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May 13, 2017

遥の花 藍の天蓋 ガンマン

遥の花 藍の天蓋 ガンマン

男は店の隅に座る。店ではこの席が一番迷惑がかからない。あさぎの淹れた珈琲をゆっくりと飲む。
昨晩は賑やかだったと思い出す.笑が初めて泊まった、ただでも賑やかであるのに、笑が加わることで一層にぎやかになり、疲れ果てたのだろう、龍之介が男の横でぐったりと寝込んでいる、喫茶店に避難したわけだ.
時計を見る、朝9時、起きるまで寝かせておくかと思う.

「あの、お父さん、いいかな」
あさぎが男の前に立っていた。
「甘いにおいがするなぁ、あさぎ、試食かい」
「はい」
あさぎが笑みを浮かべ頷いた。そして、あたふたと調理場に戻り、皿を一つ、男の前に置いた。十センチ径の正方形ケーキ、チョコレートで覆われており、ホワイトチョコレートで描かれた模様、これはアイリッシュだなと男は思う。
「あさぎはデザインの才能があるのかもしれないね、とても、美味しそうだ。もったいないけど、食べていいかい」
男が顔を上げた。
「どうぞ、お願いします」
あさぎが男の前に座った。
フォークで半分に切り、口に運ぶ。
「美味しいなぁ、この甘さは砂糖よりも、そうか、安納芋だな。チョコレートのパリンと割れるのも楽しい。美味しいの、ありがとう、あさぎ」
あさぎがくすぐったそうに笑みを浮かべた。
「こちらこそです、ありがとうございます、お父さん」
男は少し照れたように笑うと、ふっと顔を奥に向けた。
「来たようだよ」

黒が駆け込んできた。
「お父さん、お父さん」
黒の声に男が笑った。
「ここにいるよ」
黒はにっと笑うと、竜之介をすくい上げ、膝に載せる。そして、男の隣に座った。
黒が照れたように笑う。
「黒も試食してくれるかい」
「いいの」
「いいよ」
男が笑った。
黒はあさぎを見つめると、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
「あさぎお姉さん、いいかな」
「感想、お願いね」
黒はしっかり頷くと、男からケーキの載ったお皿を受け取る、黒の幸せそうな顔に男は笑った。
一口食べて、黒が目を輝かせた。
「美味しいです、あさぎ姉さん。チョコレートの苦みとスポンジのしっかりした甘さが重なってとても楽しいです」
「ありがとう」
あさぎも楽しそうに笑を浮かべると、ハーブティを用意するため、厨房へ戻る。
「お父さん、美味しいね」
黒が嬉しくてたまらないと笑う。
「なんだか、黒は子供だなぁ」
「そうだよ、お父さんの子供だもの」
黒が幸そっくりの笑顔で笑った。
「でも。昨日の朝、三人でさ、笑さんの実家に原種の鬼がいたって報告してくれたときには、すごく大人っぽかった」
「だって」
黒が不安そうな表情を浮かべた。
「黒は原種の鬼、それも第二王子にびびったか」
黒が仕方なそうに頷いた。
「しかし、なぜ、第二王子、自らが人の国にやってきたんだろうな、鬼の世界では雲上人だ、手足のように動く部下が数え切れないほどいるだろうに」
男は少し考えるように視線を落とす。
いまの鬼王の寿命が尽きれば、実質、第一王子と第二王子のどちらかが新しい鬼王になるだろう。順位から言えば、第一王子が鬼王になるが、第二王子はなかなかの野心家だ。第一王子を暗殺すれば、しかし、それは難しい、ただ、鬼王の前で二人が決闘するとなれば、話は別だ、勝った方を鬼王は新しい鬼王と指名するだろう。ただ、男は考えた。鬼王の長寿はなよの延命術によるものだ。もしも、鬼王がもう一度延命術を望むとしたら
「それは無理というものじゃ」
男の前に座り、あっさり、なよが答えた。
「延命術を二度施すことはできん、術的に不可能じゃからな」
「それじゃ、なよは鬼王がどちらかに王を譲ると考えるかい」
「鬼王は子供を作りすぎた、原種の鬼同士を戦わせることで、数を減らす、実力で最後に残った一人を鬼王とする、そんなところじゃろうな」
男は頷くと、少しいたずらげに笑みを浮かべた。
「やっぱり、なよは第一王子に勝ってもらいたいかい」
「つまらんことを父さんは知っておるのう、確かにあやつはわしの実子じゃが、先頭になってわしの国に攻め込みおった、いま、わしの子供は小夜乃だけじゃ」
黒はわけがわからず、いきなり現れたなよと男の顔を交互に見つめた。
「あの、なにがなんだか、わかりません」
なよが黒に笑いかけた。
「父さんがえらくおもしろいことを考えておるものじゃから、少しばかり、口を挟んだだけじゃ」
「なよは、心を読むのに遠慮がないからなぁ、人権蹂躙だよ、困った困った」
男が楽しそうに笑った。
「あ、あの、第一王子がなよ姉さんの」
「そこは忘れておけ」
なよがぎゅっと黒を睨んだ。
「わ、忘れます」
黒は即答した。
二人のやりとりを男は楽しそうに見ていたが、ふと、黒に声をかけた。
「人の国に鬼が入れば、白澤さん以下精鋭の仕事だ。ただ、白澤さんは新しい当主の教育に懸命で、今回の件は精鋭に丸投げだろう、白澤さんはそういう無頓着なところがあるからさ。で、精鋭が笑さんの実家に行けば、力の差は歴然だ、精鋭が勝つ可能性は全く無い」
男は黒の目をじっと見つめた。
「黒、第二王子と戦ってみるかい。もっとも、殺してしまうと、人と鬼の関係が難しくなるから、半殺しにして、簀巻きに繰るんで、鬼の世界に送り返す、それだけでいいんだけどね」
男はそう言うと緩やかに笑った。
慌てて黒が首を振った。
「む、無理です」
「倒せとは言ってないよ。ちょっと、気絶させれば、あとは精鋭に任せればいいんだから」
男が楽しそうに笑った。
「もう、お父さんは意地悪だよ」
「なら、一つだけ約束してくれたら、父さんの能力、一日
、貸してあげよう」
「えっ」
黒が男を見つめた。黒はどきどきして男を見つめた。
「あの、約束って」
「簡単なことだよ、一日だけ断食してくれればいいだけだよ」

黒が息を飲んだ.怯えたように俯く.
男がなぐさめるようい言った.
「無理しなくていいよ.父さんもさ、黒がお腹減らしてるの見るの辛いからさ」
ふぃっとなよが笑った.
「ならば、父さん、力をわしに貸せ.第二王子の顔面、思いっきり、どついて来てやる」
「うーん、なよはちょっとなぁ」
「なんじゃ、わしでは不満というか」
「だって、なよは力をね、一日で返してくれるかい」
なよが嬉しそうに笑った.
「返すわけなかろう、無の力じゃぞ。父さんもいまはこんなじゃが、その力、健康な体が受け入れれば、鬼王ですら、奴の顔を踏みつけることもできる、何が哀しゅうて返すものか」
男は仕方なさそうに溜息をつくと、少し笑った.
黒は涙をため、なよの手を両手で握ると、ふるふると首を振った.
「お願い」
そして、男に、目を向けた.
「返事、待って欲しい」
「いいよ。ゆっくり考えなさい」
黒はゆらゆらと立ち上がると店の奥へと歩いていく.
男が見送った.
「面白い奴じゃのう。一日の断食ができぬとは。一日でも父さんの力を得れば、効率よく強くなれるものを」
「もったいないなぁ」
幸がなよの前に座っていた.
「いいんじゃないかい」
男が幸に言った.
「黒が危ないってなったら、幸、助けに行くだろう」
「うん」
「なら、時間を掛けて修行するより、友達を作って遊びに行ったり、そういう時間を過ごすのもありだよ」
幸が仕方なさそうに笑った.
「そりゃそうだ」

ふと、幸が窓の外を見つめた.途端、顔を顰める.
男はその表情の変化を見て笑った.
「幸の孫弟子だよ.やさしくするのは無理かい」
「あぁ、もう絶対無理」
ふっと、幸は男に口付けすると、慌てて奥の家へと戻る.
「どうしたんじゃろうな、ガンマンは」
「さあね、慌てて、ほら、前の人にぶつかった.お辞儀して、また、走りだしたよ」
「父さんは幸に遠見を教わったのか」
「習っていないよ.術なんか、二、三回、見れば使えるようになるもんだよ」
なよが深く息をした。
「父さんは恐ろしいのう」

喫茶店のドアが大きく開け放たれた.
「先生」
ガンマンが倒れこみながら叫んだ.

「あ、あのお父さんはこちらです」
あさぎが片手にハーブティのポットを載せた盆を片手に答えた。
あさぎの視線を追う。朧気に男の姿が見えてきた。
「先生、お願いです。助けてください」
ガンマンは男の駆け寄ると、ひざまずいて頭を下げた。大声に竜之介が目を覚まし、慌てて笑を探して、店から家へと戻る。
空いた席に男はガンマンを座らせると言った。
「血相を変えてどうしたんだい」
「先生。もう独立派はおしまいです」
ガンマンはそう言うと、うわぁっと声を出して泣き出した。
男はあさぎの淹れたハーブティを一口飲むと、テーブルに置く。
「カモミール、それにレモングラスだな」
「なかなか、父さんも詳しくなったのう。わしも珈琲派じゃったが、あさぎのハーブティは良いと思う」
「で、なよ。ガンマンは何を言いたいんだろう、心、読んでいるんだろう」
「なんじゃ、わしに訊くのか」
「だってね、感情の共有を要求されて、それを受け取ってから、話を聞くのは面倒くさいし、なら、なよから聞くのが、早くて正確かなってね」
なよは呆れたように笑うと、少し背を伸ばし、改まった口調で言った。
「この国の上層部は鬼派、米派、独立派に分かれておる、ガンマンの実家は独立派の術師旧家じゃが、およそ五十人の弟子や使用人、全てが鬼派、米派と鞍替えし、両親と妹は座敷牢に幽閉中、進退窮まった状況じゃ」
「そうかい。独立派はどんどん減っていくねぇ」
男は頷くと、軽くガンマンの肩を叩いた。
「助けるというのは、君の家族を救い出した上で、五十人を見せしめに抹殺してくれということだね。それじゃ、ちょっと張り切ってみるかな」
「い、いえ。あの」
ガンマンが顔を上げた。
その様子を見て、なよが笑った。
不意にガンマンの両肩を女の子の両手がぐっと握り込んだ。あかねだ。あかねがゆっくりと座席の背もたれの後ろに現れ、ガンマンの両肩を握りしめたのだ。
あかねはガンマンの耳元に顔を寄せると囁いた。
「順番通せよ。お前の師匠は誰なんだ」
「あ、あかねさんです」
怯えながらガンマンが答えた。
「なら、まずはあたしに相談するのが筋じゃないかい。それとも、年下の女の子じゃあ、当てにならないと踏んだのか」
あかねがにやりと笑った。
男があかねに声をかけた。
「いじめるのはそれくらいにして、頼みを聞いてくれるかい」
あかねはあたふたと回り込むと、なよの隣に座り可愛く笑顔を浮かべた。
「彼んちが鬼派と米派に分かれたというのは、鬼派と米派が結託しはじめたということかもしれない。あかね、彼んちを独立派に戻してきてくれるかな」
あかねがくっと頷いた。
「この二つは敵対しているほうが良いということですね」
「そうだね。いろんな奴がそれぞれ、いろんな風に主張している方が平和なんだよ。力が集まりだすとろくなことがない。引っ張りあって停滞している間が花というものさ」
男が冷めたハーブティを飲み干した。
「そうだ、三毛と白、一緒に行っていいですか」
「そうだね、黒はいま悩み中だし、三毛と白がよければね」
「そういえば、黒、考え込んでいるようでしたけど」
「一日、断食をって勧めたんだけどね」
あかねが笑った。
「それは、かなり厳しいですよ」
「読みが甘かったなぁ、一日くらい大丈夫だと思ったんだけどな。さて、三毛、白、来れるかい」
男が呟くと、慌てて、三毛がやってきた。
「お父さん、呼んだ」
「ちょっとね、頼みたいことがあってね」
あかねがにっと笑った。
「私と一緒に暴れに行きませんか」
慌てて三毛が男の顔を見た。
「いいよ。三毛、行ってくれるかい」
「はい、行きます」
三毛は笑うとあかねに言った。
「あかね、よろしくお願いします」
白が駆けてきた、すでにお出かけようにおしゃれをしている。
「あ、白さん」
ガンマンが立ち上がった。
一瞬、誰だっけと白は考えたが、そういうのは、おくびにも出さず笑みを浮かべた。
男がいたずらげに笑う。
「ガンマン、うちの娘を誘惑するのはやめてくれよ」
男の言葉に白はあのときのこと思いだし、如才なく笑った。
「ガンマンさん、なにやら大変そう。きっと、お力になれると思いますわ」

ふと、喫茶店の窓を通して、男は遠くを眺めた.
「あぁ、これは面白いなぁ」
男はあかね見つめると言った.
「あかねは、遠見はできるのかい。遠くを見たり、触れたりするさ」
「さすがにそれはまだです」
「なら、右手で父さんの額を触ってみなさい」
あかねは腰を浮かすと、そっと男の額に手を触れた.手は握ったことがあるけれど、額を触るって初めてだ、あかねは自分が緊張をしているのを感じていた.
ふわっと、違う風景が目の前に見えた、これはどういう。
あかねは深呼吸をすると、男の額から手を放した.
「いろいろ、びっくりです」
あかねは呟くと、少し視線を上げ考える.そして言った.
「今日はお爺様のところに泊まります.明日の朝に遊びに行くことにします」

この古い都市の南西にある妙蓮寺、有数の古刹である。
その門の高さは三毛のゆうに五倍はあるだろう。
「こけおどしですよ、こんなものは。三毛は右、私は左です」
そう言うと、あかねは左手を左の門扉に合わせた。三毛は右手で門扉に触れる、二人、向かい合った。
二人の姿が一瞬、ゆらぐ。
轟音と共に門扉が飛ぶ。蝶番が引きちぎれ、そのまま、二枚の門扉が空気を引き裂き、銃を構えていた米兵達に激突した。
あかねは重なった門扉の近くに寄ると、隙間から中をのぞき込んだ。
「ちょっと手加減しすぎたかなぁ」
あかねが片手を門扉の下に差し込む、無造作にそのまま手を振りあげる。簡単に門扉を跳ね上げた。白がやってきて、倒れている兵士達の顔をのぞき込んだ。
「どうする、あかね。足はそのままにしておこうか」
「折角の白の実習です、ついでに持病も治してやってください」
白は笑うと、しゃがみ、兵士の体に手を溶け込ませた。
あかねと三毛は破壊、白はその治療実習に来たわけだ。
「まだいますね」
あかねは呟くと、しゃがんで玉砂利をいくつか拾う。
「ガンマン」
あかねが言い放った。
一瞬で、和哉は直立不動に立つ。
「他人に頼るその性根を叩き直せ。二度目はないと思え」
あかねは立ち上がると拾った玉砂利をふわっと上に軽く投げる。空中に浮かんだ玉砂利が境内に植えられた巨木へ向かって飛ぶ。
三毛が目でその方向を追った。狙撃者が茂る葉に姿を隠していた。
「あかね。今のはなよ姉さんの」
「礫技(つぶてぎ)、です。砂利が相手の額に張り付き、一時間で頭蓋骨を貫通して飛んでいきます。ここで術を解除できるのは私だけです」
にぃいと唇を歪めるようにあかねが笑った.
「あかね、そんなふうに笑うと悪人みたいだよ」
心配そうに、三毛が言った.
「私は悪人ですよ、正真正銘の.だからこそ、決心が変わらないのです」
あかねはそういうと、今度は慎ましやかに笑みを浮かべた.
「ま、彼らには」
あかねは倒れた射撃兵を見下ろし言った.
「是非とも、心から独立派に与していただき、勢力図の書き換えにお手伝いをいただきたいところです」
「終わったよ、あかね」
白が立ち上がると、あかねに声をかけた.
「半時間くらいで目覚めると思う」
「重畳です。では、本丸に行きましょう」
あかねはガンマンを指で招いた.
「自分ちでしょう。前を歩きなさい.万が一のときには、可愛い女の子三人を身を挺して護らなければならないのですからね」

北東にある宝物会館の二階、畳張りの大広間、入り口に四人はいた.その前にはおよそ五十人の独立派から寝返った弟子達、それと額に角を生やした鬼達が四人を待ち構えていた.
一番奥に、ガンマンの家族が枷に繋がれ正座していた.
心底驚いたと、恰幅のよい鬼が一体、前に現れ言った.
「寺の倅が助けを呼ぶために逃げだし、やっとのことで、連れてきたのが小娘三人とは、とち狂ったとは、まさしくこのことだな」
大口を開けて鬼が笑った.
瞬間、あかねは笑う鬼の隣に立つと、刀の切っ先を鬼の喉元に当てた.
「静かにしてくれ。あたしらはお上品なんだ」
鬼がぐっと息を飲む.

あかねは先頭にいた女の顔を睨みつけた.額に角がある.
「あたしの記憶では、原種の鬼、末子で唯一の女、笹や野瓜子姫とお見受け致します」
微かに女の鬼が歯ぎしりをする.鬼は自分の名を当てられることを好まない.
すいっと、あかねは刀を消すと、硬直した鬼を無視し、白と三毛の前に戻った.
「原種の鬼一体と、ちょうど七十の敵、うち五十は人です.どっちにしますか」
三毛が少し笑った.
「あかねは原種の鬼と戦いたいと思っている」
三毛の言葉に、あかねは両手を合わせると、にこっと笑い、小首を傾げた.
「三毛は七十の方でいいです。でも、あかねの戦うところを勉強したいので、先に戦います」
三毛の言葉にあかねが頷いた瞬間、三毛の姿がぶれる.

あかねの背後で、どんという大きな音が響いた。三毛が先ほどの鬼の背中を蹴り抜いたのだ。
そして、三毛はゆっくりと歩く。術師の呪が完成するのを待つ。僧兵の姿をした十人が三毛を取り囲んだ。
三毛が足を止めた。
「宝蔵院流の槍ですね。とってもいいです、相手のしがいがあります」
正面の僧が気合いもろともに槍を繰り出した。ふわりと三毛が槍の上に立つ、慌てて引き戻す槍に乗り、僧の顔面を蹴る。僧が倒れた瞬間、次々と槍が繰り出された。
宝蔵院流の槍は十字となり、引き戻す槍の動きででも、相手を斬る。ふわり、ふわりと三毛が槍を避ける。
「あぁ、呪文の詠唱が完了したようですね」
三毛は呟くと、すいっと姿勢を落とした。一人の僧の足を蹴る、倒れた僧の槍を取り、ふわりと浮かび上がった。
「槍の使い方をお教えします」
呟くと同時に正面の僧の胸を刺す。返す勢いで後ろの僧を袈裟がけに斬る。
白が言った。
「遠慮がないなぁ。治療されることを前提に斬っているんだろうけれど」
三毛の首、後ろから剣が凪ぐ、ふっと力を抜き、三毛は刃から逃れ、振り向いた。
二人の少年が剣を構え、空に浮かんでいる。
「護法童子、呪文が完成したようですね」
仏法を守護するという、護法童子が呪文によって現れたのだ。
立円と横円、二人の護法童子が、剣で二つの円を描く、
二つの剣が密な刃となり飢えた龍のように刃が空を喰らう。
三毛は大きく息を吸うと、自在を下段に構えた。まったくのがら空きだ。龍が三毛を刃のあぎとに飲み込もうという一瞬、姿勢を落とす。体を伸ばし、床とまったくの平行になる。護法童子の足首を捕らえた。自在を掬い上げる、護法童子二人が床に激突し、その姿を消した。
振り返り、鬼を睨む。二十はいる鬼の顔に怯えが走った。
ずいっと、笹の屋瓜子姫が鬼達の前に立つ。
三毛はすっと笑みを浮かべると、あかねに声をかけた。
「あとはお任せします」
そういうと、三毛は治療をする白のもとへと戻った。
手を相手の体に差し入れる白の動きを興味深くのぞき込む。
あかねは瞬きせず三毛を見つめたが、ふっと息を漏らした。気分を変えるように、瓜子姫を見つめた。
「さて、どうする。私は以前、原種の鬼に勝てなかった。それがあるから、末子とはいえど原種の鬼に勝っておくかなと思っている、でも、弱いものいじめは良くないなぁと思うからさ」
ぐっと瓜子姫があかねを睨みつけた。
片手にその身長ほどの剣を支え持つ。それを両手に持ち直した。下段から上段へと剣を持ち上げた。
鬼達が瓜子姫の背後から期待の視線を送る、反して。微かに瓜子姫の視線が泳いだ。
ぐっと唇を噛みしめ、瓜子姫があかねに向かって走り出す。あかねの脳天を剣が打ち砕く、しかし、すっと避けたあかねの目の前を剣が走る。ふわりとあかねは浮かび上がると、瓜子姫の後頭部に手を添え、床に顔面を押しつけた。
「動くな、そのままにしていろ」
あかねは囁くと、床に押し当てた、瓜子姫の横に正座し、その耳元に囁きかけた。
「あんたは原種の鬼としての体力はあるが、技や心構えはまったくの素人だ。鬼達の当然という期待に応えなければと随分無理をしたな。いいから、そのまま、俯いていろ。お前の良いようにしてやる」
すすり泣く瓜子姫の声があかねに聞こえた。
「泣くな、歯を食いしばれ。泣くのは解決を遅らせてしまう」
あかねは何事もなかったように立ち上がると、妙蓮寺の和尚、和哉の父親に視線を向けた.
「当主、来い.手枷だけのはずだ、普通に歩いて来れるだろう」

あかねの言葉にむっとした顔を向けたが、いきなり立ち上がりやってきた。
当主の手枷をそのままに、あかねが笑みを浮かべる。
「無事、済みました。御子息の決死の御活躍により状況は好転いたしました。私も彼の師として、誇らしゅうございます」
「ありがとう、礼は改めて行うことにする」
手枷を気にしながら、当主が答えた。
「さて」
あかねは辺りを見渡し、先程の三毛に背中を蹴られ二つ折りになっていた鬼を見つけた。白の治療を受け、呆然と座り込んでいる。
「そこの、嘗様儀童子、こっちへ来い」
鬼が驚いてあかねを見た。しかし、あきらめたように俯くと、よたよたとやってくる。
あかねが二人にだけ聞こえる声で言う。
「独立派の雄、妙蓮寺が鬼派に鞍替えする。そして、あたしや妹たちは、その手土産だ。どっちが最初に書いた品書きかは興味ねぇけど、五十人の直弟子と使用人が鬼派に変わっているというのを、当主が気づかないというのは無理があるな」
当主が俯いた。
「状況は変わった。独立派に未来はない」
「知らぬは、わざと逃げさせてもらった息子のみか」
あかねは呟くと、ガンマンを手招きした。喜色万辺でガンマンがやってきた。
「お疲れさまだったな」
あかねがガンマンに笑いかけた。
「いえ、師匠方ご尽力があればこそです。ありがとうございます」
「最初の一歩はガンマン、いや、和哉の勇気があればこそだ。誇らしいぞ、これからも独立派を引っ張って行ってくれ」
いつもは厳しいあかねの言葉にガンマンは目を潤ませながらうなずいた。
「あとは。ん、そうだな」
あかねはじっと俯いて、はいつくばっている笹屋の瓜子姫の横に座った。
「もういいよ、顔を上げなさい」
おそるおそる顔を上げた。鬼達も特に大きな怪我もなく済んだようだ。
「単純に聞きたいことがある、いいか」
瓜子姫がうなずいた。
「あからさまに聞く。好きな男はいるか、心に誓った相手はいるか」
瓜子姫がゆっくりと首を横に振る。
「なら、和哉と政略結婚をしろ」
「えっ」
驚いて瓜子姫が目を丸くした。あかねは手を差し伸べ、瓜子姫を前に座らせた。
「なぜ、お前がここに来たのか、言わなくてもわかるよ。だから、お前が和哉を気に入れば、そのまま、ここで生活をすればいい。和哉は面食いだ、美人で良かったな」
急な展開についていけず、言葉をだせずにいた。あかねは立ち上がると、瓜子姫に手を貸し、和哉の前に瓜子姫を立たせた。
「和哉、政略結婚だ。原種の鬼、笹屋の瓜子姫を嫁に貰え、そうすれば、鬼王も手を出しにくくなる、ま、呈のいい人質だ、大切にしろよ」
一瞬、和哉は狼狽えたが、瓜子姫が美人であるし、なにやらしおらしい姿に、あかねや三毛にはない、なんだか、はいと素直に言ってくれるのではという雰囲気に、急に瓜子姫がいとおしく思えた。
「よ、よろしくお願いします」
つまりながらも、和哉が瓜子姫に声をかけた、はにかむように瓜子姫が笑を浮かべた。
「単純にバカップルを作ってしまったか。瓜子姫、和哉は素直で嘘のつけない、正直者だ、言い換えれば、ガキだな、立派なここの跡取りとして育ててやってくれ」
「ひどいですよ、師匠。俺、俺、頑張りますから。あ、あの、それで」
ふっと和哉が瓜子姫を見つけた。
「あ、あの、よろしければ」
「はい」
「言葉の終わりに、だっちゃ、と付けていただいたりとか」
「それでよければ、だっちゃ」
あかねが和哉の顔を睨みつけた。
「これからは、お前をおたくガンマンと呼ぶ」
「師匠、俺の心の中、読んだんですか。ひどいですよ、人権侵害です」
あかねは和哉を無視するように瓜子姫に言った。
「あんまり、こいつの言うこと聞かなくていいぞ。そのうち、四六時中、虎じまのビキニを着てくれと言い出すからな」
「そ、それはさすがに恥ずかしいです、だっちゃ」
瓜子姫が両手で顔を隠し俯いてしまった。
「案外、気が合うかもな」
あかねはじろっと和哉を睨みつけると大きく溜息をついた。
「さて、御当主。今日は婚約の祝いだ」
当主が血管が切れるかと真っ赤な顔をしていた。
「なんだ、御当主。赤い顔をして、息子の嫁に照れているのかい、あんまり、顔を赤くしていると赤鬼と間違われるぞ」
あかねが愉快でたまらないと笑った。

「大変だよ」
三毛が慌ててやって来た。白も駆けて来る。
「黒姉が第二王子と戦う」
三毛が叫んだ。
あかねが驚いて目を見張った。
「さすがに私たちが全員でかかっても、勝てませんよ」
「それは大丈夫」
白が説明した。
「黒姉、お父さんの力を一日だけ借りたから」

「ちょっと、待ってください。初耳ですよ、それ」
あかねは人目も気にせず、声を上げた。
「健康な体がお父さんの力を発揮する。百パーセントのお父さんの力を見ることができるってことですよ、なんて羨ましい。あ、そうか。黒の一日断食ってそのためだったんですね、もぉ、お父さんは言葉が少なすぎます。わかっていれば、こんなとこに、うぅっ」
あかねは大きく息を吐くと、二人に振り返った。
「ぐずぐずしていると、黒の活躍を見逃してしまいます、行きますよ」
「で、でも」
三毛が戸惑うように言った。
「まだ、ここから離れられないよ」
「そうですわ。流れが変わってしまいます。それに、さっきの米兵もそろそろ、目を覚ましますわ」
白が三毛に代わって説明をする。
「あぁ、見たい、見たい」
あかねがだだをこねるように叫んだ。
「お父さんの動きを学ぶ最高の機会ですのに」
あかねはぜいぜいと激しく息をしていたが、無理矢理気を落ち着かせると、小さく呟いた。
「あかねはこれでも、頭の中は大人ですから、こういう手段は執りたくありません。ありませんが、今だけ、子供に戻ります」
あかねは大きく息を吸うと、おもいっきり叫んだ。
「お姉ちゃーん、助けて」
思わず白がうひゃぁと声をあげた。
普通に歩いてきたとでもいうように、自然に、幸があかねの前に立っていた。エプロンはあさぎの手伝いをしていたのだろう、右手にはつまみ食いのお煎餅が一枚。
「どうしたの、何かあった」
「お姉ちゃん」
半音高くあかねは声を出すと、幸に走りよりしがみついた。そして、顔を上げ、泣きぬれた瞳で幸を見上げる。
「お姉ちゃん、お願い」
「え、ええっ、どうしたの」
「あかねも黒の頑張っているの、応援したいの。すぐ近くで」
あかねがきらきらと泣きぬれた瞳でじっと幸を見つめた。
幸でもどきっとする表情である。
「お願い、幸お姉ちゃん」
「わかった。大丈夫、あとは任しておきな」
にっと幸が笑った。
「いいの」
「いいよ。しっかり、黒を応援してくれ」
「うん」
そっと、あかねは眩しそうに笑を浮かべた。
あかねはゆっくりと手を放すと白と三毛、二人に向き直った。
「うっしゃ、行くぞ」
二人に駆け寄り叫んだ。
「花魁道中の儀、発。しゃん」
慌てて二人もあかねに駆け寄り、しゃん、しゃんと叫ぶ。三人の姿が薄れ消えた。
全員が言葉なく呆気にとられていた。
幸はぐるりと見渡し、表情を変えず、ばりっと煎餅をかじる。
エプロン姿の美少女がいきなり現れ、お煎餅をかじっている。誰もどう対応すればいいのか、見当もつかなかったのだ。
ふぃっと、幸は瓜子姫の前に立ち、見上げた。
「次期鬼王が決まれば、あなたは唯一の原種の鬼の女だ。子供を産むための道具にされるだろう。あなたもそれが嫌で、人間の世界にやってきたわけだ。隣の男、こいつは私の孫弟子にあたるわけだが」
幸がガンマンを見上げた。
「あかねがお前に教えた術をしっかり身につけていれば、この程度の鬼や軍隊に慌てる必要はなかったはずだ」
「も、申し訳ありません」
和哉が直立不動で答えた。幸の恐ろしさはさんざんあかねから教えられていた。
「ま、言ってもしょうがない」
幸は仕方なさそうに首を振ると、当主に向き直った。
「ま、御当主。跡取りに良い嫁ができて良かったな」
「お前等は勝手に」
当主が呻いた。
「なんだよ、愛し合っている二人の仲を裂こうというのか。嫌なおやじだなぁ」
瓜子姫に言う。
「頭の固いおやじだけれど、それだけに単純だ。うまく甘えておけばいい」
幸は笑うと隣にいた鬼に言った。
「ここでは、あんたが一番上らしいな、新様儀童子」
ふぃっと、幸は表情を曇らし、鬼を見つめ、かすかに俯いた。
「辛かったろうな、お前」
「な、なんだ」
「鬼の世界は絶対的な身分制だ。本来なら、お前はこんな前線に出てこなきゃならない立場じゃない」
「な、なんだ。急に」
すっと幸は視線を上げ、鬼の目を見つめた。
「権力争いで、お前は下の身分の者に破れた。殺されずに済んだだけ良かっただろうと言われただろう」
鬼が一瞬、息を飲んだ。
相手の記憶を読みながら、理解者を演じる、幸の得意でもある。
「あなたは本当はここにいるんじゃない。もっと、上の立場だ。大局を指図しているはずじゃなかったのか」
鬼の目が動揺を隠しきれずに動く。
「泣くな、目をつぶれ」
幸の声に鬼がぎゅっと目をつぶった。
幸は浮かび上がると鬼の耳元に顔を寄せる。
「いつまでも妻は優しくない、ふがいないと強い言葉をお前に浴びせたろう」
「俺は、俺は」
鬼が聞き取れないほどの小さな声で呟く。
「子供はどうだった、父親としての威厳を守ることができたか。いつもと変わらない笑顔で迎えてくれたか」
鬼が目をつぶり、唇を噛みしめた。
「二人に怒りをぶつけてはならない、妻も子供を辛い思いをしたんだ、あなたへ強い言葉は二人の悲鳴でもあったのだよ」
幸は少し言葉を落とし、語り続ける。
「これから、どうしたらいいのか、二人を幸せにしてやるにはどうすればいいのか。目をつぶり、口を閉ざし、私が再度、あなたに声をかけるまで、両手で耳を塞ぎ考えなさい。一番、あなたや家族にとって良い方法を考えなさい」
すっと、幸が離れる。鬼が両手で耳を塞ぎ、座り込んだ。
いたずらが成功した子供のように、にぃぃっと幸が笑った。
「さて」
幸は瓜子姫に言った。
「婚約をするなら、お前の身内もここにいる方がいい。鬼王をここに呼べ」
「ええっ、む、無理ですよ。私なんかのために来ません、それに、一触即発の」
「面倒くさい親子関係だな」
幸は考えていたが、ふっと顔を上げた。
「天井が随分高い。がらの大きい奴でも大丈夫だろう」
幸は浮き上がると、右手を伸ばす、手のひらが消えた。
ぐぃっと幸が手を戻した瞬間、大きな鬼が幸の手に引っ張り込まれ、勢いよく、床に尻餅をつく。
「な、なんだ。なにがあったんだ」
呆然と高間宮王子が呻いた。
「やぁ、高間宮元王子、久しぶりだ」
高間宮王子が幸に気づいた。
「うわぁ、お前は」
幸がにかっと笑った。
「私はお父さん以外から、お前なんて言われたくない。一度、言ったよな」
あきらかに高間宮王子は怯えた表情を浮かべたが、すぐに平静を装う。
「これは幸さん、久しぶりですな」
幸は何事もなかったように頷いた。
「久しぶりだ、四角達はうまく国を運営しているか」
「四角・・・」
「金角、銀角、右角、左角、まとめて四角でいいだろう」
幸は床に着地し、瓜子姫の隣に立った。
「呼んだのは他でもない。お前の妹、笹屋の瓜子姫が婚約した。お前も祝ってくれ」
「な、なんだと」
思わず、高間宮王子が声を張りあげた。
「なんだ」
幸が高間宮王子をかすかに睨んだ。
「相手があたしの孫弟子では、不満というのか」
「あ、いや、いや、そうじゃない。突然のことに驚いた。そう、驚いただけだ」
瓜子姫は目の前でのやりとりが信じられなかった。
原種の鬼の中でも、一番の乱暴者とされた高間宮王子が自分自身よりも小さな女の子を畏れているなんて。
にっと、幸が笑った。
「なんだ、あたしの誤解か。それは申し訳なかったな」
幸は瓜子姫に向き直ると、楽しそうに言った。
「よかったな、瓜子姫。兄も祝福してくれたぞ」
瓜子姫はもうどう言ったらいいのか、わからなくなっていたが、とにかく、高間宮王子に深く頭を下げた。高間宮王子はあきらめたように溜息をつくと言った。
「久しぶりだな、笹屋の瓜子姫よ、おめでとう。でも勘違いするな、これは結婚おめでとうではない、お前が幸さんと縁ができたこと、これにおめでとうと言っているのだ」
幸は笑うと、高間宮王子に言った。
「そうだ、ついでにここの鬼を引き取ってくれ」
「こいつらは何故ここにいる。いや、そもそも、ここは何処だ」
「妙蓮寺、独立派の敷地内だ」
「なるほど、噂に独立派の一部が鬼派と迎合しつつあると聞いたことがある」
「ま、お前にとっても、鬼派が勢力を増すのを歓迎したくはないだろう。独立派は独立派でいてくれるほうがいい。だから、この鬼達を、お前、引き取ってくれ」
高間宮王子は幸の言葉にしばらくの間考えていたが、ゆっくりと頷いた。
「承知した」
幸は頷くと、座り込んだ鬼の耳元で囁く。はっと、鬼が目を見開いた。
「そうか」
鬼が呟き、慌てて、高間宮王子の元に駆け寄った。
「これは、第三王位継承者高間宮王子とお見受けいたします。私、新様儀でございます、王子の元で働きたく」
「わかった、新様儀童子。期待しているぞ」
「ありがたき幸せにございます」
感極まって新様儀童子の声がうわずった。
「銀角、来い」
高間宮王子が声を発した。一陣の雲が現れ、銀角が姿を現した。
一瞬、銀角の視界に幸が入る。飛び跳ねるように、銀角は幸の前に駆け寄ると、土下座をし、床に額をすり付けた。
「これは幸様。ご尊顔を拝することができましょうとは、恐悦至極にございます」
「元気そうでなによりだが、お前の主が気分を害しているぞ」
幸が苦笑いをする、はっと気づき、銀角が振り返った。高間宮王子が醒めた目で銀角を眺めていた。
「あ、いや、王子。これは」
「構わぬ。誰とて己が命が一番大切だろう」
高間宮王子はわざとらしく溜息をつき言った。
「これは新様儀童子、それとその部下達だ。我が支配下に入る。国へ連れていき、教育せよ」
「は、直ちに」
高間宮王子と笹屋の瓜子姫を残し、すべての鬼が高間宮王子の国へと移動する。残った鬼はこの二人だけだ。
「やぁ、なんか広くなった」
幸が気楽に笑った。
「気楽な奴だ」
高間宮王子が小さく呟いた。
ふと、幸が数歩、横に移動する。轟音と共に大きな固まりが現れ、高間宮童子に激突した。数メートル押しやられたが、なんとか、姿勢を起こす。
「なんだ、何が」
首を振りながら、高間宮王子が立ち上がる。
「お前の兄貴だよ。余呉閂王子、第二王子だ」
幸が平静に言う。
ぼろぼろに殴られ気を失った余呉閂王子が仰向けにひっくり返っていた。
「あ、兄者」

幸は余呉閂王子の傷の様子を睨んだ。体中、拳の形に黒くえぐれている、なかなかの拳速だと思う。
「兄者、どうした、誰にやられた」
余呉閂王子が何かを言おうとするが、息を吐くことすら苦しくてかなわない。
幸はすたすたと余呉閂王子のところにやってくると、浮き上がり顔をのぞき込んだ。
「さすがの原種の鬼も、ここまでやられると虫の息だな。回復するに半年はかかるだろうけれど、その間に第一王子が鬼王を継承してしまう」
幸はどうしようかなと小さく呟いたが、ま、いいかと、顔を上げ、高間宮王子に言った。
「その兄貴を仰向けに寝かせろ」
幸の言葉にまるで部下のように高間宮王子が従う、当然、言うことをきく、幸の意志が高間宮王子をそのように動かした。
幸が余呉閂王子の額に手をかざす。すっと、王子の息が整いだし、傷も薄れだした。
「完全には治さない、ぼこすかにやられたこと、しっかり覚えておいてもらわなきゃな」
幸が気楽に笑った。
ゆっくりと高間宮王子が余呉閂王子の背中に手をやり、上半身を起こす。
すいっと幸が一歩下がった。
「ばかもの」
いきなり現れたなよの回し蹴りが余呉閂王子に頭に激突する、あらぬ方向に向いた頭を幸が両手で直した。
「首が飛んでも、しばらくなら生きているってのは面白いものだな」
「お前は」
高間宮王子が叫んだ。
「かぐやのなよ竹の姫」
そう言った瞬間、なよの拳が高間宮王子の顔面を強打した。尻餅をついた高間宮王子に怒鳴りあげた。
「高間宮よ、お前を育てたのはこのわしじゃ。お母様と呼べ」
「なよ姉さんはご機嫌斜め。黒は、どうだった」
幸が気楽に尋ねた。なよは片手に持っていた一升瓶の酒を一口飲むと、幸に言った。
「せっかく、激しい攻防の戦いを肴に飲むつもりじゃったのに、黒のたこ殴りじゃ、背中が寒くなってしもうたわ」
「まぁ、そうだろうね」
幸も先ほどの余呉閂王子の姿を思い浮かべて頷いた。
「こちらに来れば賑やかかと思ったが、こちらの祭りも終わったようじゃのう」
がっかりとなよが言った。
「ううん、これから、ガンマンと原種の鬼 笹屋の瓜子姫の婚約の宴会があるよ。あとは、米兵さんたちがそろそろ乱入してくると思う」
にかっとなよが笑った。
「よし、宴会の準備をしておけ。わしは米兵とやらを苛めてこよう」
「殺しちゃだめだよ。なよ姉さん、彼らは独立派になるんだから」
「大丈夫じゃ、任せておけ」
なよの姿がふっと消えた。
しゃん、しゃん、遠くで声が聞こえた。ふわりとあかねと三毛と白が幸の前に現れた。
ふっとあかねが倒れる。慌てて、三毛があかねを後ろから抱え込んだ。
「うわ、あかね、大丈夫」
白が慌てて言った。
幸はあかねを見つめると、愉快に笑った。
「いま、あかねは全神経を総動員して、黒の動きを復習しているんだ、三毛、あかねをしっかり支えていなさい。そしたら、三毛はあかねの命の恩人だ。後で、あかねから黒の動きを解説してもらったらいいよ。で、白、黒は来ないのか」
白は困ったように視線を反らしたが、仕方ないと幸に言った。
「黒姉は家に帰りました。お父さんに力を返して、あさぎ姉さんに朝御飯を作ってもらうって」
「一日貸してもらったのに、半日で返すなんてなぁ、まぁ、黒らしいけれど。母さんももうすぐ帰るよ、ランチの時間は混むから、あさぎ姉さんの手伝いをしなきゃ」

「俺は何処にいるんだ」
消え入りそうな声で余呉閂王子が呟いた、意識を取り戻したらしい。
幸が答えた。
「あんたをぼこぼこにして、簀巻きにくるんで鬼の世界に送り返す予定だったんだけど、あんたの妹、笹屋の瓜子姫の婚約の祝いだ。瓜子姫側の出席者として、あたしの娘がこちらに送り出したんだ。ということで、めでたい、めでたい」
余呉閂王子は幸の言葉が理解できず、しばらくの間、宙を眺めていた。しかし、やっと状況が飲み込めると、大声で怒鳴りあげた。
「なんだ、高間宮。そのふぬけた顔は、これ以上、女子供になめられてたまるか」
いきなり立ち上がると、声高に唸りをあげた。
「俺の呪でこの辺り一帯焦土と化してくれるわ」
いきなり、余呉閂王子が呪文を唱えだした。王子を囲い込むように薄青い球が出現した。呪文を唱える間、攻撃を遮る結界だ。
「やめろ、兄者。落ち着け」
幸がおもちゃを手に入れた小さな子供のように笑みを浮かべた。
「高間宮よ、お前の兄貴は愉快な奴だなぁ」
「この呪文は確実に何もかも吹き飛ばしてしまうぞ」
幸はふわりと浮かびあがると、高間宮王子に言った。
「あたしは余呉閂の呪を止めようと思う。高間宮、弟のお前が選べ。こいつを殺して止める方法と、殺さずに止める方法。どっちにする」
「殺さずに頼みたい」
「なんだ、いいのか。いつか、こいつはお前の敵になるかもしれないぞ」
高間宮王子が黙ったまま頷いた。ふっと幸は笑うと、余呉閂王子の前に浮かんだ。効力の巨大な呪は完成させるのに時間がかかる。余呉閂王子が呪を唱えるほどに、空気の密度が増す。
「やあ、腕っぷしは弟が上だが、呪術はあんたの方が上だな。で、腕っ節も呪術もはるかにあたしの方が上だ」
幸がにぃぃと唇を歪め笑う。
「解呪術 第一二七六式発動」
余呉閂王子の真後ろで声が響く。言葉にならない唸るような声だ。
「もう一つ、補填 第三四九八式 これは結界削除分」
余呉閂王子の右耳のすぐそばに幸の唸る声が響く。
「お前の近くにある空気を震わせている。巧くすれば、それが耳元であたしの声として聞こえるだろう」
青の結界が消えた。余呉閂王子の膝が崩れ、そのまま、仰向けに倒れてしまった。

幸は呆然と眺めていた当主の妻を見つけると、余呉閂王子のことなどどうでもいいと、妻の元に足を運んだ。
「名前は君枝さんだな。あたしはあんたの息子の師匠の姉だ。この度は、原種の鬼 笹屋の瓜子姫と御子息の婚約おめでとう。これから盛大に宴会をしてもらいたい。いいかな」

 

 

 

 


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