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物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




2017.09.17 京都新聞朝刊、「蓮池透 恐怖あおらず対話を」という記事があった

京都新聞朝刊、「蓮池透 恐怖あおらず対話を」という記事があった。
北朝鮮のミサイル発射に伴ってか、新聞やテレビ、北朝鮮の人たちの現地の言葉が紹介されたりすることが増えたような気がする.
言葉の内容は、威勢の良い言葉ばかりで、米国には負けないぞという雰囲気である.
こればかり見ていると、怖い国だなとか、なんだなんだやる気か、なんて、受け取る人たちも増えてくるのではないのかなぁと危惧していたりする.
例えば、テレビ局が、北朝鮮に潜入して、膝を付き合わせて、それで本当のところはどうなの、どう思っているのと信頼関係をしっかり築いた上での彼らの言葉なのか、北朝鮮の報道を勝手に取捨選択して持ってきたものかで、内容はまったく違うものになるかもしれない。
それを考えたとき、あぁ、これは「鬼畜米英」の言葉に踊らされていた、70数年前の私たちの先輩たちと同じなのかも知れないなと思う.
プロパガンダをそのままに受けとるのは恐ろしい.

私自身は生きている以上、死ぬことは免れないし、その気分は、年を重ねるほどにはっきりしたものになっていっている。ただ、戦争で死ぬのは嫌だなと思うの で、それは戦争に加担するのも嫌だし、頭の上にミサイルが落ちてくるのも嫌だという意味で、なんとかならんもんかなと思っている.
北朝鮮とアメリカの、地理的にも、その間にある国の住民としては強く思う.

ただ、この国もだし、あちらこちらの国もどうも威勢が良いというか、右傾化というか、この腕っ節でねじ伏せる的雰囲気になっていると思う.これは自由主義 経済における、競争原理の激化であると私は思うのだけれど、どうも、国は、いや、この場合は国家と表現する方が良いのかもしれないけれど、国家が過激な方 向へと向かって行くならば、どんな力がその国家を逆向きに、まぁまぁ、頭を冷やせよと、向かわせるのかと考えたとき、「個人」の力しか見当たらない.
大正、昭和の初め、平和や反戦の声を発していた人たちの多くは、一番大事な時に、口を噤んでしまった.
平和な時に反戦を叫ぶのは容易だけれど、戦中にそれを叫ぶのは恐ろしい.
とにかくは、私もびびりなので、戦争になったら口を噤んでしまうだろうし、なら、戦争にならぬよう、いまのうちから、出きることをするのが、大人としての役

割かなとか思ったりする.

 
 
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