異形三話

「お父さん、もう寝た」
そっと呟く。
枕を抱え、幸はそうろと、男の部屋の襖を開けた。もう一緒の部屋に寝るのは卒業しなさいと男は幸に隣りの部屋をあてがったのだった。
男は心配していた。幸は既に呪術についても、武術についても男の能力を超えていた。
男はそれを素直に喜んだのだが、一つの問題が残ったのだ。幸は変わらず、極度に父親への依存を残していた。慕ってくれる娘はとても可愛い、だが、考えるの は、あの魔物は幸を拘束し、自らの道具として扱った。自分自身はどうなのだ、幸を独立し自我を確立させた一人の人間として育てるべきではないか。今のまま では、俺はあの魔物と対して変わらぬ扱いを幸に為しているのではないか。

幸は男の布団に忍び寄ると、男の顔をそっとのぞき込んだ。さらさらと流れる髪を男の顔にかからぬようたくしあげる。
「お父さんが私のこと、しっかり一人でも生きて行くことができるようにと思ってくれているのはとっても嬉しい。でも、私、お父さんのこと、大好きだもの、 いつも、一緒にいたいんだもの」
女は寝間着を脱ぐと、下着も外し、男の布団にもぐりこんだ。男の左に横になり、両腕で男の左腕でを抱き抱えた。
「私はお父さんの左手の小指だよ、だから、ここが一番、私だけの場所なんだ」

朝方、男はいつもより早くに目覚めた。窓のカーテンを閉めたつもりだったが開いている、部屋の明るさに目覚めたようだ。男は上半身を布団から起こすと、時 計を見る。もう一寝入りするか、いや、それとも朝刊でも。
あぁ、左腕だ。いつ頃からだろうか、どうも朝、起きると左腕が重い。まさか、これが四十とか五十とかの名が付く肩こり。年齢を単に数として数えなきゃなら ないのは仕方がない、しかし、体の状態としてそれが現れるのは厳しい。

「お父さん、お父さん、朝だよ」
幸はばんっと襖を開けると、男の太ももの上にどんっと乗っかった。
「おはよう、お父さん」
幸は男の両肩に手をやり、男に口づけをする。そして、幸の両腕に力が入った。
男は瞬間、数センチ、下に擦り抜け、位置を替えると、幸の両太ももから体を抜き出し、跳ね起きた。
「朝から、運動させないように」
「ちょっとした、お目覚めのキスだよ」
「舌を入れるな」
「これは流れっていうか、勢いみたいものだね」
えへへっと幸は笑うと、ぱんぱんと布団を叩く。
「もう一度、ここ座って。お願い」
男は呆れたように、ひとつ、溜息をつくと、幸の前に座った。
「はい、チラシです。今日のカニ食いまくり一泊バスツアー、ついでに、ちょっとした観光もありますが、目的はカニです。カニ様ですっ」
「ええっと、今日は土曜日お仕事です、平日です」
「仕事は昨日のうちにすべて済ましておきました、月曜日、書類をそのまま鞄に入れてクライアントに持って行くことができます」
「どうして・・・」
「忘れたの、今日はお父さんの誕生日だよ。お祝いのカニ旅行さ」
そう言えばと、男は幸に誕生日を問われたことを思い出した。男は自分の誕生日を知らない、だから、あの日を誕生日代わりに答えていた。それで、印象が薄 かったのだろう。
「覚えていてくれたのか」
「忘れるわけないもの」
男はそっと右手で幸の頬を触れた。
「ありがとう、幸」
「・・・お父さん」
幸が微かに俯き、そして、瞳を閉ざしたまま、少し、顔を上げる。
「ありがとね」
男は立ち上がると押し入れを開けた。
「布団をしまわなきゃ」
「もぉっ、お父さん。言葉だけじゃだめ」
「お父さんは恥ずかしがり屋さんです、ていう以前に父娘でござんす。でも」
「え・・・」
「幸の表情や言葉、とても豊かになったね。それがとても嬉しい」
「あ、ありがと・・・、私が片付けるよ。お父さん、顔洗って来て」


観光を終え、やっとホテルの部屋にたどり着いた。
「ええっ、一緒じゃないんですか」
「はぁ、男湯は十一階、女湯は地下一階となっております」
幸は仲居の言葉に、そのまま宿のテーブルにうつ伏せた。
「お嬢様、大丈夫ですよ」
「え」
「お時間で男湯と女湯を交替致します、ですから両方の御風呂をお楽しみいただけますよ」
「そうじゃなくて、あっ、それじゃ、この家族風呂はどうですか」
「こちらはご予約制でございまして、フロントにてお承りいたしますが、ただ、ご家族の場合でもお子様は小学生までとさせていただいておりまして」
「え、あっ、私、妻です。ねぇ、あなた、そうでしょう。せっかくだし、一緒にお風呂入りましょうよ。背中、流してあげるわよ」
「娘が何か申してますけど、また、分からないことがありましたら、フロントに問い合わせしますので」
「そ、それでは」
そそくさと、ホテルの仲居が部屋を出て行った。
「ええっ、どうして。テレビの旅番組、混浴だったよ」
「そういうのは珍しい、普通は別々」
「そうだったんだ」
幸が溜息をつく。男はおかしくて笑った。
「幸、必死だった」
「だって」
男は湯飲みにお茶を入れると、幸に差し出した。
「だってさ」
男は少し笑うと、自分の湯飲みにお茶を注ぐ。
「幸はこんなおっさんを大切に思ってくれる、それは嬉しい」
「こんなじゃないもの、お父さん、世界で一番かっこいいよ」
「それは極々少数意見だな、多分、幸くらいだろう、そう思ってくれるのは。ありがとう」
「さて」
男は立ち上がるとホテルのタオルを取り出した。
「夕食まで御風呂入ってくるよ。幸もせっかくだ、御風呂に入って来なさい」
「うぅっ、うーん」
「さぁ、立って準備して」
「お父さん」
「ん」
「浮気しちゃだめだよ、絶対」
「男湯で浮気は困難だ。それに、父さん、幸のこと、大好きだから、浮気はしないよ」

ガラス戸を開ける、幸はこんな広い大浴場に入るのは初めてだった。
掛け湯をして入る、そして、タオルは頭の上、タオルで髪をまとめてみる。
うん、これで御風呂の作法は良いはずだ。
見渡してみる、大浴場、ドアの向こうは岩風呂らしいけれど、そこまで行くのは、なんだか恥ずかしい。
ここにいるのは十人くらいかなと何気なしに数えてみる。
小さな女の子が、母親にだろう、頭を洗ってもらっている、でも、あまり女の子は得意ではないようだ、ちょっと痛そうな顔をしている。
女の子は幸が自分を見ているのに気づき、にっと笑う。幸も少し手を振り、笑い返した。
ゆっくりと母親が女の子の頭からお湯を掛ける。
幸はなんて幸せな情景なのだろうと思った。
「子供か・・・。いいな、こういうの」
とにかく、と幸は考えた。
父娘というのは便宜上のものというか、見た目がそうだからってだけだ。幼な妻なんて言葉もある。お父さんは、とっても奥手なわけで、生真面目なわけで、私 がしっかり誘導してあげれば、きっとお父さんだって。
「幸、本当にいいのかい」
「うん、だって私・・・、お父さんのこと、愛しているもの」
「うわぁ、愛している。きゃー」
幸は妄想が声に出ているのに気づき、あたふた、お湯の中へ潜り込んでしまった。
恥ずかしい、誰かに聞かれたろうか、少し顔を出し辺りを眺めたがこちらを見ている人はいなかった。
そうだ、とにかく、夕食はビールを注いで、ほろ酔い気分にさせよう。
もう、しょうがないなぁ、飲み過ぎだよぉ、私が肩貸してあげるよ
えっと、そうなると私がお父さんの左側にこう立つわけだから、そうだ、ちょっとよろけて、すぐにたち直すんだけど、その時、お父さんの左手が私の胸に触れ て、私が小さく、「あっ」って叫んで、そうしたら、お父さんがごめんて言うから、ううん、お父さんなら、いいの、だって、私・・・、って言いながら、少し 顔を赤らめて見上げる。
よし、今日はしっかり体を洗って、私、頑張る。
湯船から幸が立ち上がった瞬間、幸は手を伸ばし、何か黒いものを掴んでいた。
すうっと鋭い目付きでそれを見る。それは小さな鼠だった。
なんでこんなところにいるんだ。
顔を寄せ、じっくりと鼠を見つめる。
この鼠、人の眼をしている、なんなんだ、これは。そうか、術者だ、術者が心をこいつに入れて偵察しているんだ。
幸はふっと鼠に息を吹きかけた。
「あんた、この鼠が死ぬまで、その中で鼠として暮らしな」
幸は鋭いまなざしのまま笑うと、鼠を軽く放り投げた、着地する前に鼠は消えてしまった。
でも、と幸は考えた。
どうしてこんなのがいるんだ、術者なんて数も少ないし、それが偵察をして何かをしようとしている。
まさか、お父さんを。そうだ、お父さん言っていた、呪文を唱えないこうした呪法は外法とさげすまされ忌み嫌われている、だから、普段は術者としての気配は 消しておきなさいって。
まさか、お父さんが危ない。ううん、大丈夫だ、お父さん、強いもの。どんな奴が束になって襲ってきても、お父さんならふふんって鼻歌唄いながら、けちらし てしまうもの。
でも・・・、お父さん、左腕がおかしいって言ってた、あれ、私のせいだ。毎晩、私が抱いていたせいだ。もしも、お父さんが怪我をしたら、私のせいだ。ごめ んなさい、ごめんなさい、お父さん。
お父さん、今、助けに行く。
幸の右手に刀が現れた、長物、ゆうに2メートルはある。
それを軽々と片手に持つ。
幸は体の後ろに刀を隠すよう構えると、入り口の扉を睨みつけた。弾かれたように扉が開く。
大丈夫だよ、お父さん。いま、行く。

「お風呂直すかなぁ」
男はつぶやき、悠々と足を伸ばす。なんといっても、足を伸ばしきれるのがいい。
思い切って、お風呂を大きく直そうか、しかし、財布の紐をしっかり幸に握られているいま、贅沢だと叱られるかもしれないな、まっ、こういうのも、たまにだ からいいのかもしれない。

・・・お父さん・・・
幸の声がしたような気がした、その瞬間、ばんっと扉が開き、怒涛の風が流れ込んだ、湯が洪水のように弾け飛ぶ。
「お父さん、大丈夫」
「あぁ、1秒前まではね」
男は回りを見渡す。桶が散乱しているのはもちろんのこと、辺りは水浸し、5人、倒れている、一人足りないな、逃げたか。
「みんな、意識を失っているだけだ、お父さんは大丈夫だよ」
幸はこの惨状に初めて気づき狼狽えた。
「お父さん、これ、どうしよう」
「まずは刀を消してくれる」
「は、はい」
かき消すように刀が消えた。
「何があったか、訊くのは後回しだな。脱衣所、入り口一番近くのかご、十一番が父さんの使っていたかごだから、浴衣と帯をして、女湯に戻りなさいな。その 間、誰にも会わないよう、誘導してあげるよ」
「ごめんなさい、お父さん。後で浴衣と帯を返すからね」
「それ、早く行け」
「はいっ」
幸が男湯を飛び出した。
男は目を瞑り、小さく小さく呟く。
「立派なモノをお持ちですな、羨ましい」
男が薄目を開ける、太った老人が男の前にいた。一人、足りないと男が判断した老人だった、まるで、大きな酒樽のような姿だ。
男は、かまわず、そのままの表情で呟き続ける、やがて、幸が女湯に辿り着いたのだろう。男は老人の目を睨め付けた。
「申しわけありませんが、下(しも)のお話は得意ではありませんので」
「いやいや、先ほどの人形(ひとがた)、護法童子のことです。あれほどのモノを作られるとは名のある術師とお見受けいたしましたが」
「あれは私の娘です。娘をモノに喩えられるのは不快です。次は命がありませんよ、後ろの方にも、そのようによろしくお伝えくださいな」
「何もかもお見通しのようで、あな恐ろしい」
老人は奇妙な笑い方をするとそのまま立ち去った。
まずは、気絶した人達を起こすか・・・。

「あぁ、もう最悪だよぉ」
テーブル式の宴会場、幸にとっては今回の最大の目的、カニ食べ放題の会場だった。
テーブル、幸は男の前の椅子に座り、皿一杯のカニを前にしても、ぶつぶつと繰り言を呟いていた。
「ごめんね、お父さん。変なツアーになってしまって」
「ん・・・、父さんは嬉しいけどね、だって、幸が計画してくれた旅行だからさ。どうしたら、父さんが喜ぶか、考えてくれたんだろう」
「うん、そうだけど」
「なら、こんな嬉しいことはないよ。良い娘を持ちました、たまに暴走するけどね」
「だって、あれは・・・」
「鼠を使う奴らは、そうだな、たまにはいる。確かに何かあるかもしれない。とにかく、判断材料が少ない今、考えても仕方がない。なら、喰いましょう、カニ 様を」
「私、食欲ないよ」
「ん、幸はカニは初めてだったかな」
男は器用に蟹の身を取ると幸のお皿に載せた。
「まずは、ささっ、喰うてみなさい」
「いいけど・・・」
渋々といったふうに幸は自分の口に蟹の身を運ぶ、そっと食べる。
「うわっ、美味しい。ええっ、どうして」
「それはカニさまだからです」
男は笑って、次々と蟹の身を取り出すと幸のお皿に載せていった。
「お父さんも、お父さんも食べて」
「こういうところで食べるカニは、スーパーとは違うな」
「お父さん、私、機嫌直った」
「それは良かった。カニ鍋に焼きカニ、豪勢なものだな」
「幸、その小さな七輪、網にカニの足を載せなさいな」
「うん、わっ、香ばしい匂いだ」

「御同席お願いできませんかな」
男の前、幸の後に風呂場での老人とその妻だろうか、品の良い女性が立っていた。
「他に席がないのでしたら、どうぞと申し上げますが、まだ、いくつも空いたテーブルがあります、そちらにお願いできませんか。親子団欒の最中ですので」
「もう、あなたったら。失礼ですわよ」
後の婦人に促され、二人は一つ置いたテーブルについた。
「お父さん」
幸は声をひそめ、男に話しかけた。
「背中が冷たかった」
「そうだろうな、あれ、空洞だからな」
「どういうこと」
「うーん、幸は間違いなく、お父さんよりも呪術も武術も上回ったけど、経験はもう少しだな。世の中、遍くいろんな存在がある。でも、あとでね、カニを食べ なきゃ」
ふと、幸はビールのことを思いだした。
「ね、ね、お父さん、たまにはビールとか、た、頼んだらどうかな。折角の旅行なんだし」
「どうしたの、いきなり。父さん、あまり、アルコールとか得意じゃないし」
「だだ、大丈夫だよ。少しくらい」
「なら、一本だけもらおうかな」
「それじゃ、私、もらってくる」
幸は立ち上がると、ウエイターに声を掛けに行った。

男は、一つ吐息をもらすと、辺りを見渡した。いくつか、そう、いくつかの人外ものがいる、密度が濃すぎる。これは縁というものなのか、しかし、幸には、こ んなのじゃなくて、本当に普通の、何処にでもあるような平凡な生活を送らせてやりたい。あの子はもっと幸せになるべきだ。
呪術を教えたことは間違いだったか、いや、特別な力がなければ、自身を守ることは出来ない、なんてことだろうな、矛盾した話だ。一度、足を踏み込んでしま うと、もう、抜け出せないのだろうか。
「お、お父さん、どうぞ」
幸は男の横に立ち、ビール瓶を差し出した。
「それじゃ、ちょっとだけ。半分、注いでくれればいいよ」
「は、はい」
「どうしたの、妙に緊張している」
「そ、そうかなぁ」
男は幸にビールを注いでもらうと、美味しそうに一口飲んだ。
「幸も、さぁ、食べなさい、残したらもったいない」
「そうだよね、もととらなきゃ」
「太り過ぎない程度にどうぞ」
「私は太らないよ、だって、お父さん、細身の女性が好きなんだもの」
「別にそういうわけでもないのだけど」
「ね、横に座ってもいいかな」
「どうぞ」
幸は男の横に座り、今度はカニ雑炊を食べ始めたが、ふと向こうのテーブルに気づいた。
「お父さん、あの女の子だ」
それは、幸が風呂場で手を振った女の子だった。
「バスは3台出ていたから他のバスに乗っていたんだろうな」
「お父さん、なんだか、おかしい。女の子、じっと座っているだけだ」
男は女の子の両親だろう、お互い視線を虚ろにしたままカニを食べている夫婦の姿に疑念を抱いた、どこかに操る奴がいる。
「おせっかいしますか」
「うん、気になる、何か悪いことが起こりそうな気がする」
男は自分の髪の毛を一本抜くと、女の子に向けてふっと吹き飛ばした。瞬間、幸の姿が薄くなったかと思うと、女の子を自分の膝に乗せていた。そして、女の子 は変わらず向こうのテーブルにもいた。
「髪の毛、一本だけど如才なく対応するでしょう」
男は呟くと、女の子を見つめた。
「ちょっとだけ時間いいかな、カニ、お姉ちゃんが一緒に食べようって」
女の子は驚いたふうに目を見張っていた、一瞬にして、知らない女性の膝に自分が座っているのだ。しかし、幸の自分を見つめるまなざしに、不思議なほどの安 堵感を覚えた。
「だめなの、あたし、水しか飲んじゃいけないの」
「それは、おっちゃんもお姉ちゃんもとっても哀しい」
「お母さんにそう言われたのかな」
幸は、そっと女の子に頬を寄せ語りかけた。
「今日は神様になる日だから」
「神様って・・・」
男は笑顔でそっと囁いた。
「そっか、でもね、お腹減ってたら、動けないし、哀しいし、そんな君を見たら、お母さんも哀しいかもしれない」
「お母さんが」
「そうだよ。ね、君の名前は」
幸が言葉を継ぐ。
「あかね」
「あかねちゃん、良い名前だね。お姉ちゃんは幸っていうの」
「幸お姉ちゃん」
「うん、そうだよ。今晩、あかねちゃんはとっても困ったり、哀しかったり、怖かったりするかもしれない。その時は幸お姉ちゃんの名前呼んでくれる」
「うん」
「お姉ちゃんは、ほんとはとっても凄い魔法使いなんだ。だから、呼んでくれたらすぐに助けにいくからね」
初めてその女の子は笑顔を浮かべた。いったい、どれほどの苦悩をその身に隠していたのだろう。
「ね、カニを食べよう」
「ううん、我慢する」
「そっか。それじゃ、お守りをあげよう」
幸は髪を一本抜くと、女の子の手首に括った。すぐに髪は手首の中に消えてしまった。
「幸お姉ちゃん」
「ん・・・」
「また、お母さんやお父さん、笑ってくれるかな」
「大丈夫だよ」
女の子が笑顔を浮かべた。
幸の姿が一瞬消え、再び現した時、膝に女の子の姿は見えず、一本の髪の毛だけを持っていた。
「幸、人はどうして学習しないんだろうな、また、愚かなことを繰り返そうとしている」
「お父さん、神様って」
「言葉どおりのことだよ、外神という異なる次元に住む神、邪悪な力の集合体だ」
「世代が代わり、不安定な時代が来ると、決まってあんなのにすがろうという奴らが現れる」

食事の後、二人はお土産コーナーを覗く、ある意味、どこにでもあるまんじゅうだとか、ちょっとした特産品が並ぶ。
「お父さん、羊羹の詰め合わせがあるよ、おいしそう、買っていいかな」
「そうだね」
男は少し沈んだように答えた。幸は、心配げに男の顔を見つめていたが、男の腕にしがみつくようにして、見上げた。
「部屋に戻ろう、ね、お父さん」

部屋に戻ると男は椅子に腰掛け、窓から夜の海を眺める、十階からの眺望だ、眼下には温泉街、車のヘッドライトだろうか、賑やかに明滅している。
そんな男を気にして、幸はぼぉっとテレビのニュースをつけたまま、俯いている。
男はひとつ吐息を漏らすと、ゆっくりと立ち上がった。
「テレビ、消してくれる」
「う、うん」
幸がテレビを消すと、男は入り口の横にある室内灯のスイッチを消した。
外からの明かりが辛うじて二人の姿を映す。
男が部屋の中央に座る、幸は自然と男の前に座った。
「あまり顔が見えないね」
「うん、うっすらとお父さんの顔が見えるだけ」
「父さんも幸の顔、はっきりと見えないな。でも、この方が話しやすい」
闇の中、男は見えない笑顔を浮かべた。
「幸、父さんは新米だ。何十年もお父さんをやっているわけじゃない。でも、幸のこと、一番大事に思っている、それだけは自信ある」
「ありがとう、お父さん、私もお父さんのこと、一番大事だよ」
「ありがとう。ただ、父さんはわからないんだ、幸には幸せになってほしい、でも、父さんは幸せというものが分からない。平凡に生きて欲しい、普通の、どこ にでもいる女の子のように生きて欲しいと思うこともある。いや、それが一番いいんだと信じたい。でも、父さんは術師であり、その血と肉と骨を幸に与えて、 幸まで、父さんと同じ世界に引き入れてしまった」
「違うよ、お父さん。私は普通の女の子じゃなかった、お父さんに会うまでからさ。だから、心を入れ替えました、これから普通に生きて行きますなんてなるわ けないよ」
幸はそっと笑顔を浮かべ、男に囁いた。
「ね、お父さん、本当は私、とても悪い人間なんだ、心も体も汚れていて、人の命くらい平気で奪うことができるんだ。でも、お父さんといると、お父さんのこ と考えていると、良い娘になりたい、優しくて思いやりのある、そんな、お父さんに好かれる娘になりたい、そう思えるんだ」
「ね、お父さん、お願いだよ。幸を良い娘のままいさせてよ、お父さん」
男は黙って幸を抱き締めた。
「愛している、お父さん」
「お父さんも幸を愛しているよ」
「お父さん、私の浴衣の帯を解いて。もっと、お父さんの近くに行きたい」
男は黙って幸の帯を解く、そして、幸の両肩に手を触れ、ゆっくりと浴衣を脱がした。
「お父さん、恥ずかしいよ」
そっと俯く。
「恥ずかしくなんかないよ、幸はとっても綺麗だ」
「・・・お父さん」
男はそっと幸の胸の膨らみに触れた。
「とってもやわらかい」
「なんだか恥ずかしいけど、嬉しい」
一瞬、幸の体が硬直した。
「うわぁぁぁっ、お父さん、体中が痛いよ、体がちぎれてしまいそうだよ」
闇の中、男は素早く幸を仰向けに寝かせ付け、幸の体に両手をかざした。
「幸、目を瞑ってなさい」
幸がぎゅっと唇を噛み、目を瞑る。
男の両手が薄青く光り出し、幸の体を照らし出した。
体中が乾いた土塊のようにひび割れだし、そのひび割れから血が滲みだしていた。少し押せばもろく崩れてしまいそうだ。
男はぐっとにらみつけると無言のまま、両掌を天へとかざし、手を下ろすと右手を幸の臍に置き、左手をその上に重ね、強く息を吐いた。
幸の体に清水が染み渡るように拡がり、ひび割れは消え、柔らかな体に戻る。
「目を開けてごらん、まだ、何処か痛いか」
「痛くない。お父さん、ありがとう・・・」
「どういたしまして」
男は笑顔を浮かべると、幸の背中を支え、体を起こした。
「浴衣、着なさいな」

・・・お姉ちゃん、幸お姉ちゃん・・・

「あかねちゃんだ・・・」

「幸、浴衣やめて服を着なさい」
男が鋭く言った。
「はい」
室内灯が点く、一瞬で二人は浴衣を脱ぎ、着替える、そして、男は腰の後ろに小刀を差した。
「幸は覚えていないだろう、幸もあかねちゃんと同じだったんだ、祖父は幸を助け切れなかった」
「ええっ、そ、そんなの聞いていないよ」
「父さん、いま、初めて言った」
「行くぞ、幸」
「は、はい、行きます」
部屋のドアを開け、二人は駆け出した。
「幸、位置を特定できるか」
二人、加速し、まるで、階段を落ちていくように駆け抜ける。
「この距離だと地下のお風呂場です」
「水を媒体にしたか」
階下に降りるほど、ホテルはまるで廃墟の様子を呈しだしていた。
「時間をずらして壁を作ろうとしている、新手だな」
「お父さん、地下への階段がない」
空気を劈き、二人も停止する。目の前、階段があるはずの場所は鉛の色をした壁になっていた。
「幸、刀を出しなさい」
「はい」
幸の右手に2メートルはあろう長刀が現れた。
「まやかしの呪符がある、中央を切り裂け」
「はいっ」
袈裟懸けにいっせん、溶けるように壁が消え、地下への階段が現れた。

・・・幸おねぇちゃん・・・

「聞こえる、あかねちゃんの声だ」
男は地下へと一気に飛び込んだ。
地下の大浴場、だった、はずだ。湖、鉛かと見まごうような凪いだ湖が広がる。バス3台分の人間達、浅瀬だろう、膝辺りまでびちゃびちゃと音を立て無表情に 踊っている。
「あれか」
緑色の小さな光球が空中に浮かび、二人の人間が光に捧げるようあかねを高く差し出していた。
よく見れば、光球の表面が時折脈動している、外神の本体が出現しようとしている。
「じいさん、あの時と同じだ。今度は失敗しないよ、憑依させてたまるか」
「呪は唱えない、この身この心、既に呪と化したモノ、強く意念を用いれば、それ、すなわち、呪なり」
「いやだー」
あかねの声が空気を切り裂いた、瞬間、男の姿が消え、あかねを抱いたまま、足下の人間を蹴り飛ばした。水面を駆け、陸地へ戻る。
「ああっ、おねえちゃんが」
男が振り返る、幸が光球を見つめ茫然と立ちつくしていた。
「うわぁぁぁっ」
幸の叫び声が空気を震わせる。
「みんな死んでしまえ、どうして、あたしだけが、あたしだけが」
2メートルもの長刀が空気を切り裂き、刃の殻と化す、
「死んでしまえ、なにもかも、消えてなくなれ」
「おっと、これは参ったな。思いだしてしまったか・・・」
男は茫然としていたが、あかねを地面に降ろし、幸と緑の光球を交互に見る。
「言霊にすらなり得ない喚き声には力はない、しかし、外神、押し返すの手伝って貰らうつもりだったけれど、これでは無理だ」
幸に近づこうとするあかねを男は押しとどめた。
「おねえちゃんに近づいたらだめ。遠くから見守ってやって」
男はそっと語りかけると、光球を見つめた。憑依する体を無くして、制限が効かなくなったのだろう、じわじわと大きくなっていく。
「個人零細自営業者、人を雇いたくても給料払えませんってやつでね、一人でなんとかしなきゃならない」
男は腰から小刀を抜くと、光球に対して半身に構え、刃先を光球に構えた。
「帰れ、闇の空間へ、光なき遠き宇宙へ」
男が静かに息を吐き出す、男の足が地面に食い込みだした。男と光球の間、空気が重く密度を増す、まるで鋼のように空気は固まり、じりじりと光球が後退しだ した。
男が呟く。
「親父、俺がまだ小さな頃、さらって来たんだってな、必ずしも実子が才能を受け継ぐとは限らない、才能があるとかで、俺にとっては、そんな勝手な理由で、 さらってきたんだったな。俺はその運命を受け入れた、小さな子供がどうやって、逃げ出すことが出来る。その反感か、俺はこの力を俺の代で終わらせるつもり だった。親父、爺さん、良かったな。間に合ったよ。しかし、次にこいつが来たときは知らないぜ。今日は俺がさらわれた記念日だ」
「闇に帰れ」
光球の後がじわりじわりと消えだした。半球となる、あがなおうとするのか、表面の脈動は大きくなり、それがまるで触手のように動き出す。
「帰れ」
光球がふっと消えた。
男は刀を構えたまま、消えたその先を睨み続けた。
踊っていた人間がばたばたと倒れていく、操り糸が切れてしまったように。
「まだ、一つ仕事が残っている、こっちの方がやっかいで、俺にとっては大切な仕事だ」
そっと振り返る。
状況は変わらず、いや、より酷くなっている。刀が見えない、目で追える動きを越えたということか。
「うわぁぁ、何もかも死んでしまえ」
男はほっと溜息を漏らし、小刀を腰に戻した。
「あかねちゃん、お姉ちゃんはね、友達がいなくてね、寂しがり屋なんだ。お姉ちゃんが正気に戻ったらさ、いい子にするよう言い聞かせるから、友達になって やってくれないかな」
「お姉ちゃんが優しいこと、私もう知っている、友達だよ」
「ありがと」
男はあかねの頭を軽くなでると、手を離し、幸に近づいた。
幸の動きにはまだ癖が多い。見えない以上、運を天に任し、感でと経験で動くしかないか。
男は呟くと、何事もないよう、普通に歩き出した。男の足跡が消えていく。体の重さが消える。
風を読め。
男はふわっと幸の後に現れると反転し、右腕で背中を押さえ、体を落とした。幸の体が地面に落ちる。長刀が柄の辺りまで地面を貫いていた。
「みんな死ね、消えてなくなれ」
涙を流しながら、幸は呻いた。
「あの頃の幸のこと、知っているよ。沢山の人に裏切られたこと、傷つけられたこと。人身御供にされたこともね」
「なら、どうして、どうして」
「許すのは無理だろう、ただ、幸、お父さんは本当に幸のこと、愛している。大切に思っている」
男は手を離すと、幸を抱き起こし、しっかりと抱きしめた。
「まずはお父さんを斬ってくれないか。お父さん、幸の怖い顔、見たくないんだ、怒った顔、見たくないんだ。だから、最初に殺してくれないか」
「いやだよぉ、お父さん、お父さん。うわぁぁっ、私、良い娘になるよ」
幸は男にしがみつくと、静かに静かに泣きだした。

踊っていた人間達を元の世界に戻し、正気を取り戻させることくらい、幸には容易いことだった。彼らを脱衣所に仰向けに寝かせ付ける。
「あかねちゃん、恥ずかしいとこ、見せちゃったね」
「でも、お姉ちゃん、来てくれた、嬉しかった」
「役に立たなかったけどね」
幸は恥ずかしそうに笑うと、男の後に隠れた。
「すぐに、みんな意識を取り戻すよ。あかねちゃんのお父さんもお母さんもね」
男は笑顔を浮かべるとあかねに話しかけた。
「みんな、2、3日、記憶を失っている。どうして、こんなところにいるんだと驚くと思う。あかねちゃんも同じように、わからないって言うこと。いいかな」
あかねは肯くと、両親の横に座った。
「幸お姉ちゃん、また、会えるかな」
「きっとね」
幸はあかねに笑いかけ、男と二人、脱衣所を出た。

「幸」
「え・・・」
「魔法使いは大変だ、守らなきゃならない人、一人出来てしまったな」
「二人守らなきゃ、お父さんも守らなきゃだし」
「そうだな、お父さん、へとへとだ。でもね、もう一つ、仕事が残っていた。ホテルの外」
「お父さん、私が片づけておくよ」
「ん・・・、お父さんが行く、幸、手加減できないからね」
「返す言葉ない」
男は笑うと、ホテルの一階に戻る。深夜のごく普通のホテルに戻っていた。位相をずらした奴らが外にいる。
男と幸は外に出た。
一歩出ると、外は薄闇の荒野と変わり果てていた。振り返るとホテルはない。

「残念でしたね、でも、外神などと付き合わない方が良い、喰われてしまいますよ」
あの酒樽のような男が薄闇の中から溶け出すように現れた。その婦人が、一歩、退いて控えている。
「他にもたくさんの人達がいらっしゃるようですね」
男の声に呼応するかのように、顔を隠したたくさんの男達が二人を囲んだ。
酒樽が言う。
「折角の外神、この腹に入れて世界を変える力を得るつもりだったのですが、とんだことでしたな。残念です」
「いや、その程度の防壁では無理です」
男がぎっとにらみつける。酒樽が粉々に弾け飛んだ。
「あらあら、また、作りなおさなきゃ」
酒樽の後にいた女が平気な顔をして呟いた。
「こういう人形を創りだすとは、かなり大きな組織のようで」
「いささか」
女は笑顔を浮かべたまま、一歩、踏み出した。
「労せず、外神を横から奪い去ろうという計画だったのでしょうね、たくさんの人達が迷惑を被った」
「あとでお詫び申し上げておきますわ」
男はふんと笑みを浮かべる。
「提案です。この件から手を引き、ここはひとつ、素直にお帰り願えませんか」
「で、こちらの益は」
「あなた方の命ということで。無事にお帰りいただけますよ、いまなら」
「夫が潰されたいま、しょうがございませんね。お暇いたします、では、これにて」
女の姿がかき消えた、同じく覆面の男達が次々と消えていく。
「あいつ、腹で何考えているかわからない奴だ」
「だろうな、正体すら見せようとしない。ただ、実はお父さん、立っているのがいっぱいでね。ホテル、帰って、一寝入りするよ」
幸は男をしっかりと支えた。
「ごめんなさい、お父さん」
「どういたしまして」

老女の仮面を剥ぎ取った女が、部下を怒鳴りつけていた。
「おい、あの規格外の奴らはいったい何者なんだ」
「不明です、ただ・・・」
「ただ、なんだ」
「本部から・・・」
「はっきり言え」
「あの二人には一切触れるべからず。直ちに帰投せよとの厳命です」
「何言っている、本部の腑抜け連中が。外神(そとかみ)を手中に出来なかったのは残念だが、その外神を追い返してしまうほどの術者がいるんだぞ。捕獲しな いでどうする」
女は周囲にいる部下の無事を確認すると、唇をゆがめ、笑った。
「楽しいなぁ、おい、わくわくしてこないか」

「そんなに楽しいかなぁ」
俯いた幸が肩が触れるほど女の横に体を寄せる。そして、落とした腕には長刀が握られており、その刃が女の首元に触れていた。
「ね、そこのおじさん、動くとあんたの上司の首、落ちてしまうよ。他の人達にもさ、動かないよう指示してくれないかな」
「わ、わかった。待機、待機せよ」
ざわついた空気が沈黙に変わる。
「ありがとね、おじさま」
つうぅっと刃先から赤い血が滴り落ちた。
「お姉さん。首、動かしちゃいけないぜ。ほら、浅く切れちゃったじゃないか」
「いったい、お前達は何者なんだ」
悲鳴にも似た叫び声を女が上げた。
「それは秘密さ。ただね、さっき約束したろう、帰るってさ。あれ、嘘だったのかい。ね、嘘じゃないだろう、本当だろう。本当だと言ってくれよ」
「ああ、本当だ。一切関わらない、約束する」
女は震える声で答えた
「あたしとお父さんはさ、普通に、平凡にさ、暮らしたいんだよ。わかるかい、つまんないさ、退屈な平和ってのを続けていきたいのさ、そういうの、わからな いかなぁ。ね、そこのおじさんはどう思う」
「こういう、斬ったはったは好きかい。こんな寒い夜中に突っ立っているよりさ、夜はさ、暖かい布団の中、寝てはいたくないかい」
じろっと睨む幸の眼差しに、引きつった笑いを浮かべながらこくこくと肯いた。
「よくわかってるじゃないか。ね、おじさん、あんたの上司は、そこんとこさ、ちゃんとわかっていると思うかい」
「わ、わかっている、わかっている」
「本当かなぁ、わかってんのかなぁ。あたしはか弱い女の子だから人を斬ったりなんて出来ないけどさ、それを承知でいい加減なこと言っているだけじゃないか なぁ」
「ね、お姉さん、ちょっと俯いてさ、あたしの顔を見てみなよ、な、そんな乱暴するような女の子じゃないだろう」
おそるおそる俯き、女と幸と目が合う、鋭い目付きで、口元だけが笑う幸がいた。
「うわぁぁっ」
女が悲鳴を上げる、逃げだそうとするが、体が固まってしまったように動けずにいる。
「なんだよ、人の顔見て悲鳴上げるなよ。自分で言うのもなんだけどさ、あたし、かなり美人のはずだぜ」
「ねぇ、お姉さん、あたし、美人だろう、可愛いだろう、な、そう言ってくれよ」
「助けてくれ、もう、あんた達には一切関わらない」
「なんだよ、可愛いって言ってくれないのかい、ショックだなぁ」
幸はにいぃっと嗤う、そして、すうっと長刀が消えた。
刀が消えた瞬間、男達が幸を襲おうとした。
「動くなよ、な」
呟く幸の声に、男達は凍り付いたようにその場に固まってしまった。
幸は、動けずにいる女の目をじっと見つめた。
「瞳って名前か。綺麗な名前だね、夫がいて、幼稚園の男の子がいる、おい、あんた、小さな子供がいるくせに、こんなやくざな仕事してるのかよ」
「どうして、それを」
「あんたの目から記憶を読んだ、それだけ」
慌てて、女が目を瞑る。
「夫の名前は直行さん、息子は、隆君か、良い名前じゃないか。こういうのを二重生活っていうんだっけ。そうだ、思いついた、あたし、今度、瞳さんのお宅に お邪魔するよ、ご主人と隆君のいるときにさ、次の日曜日なんかどうだい、ホームパーティしよう、楽しいぜ」
「お願い、許して」
「どういう意味だよ。あたし、素敵なお姉さんやってやるよ。隆君の好きなさ、プリンをお土産に持っていってあげるよ。そして、可愛いって隆君の頭なでてや るよ。でもさ、私、子供の頭ってなでたことがないから大丈夫かなぁ、緊張してさ、ちょっと力入れすぎて、ぽきって折れたらどうしよう。子供って、ぼきって 首が折れたら死ぬのかい」
「勘弁してください、お願いです」
「ふうん、良い提案だと思ったんだけどなぁ、お互い、守りたい家庭があるってことだ。しょうがない、それじゃあ、帰るよ。あんた、約束忘れるなよ」
ついっと幸の姿が消えた。

「一切触れるべからず」
女が喘ぎながら呟いた。
「なんて奴だ」
女が呟いた瞬間、怒号が轟いた。
女の目の前、幸の持っていた長刀が投げつけたように地面に突き刺さっていた。
突き立った刀の上に幸がふわりと舞い降りる。
「夜中だぜ、早く帰りなよ。徹夜は、お肌の大敵だ」
声を上げて幸は嗤うと、刀と共にその姿を消した。
「帰る、今すぐ帰ります」
女は怯えてそう呟いた。

「お父さん」
「幸、何処に行っていたの」
座椅子に座ったまま、男は振り向いて幸に声を掛けた。幸は後から男に抱きつくと、くすぐったそうに笑った。
「秘密。乙女にはさ、殿方には秘密にしなきゃならないこと、百はあるのさ」
「ああ、トイレか」
「違うよ、もぉ」
男は微かに笑うと、少し掠れた声で話しかけた。
「幸、隣に座ってくれないか」
「え、うん」
幸は男の左隣りに座ると、男の顔を覗き込んだ。
男は目を瞑っていた。
「父さんの手、握ってくれないか」
幸は心配そうに男の手を両手で包み込む。
「お父さん、疲れたの。ゆっくりするといいよ」
「ちょとね、ばてたかな。でも、幸に手を握ってもらっていると、不思議だ。こんな小さくてきゃしゃな手なのに、柔らかくて暖かくて安心する」
「幸は可愛いなぁ。父さん、一人で生きて来たけど、今はもう、幸がいてくれないと、だめだな」
「お父さん、どうしたの、そんな急に」
ふと、幸は男の手が少しづつ冷えて来ていることに気づいた。
「そんな・・・。そんなのってないよ。お父さん」
「お父さん、嫌だよ、そんなの、嫌だ」
幸が叫んだ。
「暴走娘がいるのに、まだ、死ねないよ」
男は少し目を開け笑った。
「消耗が激しいからさ、呼吸法で仮死状態に入る。幸が手を握っていてくれるなら、安心だ。朝には起きるさ」
幸が震える声で答える、
「絶対の、絶対だよ」
「あぁ、絶対だ」
男の体温が少しずつ下がり、心臓の鼓動が鈍くなる。

お父さん、明日は、ツアーやめてさ、二人っきりで歩こう。あちこち、食べ歩きしよう。腕組んでさ、歩きながら食べよう。きっと、楽しいぜ、ねぇ、お父さ ん、お父さんったら・・・
幸はぎゅっと男の手を握り締めた。
愛しているよ、お父さん・・・。

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  5. 異形六話
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