遥の花 藍の天蓋 蛇足 遊歩風無

「千尋。お前ほど酷い男はおりません」
囲炉裏の向こう側、白澤が怒鳴った。
西の幽霊屋敷、男の前には白澤と現当主の少年が座っていた。
「ひどいなぁ、乳母ではあるけれど、私は白澤さんを母親とも思い、敬っておりますのに」
男が気楽な調子で答えた。
「なら、どうして、私だけを制するような結界を屋敷に敷くのです」
「それは単純に面倒臭いことになるのが嫌なものですから」
「本当にお前という子は」
白澤は次の言葉が見つからず、男の隣に畏まって正座している優喜と綾を睨んだ。
「お前達も連絡もよこさず、一体何をしていたのです」
「申し訳ありません」
優喜と綾が額を床に擦り付け、白澤に頭を下げる。
「それは仕方がない」
男が楽しそうに笑った。
「報告しようにも、私は、食っては寝て、食っては寝る、それだけの男です。まさか、晩ご飯に何を食ったかばかり、書くわけにもいかないでしょう」
男はすぃっと現当主を見つめると、居住まいを正した。
「当主殿。初めてお目にかかります。うちの娘がお世話になっております」
ふっと少年は目を輝かせた。
「なよ先生はとても素敵な方です。たくさんのことを教えてくださいます」
まったく表情のなかった少年の瞳に笑みが浮かんだ。
「ほんに、なよたけの姫も何を考えているのか」
不平そうに白澤が言う。
「なよはあれで、単純に子供好きなのですよ。善い娘です」
「とにかく」
白澤が声をあげた。
「こんなあばら家はやめて、お前は城にきなさい。良い部屋をあてがいます」
「それはお断りしますよ。お城なんて、私の柄ではありません、息苦しいだけです」
白澤はぐっと男を睨みつけたが、やがて、吐息を漏らすと呟いた。
「素直な良い子であったのに、こんなふうに捻くれてしまうとは」
「年月は人を変えてしまうものなのですねぇ。いやはや」
他人事のように、男が呟く。
ばしっと白澤は床を片手で叩くと、立ち上がった。
「とにかく、結界を敷くのは許しません。よろしいですね」
男は笑みを浮かべると頷いた。白澤が踵を返し、部屋を出る。当主も軽く男に会釈をすると、白澤の後を追い、屋敷を去って行った。
優喜は緊張が解けたのか、正座した姿のまま、うつ伏せに倒れ込んでしまった。
「大丈夫かい。優喜君」
「申し訳ありません」
慌てて、立ち上がろうとする優喜の頭を、男が左手で軽く叩いた。
「堅苦しいことはなしでいいよ。綾さんは大丈夫かい」
綾が呟く。
「腰が、抜けてます」
男が楽しそうに笑った。
「困った弟子だなぁ。睨まれただけですくみあがってしまうなんてさ」
「申し訳ありません」
優喜は起き上がると、男に向かってみずまいを正した。
「ま、しょうがない。あの人にとって、私達は犬とか、牛とか豚とか、そういうもんだからさ」
男は気楽に言うと、囲炉裏の薪を足す。
「それは」
綾が呟いた。
「綾さんの目の前に可愛い子犬が現れればさ、抱き締めたいとか、撫でたいとか、そんなことを思うだろう。そして同時に、すき焼きでね、牛肉、霜降りが美味しいなとも思うだろう。綾さんと子犬や牛との関係が、そのまま、白澤さんと綾さんの関係でもあるのさ」
男は柔らかに綾を見つめた。
「それは白澤さんと当主との関係も同じだ、当主も白澤さんにとっては、ホンケ存続の道具でしかない。なよは、子供が大人の犠牲になることを、とことん嫌う、だから、当主にちょっかいをかけているんだろう」
優喜が目を泳がせる。
「話が見えません」
「白澤さんは私の頭の中を、当主に移植しようとしている、そうすれば、ホンケはこの先、数十年は安泰だ。そのために当主は痛みも感じなければ、感情もほとんど無い、移植に係わる拒絶反応を最小限に抑えるためだろう。そんな子供を用意したんだ。なよはそれを見抜いたんだろうな」
「まさか、白澤様がそんな酷いことをなさるはずが」
綾が声を上げた。
男はくすぐったそうに笑みを浮かべた。
「白澤さんにとっては、酷いことでもなんでもないんだよ。綾さん、動物が可哀想だから、豚肉も牛肉も食べないのかい、食べるだろう。白澤さんにとっては
それと同じなのさ。ちょっと、可哀想だけれどしょうがない、ホンケのためだもの。その程度のことなんだよ」
男は小さく吐息を漏らすと、部屋を見渡した。
「ここの元住人だってそうさ」
男は気持ちを切り替えるように頭を振ると、ゆっくりと立ち上がった。
「頭を撫でられるくらいはなんとか我慢できるけど、食われるのはなんだかね」
優喜もなんとか立ち上がると、綾の元へ行き、背中を支えて、立ち上がらせた。ふっと、優喜が綾に笑みを浮かべた。
男が驚いて言った。
「世の中のこと、ほとんど知っているつもりだったんだけどね、まだまだ、こんな近くで知らないこともあったんだな。自分の鈍感さが嘆かわしい」
優喜が思い詰めたように男に言った。
「俺達、ホンケを離れます」
「それはホンケを敵に回すということだよ。間違いなく殺されるぞ」
「白澤様は精鋭同士の婚姻はお認めになりません、戦力が落ちてしまいますから」
「ま、育児休暇を申請されたら困るからねぇ」
男は呆れ声で言うと、綾を見つめた。
「綾さんもそれでいいのかい」
綾がくっと唇を引き締め頷いた。
「女性は強いなぁ」
男の言葉が終わると同時に部屋の壁が、轟音と共にふっとんだ。なよが飛び込んで来たのだ。
「年頃の娘が乱暴だなぁ。当主殿と会えたかい、それとも、すれ違いかな」
「少しばかり頬をつねってやったわい。それより、白澤が精鋭を引き連れやってくるぞ」
「夜まで待てないということだろうな。なよ、二人を連れて家に戻っていてくれ」
なよが二人を睨んだ。
「やっと結婚する決心がついたか。優喜は頼りないが性根は腐っておらん」
「なよは知っていたのかい。二人がそういう仲だということを」
呆れた声でなよが答えた。
「父さんは気づかなかったのか。わしは初めて見た時に気づいたぞ」
「実はついさっき、気づいた。本当は二人を気絶させて逃げるつもりだったんだけどね、そういうことなら、ホンケを離れるのもありかなと思ったわけだ」
男がにっと笑った。
瞬間、部屋の床、壁が血みどろになる。
そして、切り刻まれた優喜と綾の死体が転がっていた。
「中々の幻覚だろう」
男の言葉に優喜が震えながら頷いた。
「さすがじゃな。わしでさえ、ちと、びびるわい」
「白澤さん達が来たら、これを見せた後、炎でこの屋敷を燃やすことにするよ」
なよが興味深そうに、部屋を見渡す、綾は既に失心していた。
「なかなかじゃ。それで、父さんも帰ってくるか」
「幸が苦しむだろう。もう少し様子を見るよ」

本家を逃げだし、数日後、男は夜の砂浜に一人いた。とくに、行く宛もなく、旅をする。

男の面前、二、三歩歩けば届くほどの、転ぶように女が横切り駆けていく、逃げているのだ、後ろから十数人の男たちが女を捕らえようと追いかける。
「お若い人は元気だねぇ」
男はゆっくり立ち上がると、尻の砂を手で払った。
女が先頭の男に組み伏された。必死になって振り解こうという女の両腕を馬乗りになった図体の大きな男が細腕を折るかのように強く掴む。
「勇二、助けて」
女が叫んだ。
女を囲む男たちが笑った。
「どうして・・・、勇二」
女の視線の先には勇二という女の恋人がにやついた笑いを顔に張り付けていた。

「初めまして、勇二君。君もさ、鬼の仲間になっちゃだめだよ」
男は気楽に言うと、振り返り女にのしかかっている男の背中、仙骨と呼ばれる背骨の一つをこんと自在で軽く突く。
どさっと下半身が落ちた、まさしく、のしかかっていた男の下半身だけが重力に応じて、砂浜に落下した。
「うぉぉっ」
痛みに悲鳴を上げる。
「自分自身の痛みはわかるんだねぇ」
男は呟くと、周りの男たちを見渡した。
「女性に乱暴しようなんて、だめだよ」
「何者だ、お前」
「ん、見ればわかるだろう、ただの浮浪者さ」
男は見渡すと額に角を一本生やした鬼を睨んだ。
「なるほど、勇二というのが、生贄を用意する選別者、で、君に彼女を誂えようとしたってことか」
鬼が口を閉ざし、男を睨みつけた。
「この国のお偉い方々は、鬼におもねるために、国民のいくらかを鬼に差し出す契約をしたのは知っている。でもね、そんなことは知ったことではないのだよ、だって、この国は民主主義の国だからね
。偉いさんの勝手な約束なんか、知ったことじゃないのさ」
男はいたずらげに笑った。
「貴様、人の分際で我らに抗うと言うのか」
鬼が低く呟いた。
男が嬉しそうに笑った。
「その我らというのは、ここにいる子分たちのことを指しているのかな。それとも、鬼全体を指しているのかい。どちらでも、結果は同じだけどね」

「この野郎」
一人が男に殴りかかった。男は中段に自在を構える。殴りかかる男の腹に自在の先端が消えた。すとんと拳を振りあげたまま落ちる。
「無邪気だね。倒してくれといわんばかりだよ」
男が呆れたように言った。
ふわりと男が浮かぶ、月の光に自在が鈍く光る。男が舞うように片足のまま動く。寸分の隔たりもない独楽がゆるゆると回るように男が短く長く周期を変化させ動く。周りを囲んでいた者たちが鬼を除いて打ち倒されていた。
「幸のなみゆいという動きは片足にはちょうどいいな」
男は呟くと鬼の真正面に立つ、そして、少し見上げた。
「君も知ってはいるだろう、人と鬼は一切関わらず、古い人と鬼の約定だ。鬼が人の世界に入れば、そして、人が鬼の世界に入れば、たとえ殺されても、それぞれ、それを受け入れるってことだ。私は優しい人間だからさ、君を鬼の国に送り返してやってもいいんだけど、君はどうしてもらいたい」
「誇り高い鬼族が蛮人の提案を受け入れると思うか、愚か者め」
「原種の鬼の教育に毒されているねぇ。でもさ、私的にはその方が面倒くさくなくっていいかな」
男は笑みを浮かべ頷いた。
鬼が目をすぃっと細める、鬼を包む空気がざわりと唸った。
男がにぃぃっと、口元に笑みを浮かべた。
「やる気になったようだね。でも、ちょっと遅かった。君の首から下、既に固まってしまって動かないからさ。試しに右の人差し指、動かしてみな、固まっているだろう」
鬼が指を動かそうとした、しかし、動かない、鉛で固められたように動かない。
「何をした」
鬼が呻いた。
男が笑う。
「ただの暗示だよ。君がその暗示に掛かったのは、君の本心が私を恐れたからだ。試しに私を殴ろうとしてごらん」
鬼が歯を食いしばり、腕を上げようとする、しかし、全く手が上がらない。
「こんな人間に俺は恐れているというのか、否、そんなはずはない」
顔を歪ませ、鬼は腕を上げようとする。
「素直じゃないねぇ」
男は楽しそうに笑うと、鬼を見上げる。
「鬼の身分は、角で決まるらしいね。角が一本か、それとも二本か。長いか短いか、太いかそれとも細いか。でも、本人の資質と角の因果関係はないはずだよ。だってさ、角って、ただのカルシウムだよ」
男はすっと手を伸ばすと、根本から角を切り取り鬼に見せた。
「な、断面が灰色がかった白色だろう」
鬼が息を詰まらせた。
「お、俺の、俺の角が」
鬼が狼狽し情けない声を出した。
「あぁ、ごめん、ごめん、切っちゃった、糊で付くかなぁ」
男は角を鬼の足下に置いた。
「頑張って暗示をほどけよ、難しいけれど。角が何処かに行ってしまわないうちにね」
男は用事が済んだと、女に振り返った。
「彼らは気絶しているだけだからね、早く逃げなさい」
「あ、あの」
女が立ち上がろうとするのだが、立てずにいた。
男は自在を砂浜に突き刺すと、左手を差し出す。女がその手に捕まると、男がふわっと引き上げた。すとんと女が立ち上がった。
「ま、腰が抜けても仕方がないね。さ、お嬢さん、手を離してくれ、私は杖がないと歩けないんだ」
慌てて女は手を放すと、ごめんなさいと頭を下げた。
男は頷くと、杖を持つ。
「どうする、送っていこうか」
男が尋ねた。女が男の身なりを見て、慌てて首を横に振った。
「だ、大丈夫です」
「そうかい、なら、急いで帰りなさい」
「本当にありがとうございました」
ふと、思い出したように男が言った。
「多分、君の太股辺りに青い印が付いていると思う。それは、鬼を呼ぶ印だ。帰ったら、すぐにお風呂で洗い落としなさい。石鹸とたわしで、はれ上がるほど強く擦ること。そうすれば取れるよ」
男は軽く手を振ると背を向け歩きだした。

男が去っていく。女は恐る恐る辺りを見回す。倒れて白目を剥いた男たち、直立不動の鬼。女は自分の選択が間違っていたと後悔した。
「あ、あの」
女が叫んだ。そして泳ぐように、男に向かって駆けだした。男は振り返ると、荒く息をして、女が男のシャツの裾をしっかり握っていた。
「ごめんなさい。あの、あの、送ってください。夜道が恐くて一人で歩けないんです」

「そうかい、なら、送って行こう」
男があっさりと答える、砂浜から道路に出た。
「横を歩いてくれるかい。君が後ろだと、どっち行けばいいかわからないからさ」
慌てて、女は男の横を歩いた。
「遠いのかい」
「十分くらい歩けば」
「なら、歩いていくかな」
男は答えると女に合わせて歩く。既に深夜になっていた、灯りは電信柱からの街灯くらいのものだった。
途中、住宅街に入り、何度か角を曲がる。
「君。何か喋った方がいいかい」
「え」
「お喋りしながらの方が君の不安が紛れるかと思ったんだ」
「ありがとうございます」
女が小さく頷いた。
「うーん、しかし、難しいな。失恋直後の女性に語りかけるのは。何を言っても傷つけてしまいそうだ」
女がくすぐったそうに小さく笑った。女は自分でも驚いた。男の一言で、なんだか、背中が軽くなったような、ほっとした気分になったのだ。
「私には娘がたくさんいてね、上は多分君くらいの歳だ。そうだ、三女が喫茶店をやっていてね、料理がびっくりするくらい美味い」
「何がお得意なんですか」
不思議と、女は恐怖を忘れ、男に尋ねた。
「なんでも、美味しい。でも、特に言うなら、中華かな。一品が万とするような高級店にも負けていない、と思うんだ、もっとも、そんな高級店には行ったことないけどさ」
女が幸せそうに笑った。
「次女は怒りっぽい。いつも、怒鳴られているよ。本当は優しい娘なんだけどなぁ、そうだ、酒が過ぎるんだな。アル中にならなければいいんだけどね。君は飲むのかい」
「私は、少しだけ」
「そうか。でも、ほどほどにするんだよ。酒を飲み過ぎると脳が萎縮して小さくなってしまうぞ。ま、これは、偏見かな」
女はもしも自分に父親がいたなら、こんなふうに歩きながら喋っているのかなと思う。就職することで、やっと叔父叔母夫婦から逃げ出すことができたのに、こんな。
「ん、どうした」
「え」
「いや、急に表情が暗くなったからさ」
「いいえ、大丈夫です」
「そうかい。どんなに落ち込んでいても、真ん中の娘ならね、私は簡単に元気にさせることができるんだけどなぁ」
「どうするんですか」
「簡単なんだ。一緒にラーメン食うだろ、それから、ケーキを食べに行く。そうすれば、どんな深刻な顔をしていても元気になってくれるんだ」
女は顔をほころばせた。とても楽しそうな家族だと思う。
「家族っていいですね」
「そうだね、私が善人の振りができるのも、家族がいればこそだ」
男が呟くように言葉を繋いだ。
「ここが私の住んでいるアパートです」
男が見上げた。蓄四十年はゆうにたつだろう、二階建ての古びたアパートだ。
「あの、お茶でも」
女が思いきって言う。
「ありがたいけれど、娘に叱られてしまうよ、良識が足りないってね」
男は笑うと軽く手を振る。
「一つだけ、仕事を済ませてから消えるよ」
男は女の後ろを眺める。
「おーい、そこの二人。出てきてくれるかな」
女が驚いて振り返った。
ゆらりと闇が蠢いた。
男が女を背に隠す。
軍服を身につけた鬼と着物を纏った老人が現れた。
鬼が呟く。
「何者だ、お前」
低く這うような声だ。
「鬼神化計画で鬼になった自衛隊さんだね。私のことはお隣りさんに訊いてくれ」
すいと男が老人に笑いかけた。
老人が一歩退いた。
「何故、あんたが」
「私の娘と同じ歳頃の女の子が、目の前で鬼に食われようとしているんだよ。知らない振りはできないよ」
男は気楽に言うと、老人を睨んだ。
「以前、術師達が集まって政府に多くの術を授けた。自衛隊や警察に術を教え、鬼と対抗しようとしたわけだ、馬鹿としかいいようがないな。政府の方針が変わった途端、このざまだよ」
「あの時は」
老人が言い淀んだ。
「師匠や先人に申し訳ないかぎりだよ。あんたの師匠も草場の陰で泣いているんじゃないかな」
男はそういうと、ふっと笑みを浮かべた。
「ま、いいさ。それより、君。召還術師だろう、強そうなの一つくれないかな。それで見逃すよ」
老人が鬼を見上げた。
「わしは帰らせてもらうよ」
「俺の指揮から抜けるというのか、抜けるというなら、いま、ここで貴様を殺すぞ」
「無を相手に」
老人が言いかけた瞬間、鬼が銃を抜いた。男が鬼を頭から垂直に自在で切り落とす。鬼の体が左右真二つに割れて地面に落ちた。
「容赦ないな」
老人が後ずさりながら呟いた。
「これも人助け」
いたずらな子供のように男が笑みを浮かべた。
老人は驚くほどの機敏さで、二階アパートの屋根へと飛んだ。
老人が朗々と呪を唱える。男の前の風景が揺れた。
「神獣白虎をやる。これで見逃してくれ」
老人の姿が消えた。
男の目の前には虎を遙かに大きくした白い虎が唸りを上げていた。男の体を一口で飲み込めるほどだ。
男が睨む、白虎が口を閉ざし、前足を折る、そして、地面に腹ばいになってしまった。尾もしまい込んでしまっている。男の目に怯えたのだ。
「私の言葉がわかるかい、わかるなら頷いてくれ」
白虎が男の言葉通りに頷いた。男は杖を離し、手を伸ばすと、白虎の額に触れる。ぬえの体が感電したように震えた。
「術を伝えた。君の声帯は人の言葉を話すのに適していないけれど、口元の空気を君の意志で振動させることが出来るようになったはずだ。何か喋ってみてごらん」
男の言葉に呆然と女は男と白虎を見つめていた。
鬼が真っ二つになって、おじいさんが空を飛んで、巨大なライオン、ううん、白い虎が出てきて、なんだか、ファンタジーの世界になってしまった・・・。
女は転がっている杖を拾い上げて、男に差し出した。
「ありがと」
男は笑みを浮かべると、杖を受け取った。
「あの、いったい、何がどうしたのか、わからなくて」
「なんていうかな。君が思う以上に世界は面白く出来ているってことだ。それより、このアパートは動物禁止かい」
「あの、えっと。一階の大家さんが猫を飼っているので、猫だけは良くて」
「そうか、なら、子猫になってもらうかな」
男は白虎に向き直った。
「化身も出来るようになったはずだ。そうだな、子猫、虎猫になってくれ」
白虎が見る間に小さくなり、あどけない子猫に変わってしまった。
「これで良いのか」
女の足下で子猫が喋る。
「上等だよ」
男は笑いながら言うと、女に子猫を抱き上げるように促した。
恐る恐る女が両手を差し出す。ちょこんと子猫が女の両手に載った。
「可愛い、とっても可愛いです」
女は子猫を抱きしめると、いままでのことを忘れたかのように微笑んだ。
「名前を付けてくれるかな」
「名前。名前ですか」
女はしばらく考えていたが、やがて決心したのか、じっと子猫を見つめた。
「竜之介、竜之介にします」
「なるほど、虎に竜か、面白い名前だ。なら、竜之介、この娘を守ってくれ」
「承知した」
子猫が喋る。女が微笑んだ。不思議と友達ができたように嬉しかったのだ。
男が改めた表情になり、女に言った。
「この国のお偉方は鬼に屈した。そして、生け贄を差し出すことを鬼に約束した、君はその生け贄に選ばれたんだよ」
「私が」
「そう。君は両親がいないようだね。それにあまり人付き合いも得意ではなさそうだ。生け贄には若い女を差し出さなきゃならないのだけれど、親や友人が多いと拉致だなんだとうるさい。だから、国は君を選んだんだ。この竜之介
はそんな勢力から君を守ってくれるだろう。あとは任せて、私は行くことにするよ」
「あの、あの、私」
女は胸がいっぱいになって言葉を続けることが出来なかった。
「また、おじさんに会いたいです」
「私が生きていれば、会うこともあるかもしれないけれど。多分、私の娘達は相当にお節介だから、娘達の方が来るかもしれないな」
男が少し笑って首を傾げた。すっと、男の姿が消えた。
「え、おじさん。おじさん」
女が叫んだ。
「無は行ってしまったよ」
子猫が女の肩で呟いた。
「希代の魔術師 無。妙な縁が出来た。いずれまた、会うこともあるだろう。ところで、お前の名前は」
「私、えみです。笑うと書きます」
落胆した声で女が答えた。
子猫が、女の頬をそっと舐める。
「泣くな、笑。俺が守ってやる。生きていれば、また、会えるさ」

不意にトラックのエンジン音が響いた。
宅配に使われるような、確かに運送の看板が書かれている。
男が三人、飛び出してきた。その内、二人が素早く鬼の死体を梱包し、荷台に放り込む。
「あんた、何者だ」
運転していた男が笑を睨みつけた。
「あ、あの、私は」
笑が言い淀んだ。
すいっと、竜之介は笑の肩から離れ、男達の目の前に浮かんだ。
「文句があるなら言え。その後でじっくり食ってやる」
子猫が呟く。
鬼を回収した男が駆け寄ってきた。
「やはり、先生の斬り口だ。脳天からばっさり見事な斬り口だ」
子猫が最初の一人を見つめた。
「無を先生と呼ぶとは、お前達、ホンケの精鋭とかほざいている奴らだな」
「ほざくはよけいだ、俺たちは鬼の死体回収に来た。それと、目撃者の口封じにな」
緊張を押さえ込み答える。
「この娘を助けたのは無だ。そして、俺にこの娘を護るように命じた」
男達三人が向き合い、小声で話す、しかし、すぐに子猫に向き直った。
「先生に会うことがあれば伝えてくれ。二人を助け出してくれてありがとうと言っていたとな。もっとも、白澤様はかんかんだが」
三人は素早くきびすを返すと、車に乗り込む、急発進、車が通りへと消えていった。
笑が大きく息を吐いた。
「竜之介君、緊張したよ。息が出来なかった」
子猫が振り向いた。
「あの程度の奴らなら一飲みだ」
空を歩くようにして子猫は笑の肩に戻ると言った。
「風呂だ。鬼の印を消せ」
「うん、そうする」
アパートの二階へと駆けだした。

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