普段着の文章

物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




そもそも、憲法とは暴走する権力者を縛るためのものであり

そもそも、憲法とは暴走する権力者を縛るためのものであり

東京新聞【社説】 平成と憲法 平和の時代を守らねば
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019010402000126.html#pagetop

抜粋開始
世界史を見れば、政府は暴走する危険が常にあります。だから、憲法を守るよう命ぜられているのは政府であり、権力を行使する人だけなのです。権力を暴走させない役割が憲法にはあるのです。
抜粋終了

世界史はもちろん、日本の近代史を読めば、政府、為政者がいずれ暴走するのは確定といっても良いと思います。もしも、自分は暴走しないという為政者がいれば、その危機意識の無さに、却って恐しい人物達であろうと思います。

さて、政治家や官僚が憲法を変えようというのは、殺人者や窃盗犯が刑法を変えよう(緩くしよう)というのと同意である、と言いきってもよいと思います。
いまの首相は随分と憲法を変えようと言ってますが、狂ったことを言っているわけです。もしも、本当に変えたいというなら、在野に降りてから言えばまだしもと思いますし、政治家であるうちに言わなきゃと思っているなら、そもそもの法律をご存じないのかもしれない。いや、自分に都合のわるい法律は理解不能、理解する能力が欠けているのかもしれませんね。

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日本はクジラ虐殺やめよ=IWC脱退再考求める—米紙 を読んで思うこと

日本はクジラ虐殺やめよ=IWC脱退再考求める—米紙 を読んで思うこと
時事通信 / 2019年1月1日 16時41分
https://news.infoseek.co.jp/article/190101jijiX541/

日本という国は、出来得れば、他国から尊敬していただけるような位置におりませんとかなりきつい。貿易立国だとか申している国は、他の国と深刻な諍いは避ける方がいい。
鯨について、これはもう絶対に譲れないという事情があるならまだしも、鯨そのものを食べたことがないし、という人の方が多い中、また、鯨以外に食べるものがないんだという切迫した状況にあるわけでもなく、ならば、IWCを脱退する方が理にかなっているかどうか、利にかなっているかどうか、少し考えればわかることで、居残って、IWC内部でぶつぶつ言っている方が断然よいわけだ。
多分、国民の多くがそう思っている、少なくとも鯨を食べた記憶のない人たちはそう思っているととしてもそれほど不思議ではない。
国民の意思と政治家の行動の齟齬は、お互いの断絶によるものであり、国民は政治に無関心であり、政治家は国民の言葉に無関心であるところに起因する。


この状況を打開するには国民、私的には市民と表現したいのですが、日常の世界において、政治を自由に語ること、くらいかなと思っていたりします。

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TPP反対を堅持するということ 01

TPP反対を堅持するということ 01

私は一個人の目の高さから、TPP及び、TPP11に反対しています。発効されても、その考えは変わりません。

日本などTPP発効 5億人経済圏誕生へ
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6308471

さて、少しばかり。
まずは、関税を無くすということはどういうことか。
税金を無くすということは、国にお金が入って来ないということです。国にお金が無くなる、そうしたとき、医療や福祉はどうなるのか、先のオリンピックや諸々のために建設されたこの国の道路が経年劣化を起こしている。水道管の劣化も深刻だ。国民にとってこういった生活の基盤は生存維持のために必要なものである、こういった状況で、国にお金が入らない状況を嬉々として受け入れようというのはどういうことなのでしょうか。
まずは国、いわゆる国民国家の存立という、かなり、基本のところから、捉え直していかないと、目先のことに踊らされて、これからの人たち、次の世代、その次の世代に大きな負担をかけてしまうのではないでしょうか。

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38歳、女性右翼活動家がアメリカと断固闘い続ける理由 を読んで

組織、それも上下関係による組織というものは、上の考えを下が追認する、そのためには、下の頭の中をからっぽにして、上の考えを詰め込む、これは全体主義が広まっていく様子を示すものだけれど、記事の女性は、上の考えを受け入れるために頭の中を空っぽにすることを拒絶し、自分で考えたのだなぁと思います。

38歳、女性右翼活動家がアメリカと断固闘い続ける理由
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56511?page=1

記事抜粋開始
"コワモテ"をイメージさせる装いだが、上半身を包むトレーナーには「米国の正義を疑え!!」という文字がプリントされている。
記事抜粋終了

米国の正義を疑えというのは、言い換えれば、首の上にのっかている、その自分の頭で考えてくれ、ということだと思いますけれど、これは鶴見俊輔の戦後大学人へ向けての批判と通じるものがあると思います。

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日本人は悪い

ETV特集「アイヌらしく 人間らしく〜北海道150年 家族の肖像」を見る
[2018-12-16 00:17]

ETV特集「アイヌらしく 人間らしく〜北海道150年 家族の肖像」
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2018-12-15/31/19072/2259648/
私が小学生だったのは、もう半世紀近く昔のことですが、自分自身の性格形成に大きく影響を残しています。
中学に入るまで、私はなかなかのいじめられっ子でした。
ですから、この年になってもです、いじめられる人、排除されようとする人、傷つけられる人達に親近感を少しばかり感じます。威嚇する側に立つことはできません。
「アイヌらしく 人間らしく〜北海道150年 家族の肖像」

私がアイヌ民族に関心を持つ、その大本にあるのも、その子供の頃の経験が影響としてあると思います。
勤めていた会社を辞めた後、北海道に行ったのも、アイヌの萱野茂氏に会ってみたいと思ったからであり、実際に少しお話をさせていただけたのも、今となっては、私の大切な思い出です。

私は日本人であり、アイヌのいうところの和人でありますが、和人ってのは、なんて悪い奴なんだろうと思っています。

(だって、アイヌの土地を奪い、生活を奪い、文化や言葉まで奪ったのですから。)

もちろん、いやいや、そんなことはない、立派な人もたくさんいるよとおっしゃる方も多いでしょうけれど、それでも、日本人、和人って、なんて悪いやつなんだろうと言いたいし、その時の和人には私自身も含まれていますから、私はなんて悪い奴なんだろうと思います。

しばらく前から読んでいた「戦時期日本の精神史」鶴見俊輔著 岩波現代文庫 によりますと、日本人のそれは、この鎖国性にあると書いています。
これは、いわゆる江戸時代の鎖国政策をしめしているのではなく、日本の島国という特徴、つまり四方を海に囲まれ、その海が国境を形作り、かつ、外からの外国が攻めてくるという認識が薄いことで生じた鎖国性、それから生み出される、モノの見方や受け取り方を示しています。私は難しいことはわからないし、表現するのも下手なので、この本はぜひとも、たくさんの人に読んでもらいたいなぁと思っています。
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渋谷区が先駆けるマクロン政治 弱者締め出し、公園を大手不動産会社に貸付 を読んで思うことなど

渋谷区が先駆けるマクロン政治 弱者締め出し、公園を大手不動産会社に貸付 を読んで思うことなど

2018年12月31日
http://tanakaryusaku.jp/2018/12/00019365

区役所がそれを出来るというのは、それをしても自分たちが困るほどの批判は来ないだろうと確信しているからだろうなぁと思います。区民の比較的多くの人が、区役所の行為を支持まではしなくとも、内心では受け入れているかもしれない。
つまりは、自分の近くに、公園でしか生活できない人たちにいてもらいたくない、ということです。
ただ、その社会を受け入れるということは、うっかり一度落ちてしまったら、頭の上に蓋をされて這い上がれないということです、仕事の失敗もあれば、病気で働けなくなった、それが即弱者締め出しとなり、追い出されていく側に立つということです。
そうなる可能性が多くの人にある、その可能性に思いが至らない、想像力の欠如と自己評価の欠如によるものかもしれません。

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ジュースの自販機からおつりが多めにでてきた

ジュースの自販機に150円を入れた。130円の珈琲を買う。おつりが10円玉5枚、50円ありました。

さて、と考えて、30円をおつりの出口に戻し、財布に20円を入れて帰る。

別に真面目だからそうしたわけでもなく、気が弱くて30円の窃盗という気分に耐えられそうになかったわけでもなく、警察に届けなきゃという心が清らかな善人であるはずもなく、いや、そもそも、私は悪人ではないのかと思い始めるこの頃ではありますが。

つまりは拾ったお金をそのまま戴いてしまう社会と、過剰に反応すること無くお金を戻しておく社会とどちらが住み良いかという選択をした結果、後者を選んだということです。

いまの社会の有り様は、目先のお金をがしっと取るべきなのだという常識、それを選ぶことによって生まれてきたと思っています。 原発にしてもそうですが、原子力は一歩間違えればとても危険なものであるけれど、少なくとも自分たちが生きている間は大丈夫だろう、数十年先はわからないし、大変なことになっているかもしれないけれど、いますぐは問題なかろう、という前景があればこその選択で、反対しなかった、しきれなかった私たちはその企みに与していたと言われても仕方がない。 この悔恨から、いまとこれからと、ずっと先のこれからを見ていく時に、とっくに来ていたのではと思っていたりします。 正当ではない30円を拒絶したのはそういう気分からのものでした。

整理していたら、ターシャ・テューダの本が出てきた。こういう生活をしてみたいなぁ

http://tasha-movie.jp/

2018.12.31
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カードを使わないという選択をする

10年以上前、財布を失くし、入っていたキャッシュカードも失くしたわけですが、手続きを終えた後、カードの再発行を促され、しばらく、カードなしでやっていきますと答えまして、それ以降、ポイントカードすら拒否という姿勢です。
これは、興味を持っていた地域通貨という概念とでも申しましょうか、その地域が裕福であるか、そうでないかは、その地域にどれだけの利用可能なお金があるか、それによって変わる、地域、私の言うところの地域とは地方の市だとか、町をさしていますけれど、どうも、クレジットカードをはじめ、カード類はそれとうまく馴染まない、そう考えてカードは使わないようにしています。
それと、やっぱり、自分の財布から現金を出す、という行為は、なかなか、逡巡するもので、ま、今度でもいいかなとか、今のがもうちょっと使えるかなと思い直して、買うのを控えることが出来る。消費しなければ、お金は手元に残る、カードの手軽さはないかもしれませんが、お金の使いすぎを抑制することはできます。

消費活動が経済を回すとかいいますけどね、私のような貧乏ったれがモノを買うより、富裕層とか言われる方達がどかんどかんと税金を払うとか、寄付をされる方が、よほどに経済は回るのではないでしょうかね。

さて、来年、消費税を10パーセントにするぞということで、なにやら、小難しい、ポイントなどという話が出ています。
うちの小さな店はカード未対応ですが、しょうがない、カード対応するかと、本やネットで調べていたりします。
そこら辺、私も商売人で、私自身はカードは使わないという姿勢を堅持しますし、自分が買い物をするときは、ふん、ポイントなんぞいらねぇや、だから、ポイントが終わるまでは高額商品は買わないと文句言っておりますけど。

カードとかスマホ決済とか、はやってますけど、人はあんまり賢明ではないので、なにごとにつけ、ある程度、不自由なくらいの方が、良い生活を送ることができるのではないか、時代だからの一言で、盲目的に追随するのはあんまりよくないなと思っています。
カードやスマホで支払う、消費者からみれば、「支払方法」ですけれど、企業からみれば、全国津々浦々からの「集金システム」であるわけで、どうもね、えぐられていくような気がして、なんだか、切ない。

さて、昨晩、書店に注文していた本を受け取りに行きました。

戦時期日本の精神史 1931〜1945年

ファシズム下の転向の軌跡を通して,日本文化の鎖国性を衝き,知識と思想のあり方に反省を迫る現代日本思想史前篇.
https://www.iwanami.co.jp/book/b255681.html

まだ、三分の一くらいしか読んでいませんけど、かなり面白い本です。
iwanami.co.jp
戦時期日本の精神史 - 岩波書店
ファシズム下の転向の軌跡を通して,日本文化の鎖国性を衝き,知識と思想のあり方に反省を迫る現代日本思想史前篇.

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逃げるな

[2018-12-14 23:30]
東名あおり運転「危険運転」認め懲役18年 求刑23年より減軽されたポイントとは?
https://www.fnn.jp/posts/00400870HDK

この事件で取り沙汰されていること以外について、私が思うこと。

石橋被告がそもそも萩山さんの車を高速道路で停車せしめた原因はサービスエリアにて、自身の違法駐車を萩山さんに注意されたことにあります。これに逆恨みをし石橋被告がこのような行為をしたということです。
多分、萩山さん以外の多くの人は、こんなところに車を停めるなんてと思いながらも素通りしていった、まっすぐに注意をした萩山さんは、このように殺されてしまった。
そこから得られる答えは、「面倒くさそうなことは知らないふりをしよう、すっと通りすぎてしまおう」 と、なるのではないでしょうか。
もしも、通りすがりの2、3人でも、萩原さんに同調して、石橋被告に意見をしていたら、萩原さんは死なずにすんだかもしれません、それとも、うっかり声に出さず通り抜けて助かったと思っている人たちが何処かにいるのでしょうか。
理の通らない無理強いを力や威嚇で通そうとする人たちは必ず一定数存在します。 それを仕方がないと認めてしまうと、とても生きずらい社会を招くことになります。
今回の事件は、こういった「するべきことをするべきときにしない」ことによって、社会が狂いだしていく、それを如実に表わしていると思います。
「大衆の反逆」オルテガの名著ですが、この本は第一次世界大戦の終った頃のヨーロッパでの社会論ですが、いまの日本と重なるように思えます。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082091/
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対全体主義

日本最古の現役学生寮、京都大学・吉田寮の住人に「寮を追い出されようとしている本当の理由は何なのか?」を聞いてきました。
https://gigazine.net/news/20181207-yoshidaryo-interview/

これは、横の関係の世界に縦の関係が侵食しようとしている、一例だなと思います。吉田寮を護ることが、全体主義から民主主義を守ることにも繋がるなぁと思いました。
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奴隷とは

[2018-12-08 23:40]

貴ノ岩のスピード引退に違和感「諸悪の根源はテレビだ」の声も聞いてほしい
週刊女性PRIME / 2018年12月8日 19時0分
https://news.infoseek.co.jp/article/jprime_14018/

なるほど、そういうものかもしれないと思いました。貴ノ岩のこれからを潰したのはテレビの報道であると。
それについては、是非、記事をご覧いただきたいと思いますけど、いくつか関心を持ったことの一つ、付き人の待遇について。
冷静に考えて、付き人って、奴隷の立場とよく似ています。マスターの風邪薬を持ってくるのを忘れて、奴隷が拳骨で叱咤された、そう言い換えることもできそうです。
このことで思いだしたのが、これまた、鶴見俊輔の本にあったジョン万次郎の逸話です。
ジョン万次郎といえば、乗っていた船が難破し、そこで助けられたアメリカ船に乗ってアメリカへ。その後、通訳として活躍した人であったと思います、多分、学校の教科書で、私はそのことを最初に知ったと記憶しています。
その彼が世話になった船長と別れるとき、その船長に宛た手紙を書いた、その出だしが、dear my friend だったそうです。ジョン万次郎の立場としては、奴隷であっても不思議ではなかった、でも、彼は船長に対して、friend 「友人」と呼びかけた。「友人」とジョン万次郎から呼びかけるだけの関係が二人の間にあったということです。つまり、私たちは対等であると、お互いがそれを受けいれていたということです。

それを思うとき、伝統の名のもとに、上下関係を強いるこの付き人という仕組みに私は疑問を禁じえません。

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ミニ豚を屠殺したことと、その目的について思うこと

西日本新聞 岐阜でミニブタ2頭検査なく処分 豚コレラ予防名目、愛護法違反か https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/470347/

岐阜県では、豚コレラが広がっており、防疫を目的に、ぎふ清流里山公園が飼育していたミニ豚2頭を屠殺処分にしたとのこと。 そのミニ豚がコレラに罹っているかどうかの確認をせずに屠殺したことと、愛玩目的のためのミニ豚だったらしく、問題となっている。その上、農林水産省も屠殺するまではなかったのではと言っているらしく、岐阜県も管理業者も大変だろうなと思います。

この記事に私が関心を持つのは、アドラー心理学から、見えてくるものがあるなぁと思ったからです。

記事抜粋開始

管理事業者が11月22日、「確実な防疫のため処分したい」と電話で県に相談。県は「やむを得ない」と判断し、

記事抜粋終了

何故、コレラの検査をしなかったのか、何故、せずに処分をしたのか。アドラー心理学では、トラウマは存在しない、人は目的のため行動するのだとしています。 正確には、トラウマは存在しない、ということではなく、トラウマは存在しないということにしておきませんかという提案だと、私は考えておりますけれど。

さて、屠殺処分をした事業者の目的は何か。
それは自分の管理やその能力を隠避するためであるのではと思います。
つまり、ミニ豚が豚コレラに感染していた場合、管理者として責任を問われることになるからです、また、今後もそのミニ豚が生きていると、現時点では感染していなくても、今後、感染するかもしれない可能性がある、その可能性を排除するためには殺すしかないと判断したのではないのかと思います。
つまり、自分の価値を維持するために他者を犠牲にする、アドラー心理学でいうところの他者の価値を低減することで、自身の優越性を維持する行為であると私は捉えます。

そして、では、何故、県は管理事業者の提案を受けいれたのか。本来ならば、そのミニ豚がコレラに罹患しているかどうかをまずは考えるのではないでしょうか。
私は、まさしく、県の担当者が「考えなかった」のではないか、と思っています。 昨日にも、少し書きましたが、「考える」とは、いくつかある選択肢の中で、一番、自分が幸福になる選択をするといこと、と捉えるなら、選択肢の中から「屠殺する前に検査するという」選択を選らべばよかったのに、それをしなかった。
それは、まさしく考えなかったのだと私は思います。
さて、ここから、「考えることを放棄した人」というキーワードを利用し、全体主義について、くどくど書いていこうと思ったのですが、年寄りなので、体力がありません、いずれまた。
2018.12.04
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ちょっとだけ見た。処罰教育とのかかわり

「ハットグ」大人気でコリアタウン新大久保はゴミだらけ!串・容器ポイ捨て、歩道しゃがみこみ
https://www.j-cast.com/tv/2018/11/07343130.html

ワイドショーによるとですけれど、新大久保、えらいことになってる、前回、私が新大久保駅を降りたときは、駅が一部工事中だったこともあり、駅周辺はかなりの人だったけれど、駅を少し離れれば普通に歩くことが出来ました。
番組によると、歩くのも大変な人で、かつ、このハットグというのの食べ残しやなどなど、放置されていて大変らしい。レポーターが捨てた瞬間の人に注意をしたところ、見事なくらいの逆ギレを食わされていました。

さて、記事では、

記事抜粋開始

最終的には道徳観だと思います

記事抜粋終了

と最後に書かれていますけれど、これは道徳観の問題ではなく、まさに教育の成果ではないかと思います。
アドラー心理学の観点から考えると、賞罰教育、要求したことが出来れば褒め、出来なければ叱る、これにより、子供は他人の評価によって行動様式を決定する、褒められるなら頑張る、叱られたから頑張る、つまりは、他人がどう見ているかによって自分自身の行動を決定する、言い換えれば、自分自身で善悪の判断をしないということです。だからこそ、レポーターの注意に逆ギレという行為を為すのも、自分以外の人たちもゴミを路上に捨てているではないか、他人は許されて自分は非難されるのは不公平ではないか、という論理によって怒り出すわけです。
そこには、自分自身で考え、ゴミをこんな形で道路に不法投棄をすると他の人たちに迷惑がかかるよな、なんて思考には至らない、だからこそ、自分の権利を侵害されたため、「怒る」という表現を示すわけです。

だから、こういった不法投棄をやめさせようとするなら、「自分で考える」という教育が必要なのではないかと思います。
先日、書店にて、高校生向けの新書を立ち読みしていましたが、「考える」とはどういう行為かについて、いくつかの選択肢の中で、一番、自分を幸福にするものを選択するということだと書かれていました。
それには、一つ条件があって、自分というものを、今、現代の自分だけではなく、未来の自分、過去の自分をも含めて、自分と言っています。
つまり、ゴミの散乱する社会で生きることが貴方にとって幸福ですか、この視点において、自分の行動を決定せよということです。

さて、ごにょごにょ、書きましたけれど、私自身、こうすれば解決という策を持ってはいません。いったい、どうしたらいいのでしょうね。
2018.12.04
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関心あり

広がるナラ枯れ防ごう ペットボトルわな、害虫を捕獲
http://www.kyoto-np.jp/environment/article/20110713000054
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鉄の杖を用いた鍛錬法

直径2.5センチの鉄の杖を用いた鍛錬法です。
あまり度を過ぎて練習すると関節を痛めます。

  1. 鉄杖鍛錬法001
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