異形八話

「お父さん、好きな人ができたの。結婚を前提にお付き合いしていて・・・」
深刻な顔をした幸の唇から言葉がこぼれて行く。夢ではない、現実に俺の前に幸が立っている。
昼過ぎ、台所で珈琲を飲んだ後のことだ。椅子から立ち上がろうとしたところに、幸の告白。
いつの間に・・・、いや、いまはそんなことを考えている場合じゃない、俺はどう答えればいい。何か言わなきゃならない。なんて言うんだ。
まさか、こんな言葉が幸の口から出るなんて思いもしなかった。俺は、俺は・・・。
俺は幸の父親だ。そう、幸の父親なんだ。
「その相手の人は普通の人」
「え・・・、あ、うん」
「そっか、良かったね」
「お父さん、幸、いなくなってしまうよ、寂しくない」
男は努めて笑顔を浮かべ、優しく言った。
「とっても寂しくて哀しい。でもね、これは娘を持つ父親が通らなきゃならない道だ。それに幸は普通の道を歩いて行く方がいいんだよ、その方が幸せだよ」
男はふらつきそうになるのを堪え、立ち上がった。
「ごめん、ちょっとね、部屋に戻るよ」
「お父さん」
「心配しなくていい、ちょっとびっくりしただけだから。音楽でも聴けばね、すぐに落ち着くからさ」
男は少しふらつきながら、部屋へと戻った。

静かな音楽をかけ、仰向けに寝転がる。
結婚なんてだめだ、幸はずっと父さんと一緒にいるんだ、本当はそう言いたい。あぁ、なんて醜いことを俺は思うのだろう、情けない。
自分の手を見てみろ、冴えない中年男の手だ。こんな俺が幸に懸想してどうする。ましてや、自分の娘にだぞ。落ち着け、俺の一番大切なのは何だ、幸が一番大切だ。幸がこんな世界から抜け出すためにも、普通の人と普通に暮らして行くのが一番良いんだ。
そうだ、これが一番良いんだ。
男はうつ伏せになると、低く低く声を押し殺して泣く。蹲るようにして、泣き続けた。

少し辺りが薄暗くなったころ、幸が部屋の外から声をかけた。
「お父さん、晩ごはん作ろ、ね」
男は幸の声に気づくと、努めて落ち着いたように答えた。
「なんだか寝てたよ。すぐ行くからさ、台所で待っていてくれるか」
「うん・・・」
足音が離れて行く、男は部屋の灯りをつけ、窓に映った自分の顔を見つめた。目が腫れてる、泣き過ぎだ、みっともないな。男は襖を開け、洗面所に向かった。

晩ごはんを食べ終え、幸はそのまま編みかけのマフラーを取り出すと、俯いたまま編み始めた。今はもう春、1月には仕上がるはずだったのだが、模様を浮き出させるのが難しいらしい。作っては解き、手間を掛けている。
「良い色だね、柔らかいクリーム色だ」
「うん、でも、難しいよ」
「そうだな、根気がいるね」
俺はなんてつまらないことを言っているんだ。男は自身に絶望を感じつつ、ふと窓から外を見つめた。
白い月が虚空に輝いていた。
そうだ、教えておかないと大変なことになる。
「幸、庭にいいかな」
幸は手を止めると、マフラーを下ろした。
二人は裏庭に出た、梅の森だ。臘梅をはじめ、幾種類もの梅が無数に森を成し、競うようにその花を咲かせていた。裏庭は男とその父親が作り出した異界に繋がり、無限に広がる森を形成していたのだ。

見上げれば真っ白な月が天蓋に浮かぶ。
「幸、父さんの前に立ちなさい」
「はい」
男の前に幸が立つ。
「両方の手を上げて、その手のひらを月に向けなさい」
幸は男の言うままに両手を月に向けた。
「月の光を体に取り込む」
男は幸の後ろに立つと、幸の両肘を両手で支えた。男が静かに息を吸い込む、男の手が白く光り出した。それは月の光と同じ、ひそやかな色だった。
「光の通路を作るよ」
幸の腕が手のひらから肘まで、白く光り出した。
「どんな感じがする」
「腕の中をさらさらと水が流れていく」
男は頷くと、両手を放し、一歩、退いた。
「今度はその感覚を肩まで伸ばしなさい」
男の言葉に幸の腕全体が白く輝きだした。男は自分自身が半年近くかけて身につけたこの修法が一度で幸がこなしてしまったことに驚嘆を憶えた。
「自分の両手を見てごらん」
「なんだか、白く輝いて、腕が蛍光灯になった感じ」
「蛍光灯ですか・・・」
男は少し笑うと、幸の前に回り込んだ。
「両手を重ねて、お臍の上に置く、お腹の中に光が入っていくように」
指先を通して幸のお腹の中に光が入っていく、そして、光が消えた。
「それでいいよ。あのな、父さん、ね。外神、あかねちゃんの時のホテルでさ、幸にえっちなことした、謝ってなかった、ごめんな」
「あれは幸が・・・」
「父さん、とってもさ、えっちな気持ちになってたんだ。幸、体が千切れるように痛かっただろう」
「うん・・・」
「あれはね、父さんのえっちな気持ちが伝わって、意識外のところで幸が恐怖を感じたせいだ。長い間の苦痛がそうさせるんだろう」
幸は驚いて目を見開いた。
「幸、月の光は、少なくとも体だけはさ、その痛みや傷を防いでくれる、お腹の中に蓄えておきなさい。そうすれば、幸もお母さんになれるからね」
男は幸から離れると、梅の木に背を預けた。
「部屋に戻りなさい、まだ夜は寒い」
「お父さん、あの、あのね」
「ごめん、幸。今日の父さんはとってもだめな奴だ。でも、明日には普通に戻るから、それまでね、一人でいたいんだ、ごめんね」
「お父さん、幸はそんなつもりじゃなくて」
「大丈夫だよ、明日にはけろっとしているさ。それに幸が普通の女の子になったら、お父さんは忙しくなる、幸や幸の家族をこちら側からの干渉から守らなきゃな。父さん、とっても強いからな、安心しなさい」
幸はぼろぼろ泣きながら呟いた。
「字は「無」。その姿を捉えたもの、いまだなし。ただ、一陣の風止みし時、切り裂かれた魔物、地に落つる。それ、お父さんでしょう。幸、知ってるよ」

男は手を梅の幹に重ね、息を吐く。閃光が走り、月の光が爆発した、白い輝きが梅の森を駆け巡り、森が一瞬、真昼になる。
「あぁ、懐かしい名前だな。幸のためなら、父さんはとっても強くなるよ」
光が消え、森は夜に戻ったが、男が背を預けた梅の木だけが、やわらかな燐光を残り火のように放っていた。
「でも、今晩だけは怠けさせてくれ」
男はずるずると梅の木に背を預けたまま座り込んでしまった。
「明日になれば祝福するからさ」
幸はぼろぼろと涙を流しながら、男の元へ歩き寄る。
「お父さん、お願い、幸を捨てないで」
「何言ってんだか。幸が父さんのとってもね、大切な娘であることは変わらないさ」
「お父さん、あれ嘘だよぉ、幸の好きな人はお父さんだけだよ。結婚なんか、しちゃだめって言ってくれるかなぁって思っただけだよ。お父さん、幸から離れないでよ」
男はその言葉に目を見開いたまま、幸をじっと見つめた。
「そっか・・・、良かった」
「お父さん、ごめんなさい」
男はふっと笑顔を浮かべた。
「今からでも良いかな」
「え・・・」
「幸は結婚しちゃだめ。だって、父さん、幸と二人っきりで、ずっと一緒にいたいからさ」
男はふふっと笑うと、左手を幸に向けて伸ばした。
「おいで、幸」
幸は駆け寄ると、男に思いっきり抱きついた。
「痛ったた・・・。頭の後ろ、梅の幹にぶつけてしまったよ」
「えへへ、ごめんなさい」
「泣いた女の子が、もう笑った・・・。なんだか、幸は笑ってくれている方がいいな。泣いている幸も可愛いけどね」
「もう、幸、お父さんには嘘つかないよ」
「いいよ、嘘ついてもね。全て、信じてあげるさ」
男はふっと力を抜くと、梅の梢を見上げた。
「桜も良いんだけどね、はらはらと花びらが落ちていくのがね、少し寂しい。梅の方が好きだな。頑張ってさ、花を落とさずにいようとしてくれるからね」
男はそっと幸の頭をなでる。
「幸は華奢な女の子だけど、父さんの心の中の、ほとんどを占めているよ。あぁ、見上げればおぼろに光を放つ、満天の梅の花、父さんの心の中と同じだな」
「お父さん、もう少し、こうしていようよ」
「風邪ひくぞ」
「大丈夫だよ、お父さんはとっても暖かいから。とっても暖かいよ」
「父さんは幸専用の湯たんぽだな」
男は指に幸の髪を絡めると、ほっとしたように笑顔を浮かべた。

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