらいの逆ギレを食わされていました。

さて、記事では、

記事抜粋開始

最終的には道徳観だと思います

記事抜粋終了

と最後に書かれていますけれど、これは道徳観の問題ではなく、まさに教育の成果ではないかと思います。
アドラー心理学の観点から考えると、賞罰教育、要求したことが出来れば褒め、出来なければ叱る、これにより、子供は他人の評価によって行動様式を決定する、褒められるなら頑張る、叱られたから頑張る、つまりは、他人がどう見ているかによって自分自身の行動を決定する、言い換えれば、自分自身で善悪の判断をしないということです。だからこそ、レポーターの注意に逆ギレという行為を為すのも、自分以外の人たちもゴミを路上に捨てているではないか、他人は許されて自分は非難されるのは不公平ではないか、という論理によって怒り出すわけです。
そこには、自分自身で考え、ゴミをこんな形で道路に不法投棄をすると他の人たちに迷惑がかかるよな、なんて思考には至らない、だからこそ、自分の権利を侵害されたため、「怒る」という表現を示すわけです。

だから、こういった不法投棄をやめさせようとするなら、「自分で考える」という教育が必要なのではないかと思います。
先日、書店にて、高校生向けの新書を立ち読みしていましたが、「考える」とはどういう行為かについて、いくつかの選択肢の中で、一番、自分を幸福にするものを選択するということだと書かれていました。
それには、一つ条件があって、自分というものを、今、現代の自分だけではなく、未来の自分、過去の自分をも含めて、自分と言っています。
つまり、ゴミの散乱する社会で生きることが貴方にとって幸福ですか、この視点において、自分の行動を決定せよということです。

さて、ごにょごにょ、書きましたけれど、私自身、こうすれば解決という策を持ってはいません。いったい、どうしたらいいのでしょうね。
2018.12.04


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