異形 雨夜閑話 四話

かぐやのなよたけの姫

月曜日 18 7月 2011 at 6:27 pm.

「先生、たーっち」
いきなり黒は男の背中を叩くと、あははっと笑って駆け出して行った。
「な、なんだ・・・」
男は居間で読んでいた書類を手から落とし呟いた。
本家への出張も終え、やっと落ち着いた次の日の朝のことだった。
「姉さん流の愛情表現ですよ」
白があかねを座らせた座椅子の横に座り、じっとあかねの手を両手で握っていた。
「実害はないので、どうぞ、よろしくお願いします」
白は笑うと、また、あかねを見つめ、その両手に力を入れる。
「なるほどね、まっ、好かれるというのはありがたいことだ、嫌われるよりずっといい」
「本家では大変だったみたいですね」
「そうだな、小学生に複素数解析を教える方が楽かもしれないな」
男は呟くと、書類を食卓に載せる、随分と書類が溜まっていた、一週間の予定が十日かかり、予定が狂ってしまったのだった。
幸はあさぎと三毛を連れ、商店街の洋品店へ出掛けていた。普段着を用意するためだ。
「白は随分と落ち着いたな」
「うーん、お姉ちゃんがあの通りですから。でも、怒鳴られずにすむし、相談もしてくれるから、今が一番楽しい。先生、ここに住まわせていただだいて、本当にありがとうございます」
「私的に云えば、住んでくれてありがとうという気分だな、賑やかだし、幸も楽しそうだ。あとはあかねちゃんのことだな」
白は頷くと、男を見つめた。
「夢を見ました、あかねさんが窓硝子を叩いている、こちらに向かって気づいてくれと必死に窓を叩いている。なんとか窓を開けに行こうとするんだけど体がどうしても動かなくて」
「やっと気が満ちて来たかな」
男は呟くと、あかねの横に座った。
「白、あかねちゃんの手のひら、とんとんと指先で叩いてごらん。何度もね」
「はい」
素直に白はあかねの手首を支え、右手の人差し指でとんとんと叩き出す。
「ドアを叩く感じでしょうか」
「そう、気持ちが届きますようにってね」
男がそっと笑みを浮かべる。

幸は洋品店の叔母さんと向かい合って座っていた、いつものテーブル、今日は初めてあさぎと三毛もやって来、テーブルについていた。
「で、ちょっと、待ちなよ。幸ちゃんのお姉さんがあさぎちゃんで、娘がこの三毛ちゃんにあと二人、娘、がいるわけだ、こりゃ、賑やかだ」
「母さん、驚いた」
「なんていうかねぇ、幸ちゃんが幸乃さんと一緒に来た時ほどじゃないけどさ」
店主は笑うと、マグカップを四つ食器棚から取り出し、いつものインスタント珈琲をいれる。
「幸乃さんが妹がお世話になっていますって言った時にはさ、腰抜かしたけどね」
店主はあさぎと三毛に珈琲をすすめる、気負いも何もなく、古い知人のように扱った。
「幸ちゃんの姉ならあたしの娘みたいなもんだ、遠慮は無用だよ」
あさぎは安心したように笑みを浮かべると、微かに頭を下げた。
店主は笑みを浮かべると、三毛の珈琲に砂糖とクリームをたっぷり入れる。
「で、三毛ちゃんは娘。って、幸ちゃんが産んだわけないよね。本当に産んだってなら、あたしゃ、先生に小言の一つも言わなきゃならないよ」
「血の繋がりはないけど、気持ちは繋がっているし、うん、いっぱい、繋がっている、だから、大切な娘です」
幸はそっと三毛の頭を撫でた。
ふと、三毛が幸を見上げた。
「お母さんの母さんなら、おばあちゃんって呼べばいいのかなぁ」
「だめだめ」
店主があわてて否定した。
「まだまだ、誰にもおばあちゃんなんて言わせないよ。そうだね・・・、服屋のかあさんて呼びな」
「呼びにくいよぉ」
「いいや、最初が肝心。それ以外は受け付けないよ、わかったね」
「はぁい」
三毛が頷いた、店主は愉快に笑う、その目は孫を慈しむ祖母の目にも近かった。
「幸ちゃん、家族が増えて賑やかになったねぇ」
幸が幸せそうに頷いた。
幸の笑顔を見て、ふと、あさぎは昨晩のことを思い出した。
誰もが寝静まった頃、幸はあさぎの枕元に座ると、そっとあさぎを起こした。
「あさぎ姉さん、ちょっと、来て欲しい」
緊張しながらも、あさぎは頷くと、幸の後に従った。
家の外に出る、畑の手前、長椅子に二人座った。白く満月が輝き、辺りを白く染め上げていた。
幸は右手であさぎの左手をしっかり握り、笑みを向けた。
「あさぎ姉さんにはあたしのこと、知って欲しい。いいかな」
あさぎは幸が自身のことをあたしと呼ぶことに微かな驚きを感じたが、そっと、幸の言葉に頷いた。
「ここに来て、お父さんの娘になってもうすぐ四年になる。あたしは人を食う魔物に取込まれていた、救い出してくれたのが、お父さん、あの人だった。あたしは助けてもらったけど、もう親も知り合いもいない、たった独りだった。あの人はここで暮らしなさいと言ってくれた、年齢的に、父と娘でいいでしょうって言ったんだ。いま、あの時のことを思い出すと、なんて、お父さんは簡単にあたしを受け入れてくれたんだろうって、呆れてしまうよ」
幸はそっと笑みを浮かべたが、そのまま、俯いてしまった。
「人の肉を食い、その血を飲んで喉の渇きを癒していた女だ、あたしは。お父さんはそれも承知で娘にしてくれたんだ。ここへ来てからも大変だった。時々、どうしようもなくなって、不安や恐怖でおかしくなってね、お父さんに椅子を投げ付けたり、包丁を投げたこともあった、窓硝子もいっぱい割ったよ。でも、お父さんは怒らずに、抱き締めてくれて、泣いてくれるんだ、一緒に泣いてくれるんだ」
あさぎがぎゅっと幸の手を握り締めた。
そっと幸が顔を上げ、あさぎを見つめた。
「あさぎ姉さんはいまとっても不安だと思う。孤独にさいなまされているかもしれない、でも、忘れないで欲しい、ここにあさぎ姉さんの妹が居て、あさぎ姉さんのことを大切に思っているってことをね」
あさぎが呟いた。
「ホテルの階段を転びそうになりながら駆け降りました。歩道に出て、すぐに家に帰ろうと思った時、家が何処にあるのか思い出せなかった、ううん、思い出せないんじゃなくて、全然、記憶がなかった、その内、自分の名前も思い出せなくなって・・・」
幸は両手でしっかりとあさぎの手を握った。
「ここがあさぎ姉さんの家だ。妹と父親がいて、妹には娘が三人もいて、とっても賑やかだ。一番下の妹はあかねちゃんで、いまは意識不明だけれど必ず目を覚ます。啓子さんや恵さんは家族同然の人で、商店街の佳奈姉さんや母さんはとっても頼りになる素敵な人達だ」
あさぎは涙をこぼし、幸を抱き締めた。
「ありがとう」

「先生、もうすぐかな」
黒が男の後、肩の辺りから顔を出して、目を開けたまま眠っているあかねをのぞき込んだ。白は無心にあかねの手のひらを人差し指で叩いていた。
「白の頑張りで薄皮一枚のところまで意識が浮かび上がっている。あと、もう少しなんだけどな」
「もう少しなんだけど、届かない。指先が届きそうなのに」
白が呟いた。
「あとは母さんが帰って来てからかな」
男が呟く。
黒が男の横で笑った。
「だめだよ、先生が母さんって呼んじゃ」
「ん、叔父さん、そう言ったか」
「言ったよ」
「幸には秘密だぞ」
男が笑った。
「先生には世話になっているから黙っててあげるよ。白も喋っちゃだめだぞ」
「家庭円満のためにも黙ってますよ。あ、話は変わりますけど、ケーキ、とっても美味しかったです」
にっと白が男を見上げた。
男が困ったように笑った。
「あかねちゃんが目を覚ましたら、ケーキパーティでもするかな」
「うわーい」
黒が飛び上がって喚声をあげた。
「ケーキ、ケーキ」
黒が阿波踊りのように踊りだす。びっくりしたように白は黒を見つめたが、笑みを浮かべると、和やかに黒を見つめる。
「怒ってばかりの姉さんより、こっちの方がいい。その分、私が頑張ってしっかりします」
「それぞれ個性があっていいな」
ふと、白は指先を止め、呟いた。
「産まれたところも捨てられたところも違いますが、それでも私達は姉妹で三人で一人なんです。それがとっても嬉しいんです」
白が穏やかに一人頷いた。

「あ、母さんだ」
黒は叫ぶと、ばたばたと玄関口へ走りだした。
「ただいま」
幸を先頭にあさぎと三毛が帰って来た。
黒はばふっと幸の腰にしがみつき、見上げた。
「母さん、お帰り」
「ただいま、黒。賢くしてたかな」
「してた、とってもしてた」
幸が黒の頭を撫でる。
「幸、あかねちゃんを呼んでくれ」
男が幸に声をかけた。黒はすっと幸の体を離すと、あさぎを護るように手を握った。
「あさぎ姉さん、危ないと思ったらうずくまって」
黒が鋭くあさぎに囁いた。
幸はあかねに駆け寄ると、大声で叫んだ。
「あかねちゃん、目を覚ませ」
一瞬、あかねの視線が一点に定まった。
「うわぁぁっ」
あかねが浮かび上がり、悲鳴を上げる、爆風。
まるで台風のようにあかねを中心に風が発生し、椅子もテーブルも何もかもを吹き飛ばす。
あさぎが慌てて廊下にうずくまった。
幸が叫んだ。
「黒、白、三毛」
「はいっ」
三毛があかねの脚を、白がお腹、黒があかねの肩を取り押さえた。
狂ったようにあかねが大声で叫ぶ。
幸はしっかりと歩きだし、両手であかねを強く抱き締めた。
「あかねちゃん、幸はここにいるよ。もう、大丈夫だ」
不意にあかねの力が抜けた。
「お姉ちゃん」
「お帰り、あかねちゃん」
黒達三人は手を離すと、床に座り込んでしまった。男も掴んだテーブルと椅子を床に降ろしあさぎに声をかけた。
「起きて大丈夫だよ、あさぎ」
あさぎはぺたんと床に座り込むと呟いた。
「竜巻が発生しました」
男がくすぐったそうに笑った。

あさぎと三毛が少し遅めの昼御飯の用意、幸はあかねを抱きかかえて居間に行き、あかねを座椅子に座らせた。
「はい、どうぞ」
三毛がストローを差した黄色いジュースを幸に手渡した。
「あさぎ姉さんが作ってくれたよ、バナナジュース、消化しやすくって栄養があるからって」
「ありがとう」
笑みを浮かべ、幸は受け取ると、ストローの先をあかねに咥えさせた。

そのころ、男は黒と白を連れ、洋菓子店へと歩いていた。
「先生、何個買う、何個買う」
黒が男の裾を引っ張る。
「一人何個、食べるかだな」
「いっぱい食べるよ。食べ過ぎて、動けなくなって、あぁ、幸せって言うくらい」
「お姉ちゃん、それじゃわかりませんよ」
男はふと立ち止まると、にっと笑って言った。
「まずは苺のショートケーキ」
黒が頷いた。
「そうだ、黒はチョコレートは食べたことあるかな」
「ある、非常食で食べた」
白もチョコレートの甘さを思い出したのか、舌なめずりをする。
「チョコレートでも色々あるぞ、中でもとっても美味しいベルギーチョコレート、とっても甘くて、でも、ほんのり苦い大人の味」
「大人の味」
白が繰り返した。
「そうだ、白。子供はまだ食べちゃいけません、大人だけのチョコレート、これがふわんとケーキを包み込んでいる、フォークを差すと、チョコレートがぱりんと割れて、ふんわり現れるちょっと茶色のスポンジ、ふんわりしたスポンジケーキにチョコレートが混ざっている、大人の味だ、チョコレートケーキだ」
「絶対、絶対、食べます」
白が答えた。
「よし。次はなんと言ってもチーズケーキ。この前のショートケーキのスポンジ、とっても柔らかかっただろう」
二人がうんうんと頷いた。
「チーズケーキはもっとすごいぞ。とってもなめらかできめ細やか。口の中ですうっと溶けてしまうくらいにさわさわって感じだ。口の中でケーキが行方不明になっちゃう」
「さわさわ、さわさわ」
二人が叫んだ。
「そうだ、タルトもいいな。黒と白はビスケット食べたことあるか」
黒と白、男の裾を握ってうんうんと頷いた。
「タルトの作り方を知りたいか」
「知りたい、教えて、教えて」
「まずは、たくさんのビスケットを小さく砕きます。そして三十センチくらいの円筒形の型に厚さ一センチくらいに詰め込みます。黒、白、詰め込みましたか」
「詰め込んだ、詰め込んだよ」
「さて、その上にどさっと白い生クリーム、とっても甘い生クリームを載せて、木のへらで平らにします、そして薄く切った果物を載せていきましょう」
「苺を載せる」
黒が叫んだ。
「蜜柑も、蜜柑も」
白が目を輝かせて叫んだ。
男は柑橘系は大丈夫なのかと思いながら、
「もう、いっぱぁい果物を載せて、その上に甘いシロップふわぁっと、こう回すようにして掛けていくのです、まんべんなくね」
黒と白、興奮して口からはぁはぁ息をしていた。
「しばらく冷やした後、さぁ、タルトを切りましょう。すぅぅっ、さくっ。このさくっってのは、固まったビスケットが切れる音だ」
「すぅぅっ、さくっ。すぅぅっ、さくっ」
黒と白が嬉しそうに言葉を重ねる。
二人が男の手を握って駆け出した。
「先生、早く買いに行こう」
二人が男を引っ張り走りる、風を切って駆ける。

鈴の音がした。
りーんと不思議なほど長く音が伸びる。
黒と白が恐怖に硬直した。そして、辺りを見回す。
「これは珍しい」
男は呟くと、二人に声を掛けた。
「これくらいのことで怖がっていたら幸に笑われるぞ。黒、白、三毛は幸の娘でもあり、正式な弟子でもある。この程度の奴らにびびってどうする」
男は笑うと、前方を眺める。行列が現れた。時代劇にある花魁道中のような行列だ。男はしっかりと二人の手を握り、二人を背中に隠した。
花魁道中は男を横切り、中ほどの花魁役の女がふと男を認め、声を掛けた。すっと、動きが止まった。
「この辺りにあかねという子は居りませぬかえ」
「さぁ、よくある名前ではありますが、私にはどうも」
男は笑みを浮かべると、首を横に傾げた。
ふと、女は男の背中で震えている黒と白を見つめた。
「はて、何処かで見かけたお子の様」
「これは私の娘です、多分、人違いでありましょう」
「そう・・・」
女は関心を無くしたかのように前を向く。再び、行列は動き出し、視界を去って行った。
「黒と白と三毛がうまく連携すれば勝てる相手だよ。そんなにびびってたら、勝てる奴にも勝てないぞ」
男が面白そうに笑った。
「だって、とってもおっかない奴だよ」
黒が震えながら言った。
「かぐやのなよ竹の姫、鬼の格ではかなり上だな」
「先生、帰りましょう。きっと、襲ってきます」
「だろうね、あかねちゃんが覚醒したことで場所の見当がついたんだろう。でも、これからケーキを買いに行きます」
「先生」
白が非難の声を上げた。
「叔父さんはケーキがとても好きというわけじゃない。でも、黒や白や三毛がさ、美味しそうに食べている姿を見るのは大好きなのさ。ケーキ屋さんまで、瞬間移動、二人とも叔父さんの手をしっかり握っていろよ」

門前、幸が腕を組み、仁王立ちのようにがしっと立っていた。
男と黒と白がその隣りに現れる、二人、山のようにケーキの箱を抱えていた。
「冷蔵庫と、入らない分は涼しそうなところに置いてくれ」
「はいっ」
二人は返事をすると家の中に駆け込んだ。
「お父さん、今の全部ケーキなの」
「あれもこれもと選んでいたら、ああなった」
「もぉ」
ふっと幸が笑みを浮かべた。
「お父さんは以外と三人に甘いなぁ」
「なんだかね、幸の小さな子供の頃を、どんなだったんだろうなと、あの子達を通して考える、それを楽しんでいるのかもな」
「だめだ、お父さんと喋っていると楽しくなってしまう」
幸は表情を堅くすると、道の先を睨んだ。
「迎撃つのか」
「もちろん」
「あかねちゃんをあんなにしたのを許せないということだな」
男はそう言うと、幸の肩を軽く叩く。
「父さんに任せなさい、今の幸はかなり怒っている、幸がまともにやったら、この辺りが焦土になってしまうぞ」
「でも」
「冷静になりなさい。あかねちゃんは鬼の住みかに潜入した、自分の意志でね。幸もあかねちゃんの心を読んだろう」
「うん」
「そして、その結果だ、今のあかねちゃんはね。一方的に相手を非難できるほどでもない。幸、愛情はとても大切だ、でも感情の揺れの言い訳にはするな」
幸がうなずく、そして、男を抱き締めた。

鈴の音が辺りの空気を震わせる。
花魁道中の先頭が現れた。道中の先頭が二人の手前で止まり、女が列を離れ、二人に近づいてきた。先程の鬼の姫だった。
「こちらに、あかねという女の子が居るはず」
ふいに幸は顔を上げ、鬼姫を睨みつけた。その気迫に鬼姫が一瞬、身を引いた。
幸は何も言わず、家の中へ走り込んだ。
「あれは私の妻ですが、あかねちゃんを妹のように大切にしておりまして、あのような無礼を致しました、どうぞ、察してくださいませ」
「驚きました、あのような人間が居りましょうとは」
鬼姫は憮然としたが、表情をしまうと男に言った。
「さて、あかねという娘をいただくことは、この国の支配者層の人間共も認めて居ります。早くお出しなさいませ」
すぅぅっと鬼姫は目を細めた。
「それはだめです、妻が嘆き悲しみます」
「そなたが死ねば、それ以上に、先程の女は嘆きましょうに」
鬼姫が引き込むように唇を歪め笑みを浮かべた。
「貴方も物語のように月へお帰りになればよろしかったのに」
「ほぉ、私のことを知った、その上で渡さないと」
「はい、渡せません」
鬼姫が笑った。
「先程の女といい、数百年ぶりに面白い人間と出会いました。今日は楽しい日になりそうですわ」
鬼姫の纏う気配がざわっとうねりだした。
鋭く車のエンジン音が響いた。一台の高級車が飛び込んできた。
「おや、あれは」
寸前で車が停止すると鬼紙老が飛び出した。
「孫の仇、覚悟せい」
上下白裃、腰の刀に微かに手を添え、地面を低く滑るように突進する。
「馬庭念流の居合とは珍しい」
男が呟いた。
無音で抜き打ち、下段から鬼姫を斬り上げた。鬼姫の首に刀が食い込む、しかし、鬼姫は平気な顔をして、刀身の根元を掴むと、鬼紙老諸共放り投げた。
男は飛び上がると、鬼紙老を受け止め、着地した。
ふと、鬼姫は寂しそうな顔を向けて。
「気が逸れました。今日は帰りましょう、しかし、あきらめたわけではありません。また、お目にかかることになりましょうぞ」
鬼姫は背を向けると去って行った。

男は鬼紙老を座らせると、気楽に笑った。
「御老、あかねちゃんはお預かりしていますよ、元気ですとは言い難いですけど」
「な、なにっ」
「本家の白澤さんの孫娘三人が救い出して、こちらで預かっています」
「あの九尾猫か」
鬼紙老は慌てて立ち上がり掛けたが、うっと唸ると座り込んでしまった。
「無理するからです」
「くぅっ、若ければあんな鬼など一刀両断にしたものを」
男は肩を貸すと、鬼紙老を家へと連れて入った。

「ごめんなさい、おじいさま」
あかねは立ち上がり掛けたが、足の力が弱まり、立ち上がることができなかった。
「なんだ、いたのか。儂は偶然、ここに来ただけだ、すぐに帰る」
「はい・・・」
あかねが呟いた。
「で、どうなんだ、体は」
鬼紙老が背を向けて言った。
「しばらくすれば」
「無理するな、ここで養生させてもらえ。だが、幸とかいったな、あんな女とは口をきくな。お前はあんなガラの悪い女になってはいかん」
あかねがくすぐったそうに笑った。
「偉そうに言うなよ、じいさん」
ふと、幸がお茶を持って来て言った。
「孫の仇って聞こえてたぜ、で、放り投げられてよ、大笑いするところだったよ」
「この女、減らず口を」
「まっ、命をかけてやって来たってのは認めてやるよ」
幸は湯飲みをテーブルに置くと、ばんと鬼紙老の腰を叩いた。
「それで普通に歩けるだろう、世話のかかるじいさんだ」

「おーい、先生、来たよ」
啓子が恵とやって来た。勝手知ったる他人の家、普段どおりに上がると居間へとやって来た。
「私も来ました、啓子の付き人ですから」
恵は笑うと、ふと、鬼紙老を見た。うわっ、恵が啓子の背中を叩く。
「どうしたの」
恵が必死に指を差す。
「最近の若い者は礼儀がなっておらん」
「うわっ、鬼紙のじいさん」
「なんだと」
「ご、ごめんなさい」
慌てて、二人は幸の後ろに隠れた。
「大丈夫だよ、啓子さんも恵さんも。ちゃんと、噛まないように仕付けてあるからさ」
にぃと幸が鬼紙老に笑った。
「なんという無礼な女だ」
鬼沢老が怒って立ち上がりかける、
「こんにちわ」
どたどたと礼子に理英子、倉澤がやって来た。
「あかねちゃん回復ケーキパーティ、差し入れにジュースとお茶、買って来ました。ついでにチューハイとビールも」
礼子が元気に笑う、ふと、鬼紙老を見た。
「うわっ、幽霊」
「ばっかもーん」
男がこらえながらも笑った。
「御老、確かに白装束で、これでは幽霊ですよ」
「れ、礼子。こっち来い」
啓子が幸の後ろで必死に手招きした。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「いいから、早く」
幸は笑うと、仕方なそうに言った。
「あかねちゃんのおじいさんだよ。ついでに言うと、啓子さんが以前勤めていた会社の社長の父親で、とっても気難しいおじいさん。でも、さびしがり屋の大金持ちだから、愛想しておいたら、別荘に招待してくれるかも」
「それじゃ、今日は仲良くなって、夏休みは別荘で避暑三昧」
三人が楽しそうに笑った。
ふうっと啓子がしゃがんでしまった。
「我が妹ながら知らないってのは強いなぁ」
ふと、黒が玄関口を見た、気づいて白も三毛も玄関口を見つめる。
「千尋、千尋、招いてちょうだい。結界が強すぎて入れないわ」
門前からだろう、声が響いた。
幸が玄関口に向き直った。
「留守です、誰もいません、お引き取りくださぁい」
黒が申し訳無さそうに幸の裾を引っ張る。
「もう、しょうがないな」
幸は玄関を開け、外に出た。
門の前に白澤がにこやかに笑みを浮かべ立っていた。
「ええっと、どちらさま、今日は留守で誰もいませんけど」
「まっ、小憎たらしい娘だこと。それより入れてちょうだい」
よほどに機嫌がいいのか、白澤は怒りもせずに言った。
「本日、一回限り、例え、忘れ物をしても、二度とこの家に入れません、一度だけお入りください」
むすっとした幸の言葉にも気にせず、白澤は家に入ると、玄関口に正座している孫娘に笑いかけた。
「元気そうね」
「はい、おかげさまで・・・」
代表し、黒が答えたが、かなりの緊張をしているようすだった。
とんとんと白澤は家に入ると、男のところへと向かった。
緊張がほどけたのか、黒を白も三毛も足を投げ出して、ほぉっと溜息をついた、幸がその様子を見て、仕方無さそうに笑う。
「あら、鬼紙さん、こちらにいたのね。国のお偉方はかんかんよ。なよ竹姫から、今回の和平は延期と連絡があったって。鬼の中でも一大勢力のなよ竹姫を取り込みそこねたって、貴方の息子も怒っていたわ」
「大事な孫娘を鬼にくれてやるわけにはいかん」
白澤は気楽に笑う。
「稼ぎどきが続くから、私もその方がいいんだけどね。で、千尋、お願いがあるのだけれど」
ふいに白澤が男に振り向いた。
「新たに精鋭を十人集めました。また、指導してちょうだい」
「ええっ」
「評判がいいのよ、それで、新たに増やそうということになって、私がお願いに上がったということ」
「白澤さん、そちらでなんとかしてくださいよ。私は人に教えるなんて柄ではないですから」
「何とかしようって思ったんだけどねぇ、以前の精鋭はあちらこちらに派遣してね、教える時間がないのよ」
「それは単純に派遣されるのを控えて、指導に時間を割けばいいのではと思いますよ」
「まっ、冷たい。お願い、今回だけ、ね」
白澤が大袈裟に男を拝む。
「二回目の精鋭と言うことは、言い換えれば精鋭未満ということ」
幸は優しく笑みを浮かべると、白澤の前に正座した。
「それなら、おばあさま御自身が後進の指導を為されればいかか。無理を無さってぎっくり腰にならないよう、お気をつけあそばせ」
白澤のこめかみがひく付いたが、勤めて笑顔を浮かべる。
「どうやら、鬼紙老のお孫さんの回復祝いの様子。また、このお話は改めましょう」
幸は話は終わったと、立ち上がった。
「えー、皆さん。頭抱えたくなるほどのケーキがあります。最低、一人五個がノルマです。遠慮なく食べてくださいませ。ただ、今後、ここで喫茶店を始めます都合、それぞれのケーキについての感想をお願いいたします。順位三位までのケーキは、あさぎと幸が、そのケーキを参考に作り、お店に出す予定でございますので、しっかり、お食べくださいませ」
「ケーキ出してくるよ」
黒が冷蔵庫へ駆けだした。
「チョコレートケーキは私が一番最初に食べます」
白があたふた、黒の後を追う。
三毛は幸の背中に飛びつくと、幸の肩で囁いた。
「食い意地の張った姉さん達だなぁ」
皆の笑い声が広がった、男は本当に幸せだと思った。

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